一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

老い花

 街なかがどこも大賑いだったにちがいない週末が明けた翌日とは、かようなものだろうか。物音の聞えてこない閑寂な朝である。

 昨日は若者たちのサークル活動のおかげで、昨今にない歩数が歩けた。目星をつけた古書店が休業していたりで、無駄足回り道を重ねたゆえでもある。この道楽の面白いところは、無駄足がえてして無駄ではない点にある。ただ街を歩いてみる、そして道行く人びとを漫然と眺めてみるという、まことにもって安易で安上りな行動を、あえて道楽と言張ったところに妙味があるのだ。
 とはいえ昨日は、私の日常にあっては達成できぬほどに歩いた。心地好い疲労とでも申そうか、なにもしたくない朝に、この静けさはありがたい。似つかわしい。

 児童公園には人影も人声もない。先ごろから植込みのヤマブキが満開だったことは、拙宅の物干しからも見えていた。今季一度くらいは間近に観ておこうかと思い立ち、人影ないのを幸いに、サンダル履きで出てみた。もう満開はとうに過ぎた風情だった。花弁も蕊も地面に散り敷くごとく乱れ、踏みにじられた箇所もあった。
 花色は病的といえるほど鮮烈だし、花の姿は一見弱よわしげだが、咲く力はあんがい強くしぶとい。植込み全体に咲き誇る盛時のさまは、精力的とすらいえる。が、花序の構造は観てくれどおりに脆く、散る風情も散った後の地面の汚しかたも、ひと言で申せば無残である。
 「実のひとつだに」との歌は、たんに実を着けぬというだけではなく、そしてそれをたんに物を持合せぬ貧乏所帯に懸けただけではなく、老残という意でもあったろうかと、改めて想い当る。

 戻ってすぐに台所に立つよりは、しばらく閑にしていたい気分だが、空腹でもある。ファミマに寄った。正午に近い午前につき、弁当、麺類はほとんど売り尽されていた。冷し中華でもあったらとの思惑は外れた。せめて幕の内か明太海苔弁でもとの思惑も外れた。残っていた数品から、ソース焼そばを選んだ。
 好物ではあるが、外食や買食いの品として選ぶことは長らくなかった。カップ麺系の焼きそばも、ほとんど食べたことがない。三十歳代の深夜に出張先のビジネスホテルで食したのが最後ではなかろうか。ふだんはスーパーから三食分袋詰めの半生麺を買ってきて、好き勝手に味付けしてきた。

 帰宅すると、玄関番であるネズミモチの、地に近い弱く細い枝先に花が着いていた。花や実を着けて発展し過ぎるのを警戒して、この木の剪定をまっさきに済ませたことが先月二十九日の日記に書かれてあるということは、まだ丸ひと月も経ってはいない。あまりに小さな枝だからと、視逃したか眼こぼししたのだったろうか。それとも、ほとんどの花を剪り落された樹が、せめてもの対抗策として、当時貧弱で目立たぬ存在だった花芽を、このひと月で急速に押出してきたのだろうか。

 ソース焼そばのラップを外し、空気抜きを施してから、電子レンジで加熱した。
 美味い。味が強く濃い。これくらい味にパンチ力がなければ、商品とはならないのだろう。土木建設現場で働く男衆や成長期の若者であれば、この焼そばを惣菜としてどんぶり飯に挑めることだろう。今の私には過ぎたる美味である。あまりに贅沢な味だ。

 昔、素人にも可能なアルコール依存症の治療法について教わったことがあった。日課となった酒に、三十分の一だったか四十分の一だったかの水を混ぜるそうだ。一週間経ったら、水の量を三十分の二だったか四十分の二だったかに、増やす。また一週間経ったら、水の量を三にする。半年も経つうちには、濃度五十パーセントの日本酒一合で酩酊できるようになるとの教えだった。
 そんな素人治療中のアル中患者が、ある日家族の手違いから、生一本をゴクリとやってしまった。
 「ケーッ、なんでぇこの酒は。強えばかりで飲めたもんじゃねえや!」
 花にも、酒にも、焼そばにも、老残の味というものがあるということのようだ。