一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ハンパネー!

味噌マヨ和え。

 畑でないどころか、自然の野山ですらない土地に育った野草が、ほんとうに食用となるだろうか。瓦礫混りの痩せた土地で、微細な不純ゴミ数知れず、お世辞にも良い水を吸ったとは云えない野草が。
 まだ玄関先にあるうちに、根だけは毟り千切った。地下足袋姿での作業だ。茎と葉だけになったもので、レジ袋が一杯になった。すべてを使えるとは思っていない。

 さて台所。仕分けは後回しとして、とにかくすべてを水に浸す。粗っぽく泥洗いだ。二回も泥水になった。
 茎は使わないので、包丁の先で葉と茎とを切り離しながら、葉を一枚いちまい点検し、大ぶり・中ほど・小ぶり・間引きに四分してゆく。傷んでいる葉が多い。虫食いは少ないけれども、気の毒な生育環境にあったか、折れた箇所が変色している葉が多い。あまりに無残なものは間引く。
 葉の表が見事な色でも、裏に得体の知れぬ変色がある葉も多い。指先で擦っても包丁の刃でこそげ落そうとしても落ちない。そうとう気味悪い葉だけ間引き、おおかたには眼をつぶることとした。
 すべての茎を離して葉だけになると、格段に洗いやすくなったから、もう一度水洗いして、しばらく水に浸けておいた。
 中型以下の葉、量にして全体の四分の三を、塩茹でする。ここは茹で過ぎ注意だろう。茹であがりを冷水に浸けて、また小一時間。一回使用量ほどに分けてよく搾り、団子状にしてラップしたものを冷凍庫に収めた。

 一回分だけは、さっそく試してみよう。団子をごくいい加減にほぐしてから、縦横に包丁を入れる。微塵切りほど細かくはないが、ざく切りほど粗くはない。
 さてソースだが。葉の表裏が細かい毛に覆われているゆえか、ふつうのお浸しや酢の物では汁によく絡まないとの噂を耳にした。トロみのある汁が必要。もしくは和え物にするのがよろしいとの噂だった。
 味噌1にマヨネーズ2、味噌マヨだ。おそらく邪道だろうが私のヤマ勘で、砂糖をひと匙加えてみた。ここはしつこく念入りに掻き混ぜるところだろう。馴染ませる程度に留まることなく、細かい気泡を含み込んで色が変るまで、掻き混ぜるべきだ。
 そこへ刻んだ葉を投入して、和える。まず一品、ユキノシタの味噌マヨ和えが完成。
 味は悪くない。というより、葉は癖のない味で、つまりは味噌マヨの味だ。それよりも特筆すべきは歯応えである。似た前例を思い出せない。現今の若者語で「シャキシャキ感ハンパネー!」といったところだ。人によってはこれを、絶品とおっしゃるかもしれない。

 大型の葉と、比較検討の目的で中型の葉からあるていどの枚数を残して、揚げてみた。天ぷらに似たようなものである。
 大葉を揚げるときのように、衣は葉裏だけ片面。つねの精進揚げのごとく、油温度はやや低めだ。
 悪くない。これまた味に癖がない。野草山菜類にありがちな苦味やエグ味すなわち土の香りなどほとんど感じられない。歯触りはすこぶるよろしい。つまり揚げる腕前があれば、もっと美味くなるんだろう。
 大好物の春菊揚げと較べられては、味も歯触りもお気の毒というものだが、天ぷら盛合せの大皿にもしこんなのが一枚交じっていたら、「へぇ、こりゃなんだい?」と話題になること請合いだ。

 花の可憐さがことのほか眼を惹く身近な野草ユキノシタだが、葉は食べられる。耳にした噂は本当だった。しかも美味い。だったらなぜ、食材として数えられてこなかったのか。なんらかの毒性か副作用かが匿されてあるのではないのか。
 加えて私は、試しだ実験だとの想いがついつい先走って、傷んだ葉も間引かずにかなり採用してしまった。虫食いでもないのに、洗っても擦っても落ちぬ着色なんぞとは、今から思えば不可解ではないか。寄生虫の痕跡かなんらかの病原菌だったのではないのか。
 そういえば最前から、胃が少しばかり重苦しい。少々不安になってきた。葉っぱ十八枚も、いっぺんに食べなければよかった。