一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

評価基準


 なるほどカタバミらしい。

 子ども時分にはカタバミもクローバーも、一緒くたにミツバと称んでいた。野菜の三つ葉は知らなかった。知るようになったのは、小学校も高学年になってからだ。拙宅の経済状態にあっては、それまで食卓に載る野菜ではなかった。
 野菜の三つ葉を知ってしまうと、だったらそれまで原っぱでミツバと称んでいた、あの草はなんなんだ、ということになった。クローバーという呼び名を憶えた。洋風の洒落た名に聞えてたいそう気に入り、それからはもっぱらクローバーと称ぶようになった。シロツメクサなる異名ははるか後年まで知らなかった。小説か詩かで眼にして調べ、なぁんだクローバーのことかと思った覚えがある。

 そうなってからもまだ、クローバーとカタバミの違いには、無頓着のままに過ぎてきた。昨春の早いころだったか、拙宅敷地内にも往来のアスファルトの裂目にも、逞しく生えてくる小型植物として、写真付きで言及したところ、コメントでご教示くださったかたがある。そりゃぁカタバミでしょうと。ありがとうございます。
 さっそく写真をいく枚か撮り増して、図鑑と照合してみたところ、なるほどたしかに、カタバミにちがいなかった。クローバーはマメ科カタバミカタバミ科で、植物学的にはまったく別物だという。

 今年も姿を見せている。タンポポドクダミが覇を唱えているあたりには、草丈においても組織の丈夫さにおいても太刀打ちできようはずはないが、それらを抜き去って土が露呈された箇所には、まっさきに芽を出してくる。
 また切目や裂目や曲り角、砂や埃が吹き溜っただけの、土とも称べぬような場所にも根を降し、茎葉を伸ばしてくる。駐車駐輪スペースのコンクリート打ち放しから、玄関扉の床面へと一段十数センチ上るのだが、ボロ家化と地盤沈下に伴って亀裂のごとき隙間が生じている。けっして土とは称べぬそんな場所でも、花を咲かせてくる。
 一間華奢に見えても、じつは貪欲で逞しい連中である。

 土面が露呈して、樹の芽などが散らばったところへ物色に降りてくるのはムクドリだ。ヒヨドリはほとんど樹上で食事を摂る。降りるとしてもベランダや物干しなど高い場所に限られる。地表まで降りてくるのは、カラスとハトとスズメとを除けばムクドリだけだ。
 カラスは大物の餌があるときだけだ。ゴミ袋だの、鼠や子猫の死んで間もない死骸があるときに限られる。ハトは人間の眼にすら見えるような、大きな餌があるときだけだ。あまりに大食漢だから、微細な餌では間に合わないのだろう。
 人間の眼には見えぬほど細かい餌をついばむのはスズメとムクドリだけだ。ただしスズメは複数もしくは大集団で行動する。ムクドリは単独かせいぜい番いで降りてくる。しかもスズメは人影が近づくといっせいに飛び立つが、ムクドリは人影に怯えない。ハトほどではないにせよ、こちらがかなり近づいても、平気で餌を漁っている。

 とはいえ彼らには、人間を相手にした場合の安全距離が想定されてあるらしく、それより一歩でも近づこうとすると、なに食わぬ顔で同じ距離だけ遠ざかる。二度三度繰返してみても、同じように遠ざかる。人間の運動能力の限界を、正確に計測し尽してあるのだろう。あまりしつこく近づこうとすると、さも迷惑そうに飛び立つ。
 想像するに、犬に対する場合や猫に対する場合、それぞれ別の安全基準をもっているのではないだろうか。だとすればムクドリから視て、人間と犬と猫とでは、危険度の序列がどうなっているものか、だれに対してもっとも厳しい安全基準で臨んでいるものか、ぜひ訊いてみたいものだ。おそらく人間は、そうとうな下位評価にちがいない。