一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

闇の絵巻

梶井基次郎(1901 - 1932)

 梶井基次郎『闇の絵巻』を解説する気はない。十枚ていどの短篇だが、解説しようとすればその枚数を超えてしまう。ナンセンスだ。

 話相手はなく、仕事も手に着かない。転地療養中の主人公は、深い谷に抉られた急峻な山路に沿う集落に過している。散歩だけが、ことに日没後の急速に暮れゆく風景を凝視して歩く散歩が、彼の日課だ。平凡な眼には映らなかったはずの、砂粒のような光景やら瞬間やらが観逃されずに視聴覚化され、断片逸話として列記された。まさしく絵巻物だ。
 それぞれの逸話は、眼による観察だの発見だのといった水準を遥かに超えて、もはや魂による発明と云ってよい。さように描き記されてみれば、だれにでも思い当る。似た想いに誘われた覚えはある。けれどもそれを重大な目撃と視さだめて、記し残した人はかつてなかった。創作上の発明とは、そのようにおこなわれる。

 月明りも星明りもない夜、遥か前方に街灯がひとつ、豆電球のように見える。手元に眼を落すと、着物の衿も袖もぼんやりとながら視分けがつく。あの遠い街灯ひとつからここまで、かすかな光がかろうじて差して来ているのだ。肉眼ではとうてい感知しえぬ単位の光線が闇の中を直進してくる模様を、これほど確然と観せられた記憶が、私にはない。
 山路はほぼ暮れた。覗き込んだ谷底はすでに闇の中だ。あのあたりにはたしか柚子の樹があったはずだ。小石を放ってみる。木の葉を騒がせるかすかな音がしただけだ。いくつも放ってみる。ひとしきりすると、谷底の闇から芳醇な柚子の香が立ちのぼってきた。似た経験を私はもたない。が、そうであって欲しいと、切実に思う。
 とっぷりと暮れたころ、行く手に黒ぐろとそびえる山の中腹にポツンと灯がひとつ点っている。木こりの住いか山仕事の小屋ででもあるのだろうか。その光が主人公に「なんとなしに恐怖」を覚えさせた。「バアーンとシンバルを叩いたやうな感じ」だったという。月並な眼の持主たる私にも、銭湯への道すがらの街灯に日輪のような光の輪を視て、なにやら異様は音を聴いた経験はしばしばある。
 橋の上からすでに闇に没した下流方向を望む。急斜面の杉林に隠れるように炭焼小屋があったはずで、風向きによってはヤニ臭い匂いが切立った崖をのぼって橋の上まで漂ってくることがある。それはもっともとしても、「日によつては馬力の通つた昼間の匂ひを残してゐたりする」という。ただただ舌を巻くほかはない。

 いずれも眼による観察・発見と片づける読者もあろうが、じつは創作家による発明である。数えてみたら、わずか十枚ていどの短篇に、控えめに数えても十二箇所もの発明が列記されてあった。容易ならざることだ。

 みっしり蝟集した表現上の発明を駆使して、『闇の絵巻』がなにを描いたかと申せば、暗闇への恐怖と偏愛とが語られた。そして光と闇の倒錯的逆転が示された。
 冒頭書き出し(いわゆる前振り、掴み)はこうだ。さきごろ逮捕された強盗犯の供述によれば、彼は杖一本あれば真の暗闇を五キロでも十キロでも走れるそうだ。杖を前方に差し出して、道だろうが畑だろうが、走り続けられるという。この供述に、主人公は「爽快な戦慄」を禁じえなかったという。

 段差や窪地に足を取られて転倒するかもしれない。ガラスやオニアザミの棘を踏んづけて怪我をするかもしれない。主人公によれば、そうした「苦渋や不安や恐怖の感情」を吹っきって敢然と一歩を踏出すためには、「絶望への情熱」が不可欠だ。その情熱を我が物にすることができさえすれば、不安や恐怖を克服でき、「深い安堵」の境地に至れるのではあるまいか。
 主人公は「深い闇のなかで味はうこの安息」と云い「巨大な闇と一如になつてしまつた」感情と云う。禅語のようでもあり、仏典の一節にも似る。主人公は強盗犯の供述に、とある悟達の境地を感じ取ったのだったろう。

 肺疾の着々たる進行と、衰えぬ創作意欲とのあいだに鋭く走る亀裂は、さながら暗闇のあまりに底を窺うことすらできぬ深い谷だったろう。闇から浮きあがってきたかのような、青い鬼火が気味悪く舞っていたことだろう。身を焼く焦燥をほんのいっときなりとも文学精神によって抑え込もうとすれば、梶井基次郎もまた自他一如の彼方から、つまり闇のがわに立って、光によって織りなされる諸相を眺めてみたかったにちがいない。
 『闇の絵巻』の末尾はこうなっている。
 ―― 私は今ゐる都会のどこへ行つても電燈の光の流れてゐる夜を薄つ汚なく思はないではゐられないのである。