一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

これっぽっちも



 わが駅前のヤマボウシが満開。道行くかたがたや、真向うで繁盛する立食いの名店「南天」さんのお客さんがたも、名代の肉蕎麦を賞味するに夢中で、べつだん気に留めぬようだ。
 どういうもんだか、この樹が好きだ。盛り場からわが駅へと戻ってこの樹を視ると、ホッとする。花の時期のみではない。たんなる緑の街路樹でいる季節もさようだ。

 今日は古本屋研究会の学生諸君と、古書店を散策する日だった。悪癖の夜更しにつき、朝食台所は断念。江古田珈琲館にてモーニングトーストと珈琲。集合場所の学部正門前掲示板へ。
 ここのところの陽気では、半袖シャツかと一度は思ったものの、外気は思いのほか涼しく長袖に着替えて出てきたのが、ちょうど好かった。その時は。後刻、蒸し暑くなり、後悔したのだったけれども。
 本日の目玉としては、現にシナリオライターとして活躍中の OB が駆けつけてくれた。学生諸君にとっては、元教員の退職老人なんぞの要領を得ない噺を聴かされるよりは、はるかに励みとなるはずだ。ミーティングだの質疑応答だのというよりは、肩を並べて散歩しながらポツリポツリと、経験や見聞を伝授してもらえたほうがはるかに望ましい。

 羽田方面では「文学フリマ東京」開催日である。浅草では三社祭最終日である。そのほか観光スポットやイベント会場はいずれも、ごったがえしていることだろう。江古田あたりで古書店を散策して歩くというのは、なかなかよろしい選択だった。はずだ。
 江古田駅界隈には、いずれも名店といえる三軒の古書店に加えて、ブックオフがある。本好きが小半日遊んで歩くには、もって来いの街である。はずだった。ところがだ。二軒の古書店が本日休業のうえ、あろうことかブックオフまで休業だとのこと。営業中の名店一軒でゆっくり過ごしたところで、わざわざ出かけてきて集合した甲斐がない。池袋まで足を伸ばそうとの方針となった。

 池袋となれば、雑司ヶ谷の「古書往来座」さんである。日ごろ多大なるお世話になりながら、このところご無沙汰がちだから、訪問するにやぶさかでない。ただここ数年の出無精とものぐさとから、すっかり人混みに酔う体質となり果て、億劫なのだ。
 案の定、たいへんな人出だった。こういう中を、躰を斜めにしたり歩幅を短くしたり、必要に応じて細かいサイドステップを繰出したりしながら、ヒラリヒラリと(自分の意識では)かわし歩いた時代もあったことが、信じられない。

 古書往来座さんで、ちょいとした噂を小耳に挟んだ。鬼子母神さまの境内で、唐組が芝居興行をなさっているそうだ。御大唐十郎さんは、ご健康状態のこともあってお出ましにならないのだろうが、若手ご一統さんやお弟子さんらが、今も頑張っておられるのだろう。
 道理で、入店とっつきの特集コーナーの棚には、唐十郎さんのご著書がずらりと並べられてある。今から芝居見物に鬼子母神さま境内へという観客がたが、「へぇー、こんなとこに古本屋があらあ」まだ時間に余裕があるからと、覗くかもしれない。また朝から準備忙しく、ほぼ二十四時間体制で近隣に過す劇団員や関係者がたが、休憩時間にふと立寄るかもしれない。それでなくとも、近所で興行される芸能イベントへのささやかな応援というか、いわば景気づけの意味合いもあろう。


 お~、懐かしい。ちょいと赤テントだけでも一見に及ぼうか。というわけで、古研一行も鬼子母神さまの境内へ。
 数少ない年寄りの役目が発生する。鬼子母神の縁起。「鬼」の字が一画少ない理由。十月十八日を頂点とするお会式の噺。ススキのミミズクの噺。若者にとってはクッソ面白くない噺でも、申すだけは申しておかねばならない。記憶の片隅に留めてもらえれば、伝わるのはずっと先でよろしい。私の命あるあいだに伝わることはあるまい。

 境内での興行が催され、つねよりもはるかに多い人出が予想されるからだろうか。境内名物である伝統の駄菓子屋さんも、たいそう繁盛していた。そして子どもたちの云い分をとりさばくお婆ちゃんのお手並も、驚くべきことに衰えてはいなかった。

 古研一行は、喫茶店に休み、次回を期しあって散開した。で、わが駅へと帰り着き、街路樹であるヤマボウシの前で、ホッとしたのである。
 なん歳くらいまでだったろうか。ほぅ唐組か、準備しているスタッフの姿があるじゃないか。当日券が出るかどうか、訊いてみよう。あれば一枚押えて、古研散会後には、久びさに唐組と行こうじゃねえか。
 だが当日券の有無を訊いてみる気は、これっぽっちも起きなかったのである。