軽い夏風邪をひいた気味があって、どうも寝起きの気分がよろしくない。
寝つきも悪かった。昨日の日記について、あれこれ思い出しては、考え込んでしまったのだ。ATG 機関誌『アートシアター』の手持ちを古書肆に出すことにしたのだったが、あきらかに漏れがある。たとえば羽仁進『初恋・地獄篇』がない。大島渚『帰ってきたヨッパライ』がない。ピーターこと池畑慎之介さんのデビュー作だった松本俊夫『薔薇の葬列』がない。思い出せぬものが、その他にもありそうだ。
ゴミ屋敷然たるわが陋屋のどこかに、身をひそめているのだろう。気分がよろしくない。
で今日は、昨日の周辺を掘りかえし始めた。ATG 時代に重なる雑誌『映画芸術』『映画評論』時代の映画論客たちの著書が出てきたのだが、これがまたひどい。記憶に残る本のかなりが出てこない。小川徹にいたっては一冊も出てこない。あるいは映画関連の著者としてでなく、花田清輝関連ということで、別の棚に分類したものだろうか。
しかし顔ぶれが揃うのを待っていては、一歩も先へ進まないから、とりあえず現れたものを古書肆に出す。大島渚のシナリオ集と、石堂淑郎・松本俊夫・松田政男・斎藤龍鳳・足立正生・佐藤重臣らの批評集だ。いずれもその時代に、賑やかに話題を提供してくれた文章たちだ。
小川徹『映画芸術』編集長に、佐藤重臣『映画評論』編集長という時代だが、佐藤重臣さんは、「読者の映画評」という投書欄に投稿した私に、生れて初めての稿料五百円をくださった恩人である。文末の投稿者表示に(東京都、十九歳)とある。
別系統の映画本を添えておく。黒澤明と成瀬巳喜男に関する二冊と、今村昌平の評論と野田真吉のドキュメンタリー映画論だ。黒澤の「自伝のようなもの」が、どういう事情だったものか書架に二冊ダブってあるので、一冊を出す。
新宿文化劇場の地下に「蠍座(さそりざ)」という小劇場が設けられていた時代があって、そこで「テレビ・ゼミナール」が実施されたことがあった。和田勉・萩元晴彦・今野勉といった人たちを、初めて観た。当時 NHK と TBS にあって、ドラマとドキュメンタリーに次つぎと話題作を叩き出していたディレクターたちだ。その時のプログラム兼教材みたいな小冊子が残っていたので、併せて出す。
近くから、ビデオテープが出てきた。『天井桟敷の人々(二巻組)』『去年マリエンバードで』『太陽はひとりぼっち』だ。いずれも観なおしたい気が今後も起きそうな映画だ。ただし VHS テープを再生できる装置が、もはや拙宅にはない。かようなものも扱ってくださる古書肆に出す。
身辺の片づけというもんは、じつにひと筋道ではゆかない。ジグザグに折れ曲ったり、うねうねと迂回したりの、へび道だ。