ATG や芝居(新劇)と出逢う以前の痕跡が掘出されてきた。当時のロードショーのプログラムだ。わが無邪気なる映画少年時代である。
近所の邦画館で二本立てを観るのが普通だったが、親に連れられてジョン・ウェイン主演の西部劇『アラモ』を観たことがきっかけで、大劇場でロードショーを観ることを憶えた。独りでトコトコ出掛けて最初に観たのは、天才子役ともてはやされたヘイリイ・ミルズ主演の『ポリアンナ』だ。ウォルト・ディズニー製作のホームコメディーである。後に中山千夏さんが子役として大喝采されて、日本のヘイリー・ミルズなどと称ばれたものだった。
主役が可愛らしいだけの、他愛ない映画だった。観たかったわけじゃない。『アラモ』を観た東劇へ、もう一度行ってみたかっただけだ。同じ映画館だからとて、同じように面白いわけではないと、身に沁みて知った。
プログラムには奥付がないから、発行年月日が判らない。チケット半券を残す習慣もまだ身に付いてなかった。以下の記憶の前後関係には、まったく責任がもてない。
『太陽の下の十八歳』はリゾート島での夏休み恋愛物語で、一部にそろそろ知られ始めていたツイストという踊りを、日本に大流行させた映画だ。丸の内ピカデリーで観た。同姓のニコルと二コラがホテルのルーム予約や荷物の取り違えの混乱に巻込まれて、反目し合いながら恋に墜ちる噺で、セパレートウェア(ヘソ出しルックと称ばれた)のカトリーヌ・スパークがツイストを踊る長いクライマックス場面以外は他愛ないナンパ映画だ。ヴァカンスを了えて島を去る船上がエンディング場面だが、「パジャマの縫取りイニシャルを替えなくても済むから」がプロポーズの台詞だった。自分と同じイニシャルとなると、どういう姓名の女性が当てはまるだろうかと、帰る道みち考えたりはした。
『太陽と遊ぼう』も夏休み青春映画。クリフ・リチャードを全篇に押出し、「サマーホリデイ」「プットオン・ユア・ダンシングシューズ」ほかヒット曲が次つぎ流れる映画だった。
『007は殺しの番号』はシリーズ第一作である。新宿ミラノ座で観た。大当りロングシリーズを予期してなかったものか、たいそうな邦題が付けられてある。が、シリーズ大当りとなってから、原題の『ドクター・ノー』で再公開された。事務所に戻ったショーン・コネリーが、脱いだ帽子を奥の帽子掛けに向けて放って見事に掛ける特技を、当然やってみたが、習得できるはずもなかった。
『鳥』には心底驚かされた。ピカデリーで観た。最初のヒッチコック体験だ。映画雑誌の情報を頼りに、他のヒッチコック作品に注目し始めた。はるか後年だが、初期のモノクロ作品が網羅された DVD 全集を買い揃えるまでになった。
『大脱走』はミラノ座で観た。世間ではスティーブ・マックィーンが大評判だったが、私はジェームズ・コバーンが好きだった。後年『荒野の七人』を観ても、同じ感想だった。ただし『華麗なる賭け』『ダイハード』と並べられると、やはりマックィーンも凄い。
『北京の55日』もミラノ座。「義和団事件」について、初めて知った。エヴァ・ガードナー、チャールトン・ヘストン、デビッド・ニーヴンといった大スター競演だが、北京駐屯日本軍将校の役で、伊丹十三(当時の芸名:伊丹一三)が出演していた。
『プレイガール陥落す』もミラノ座。ブロンド女優はと訊かれればホープ・ラングと答えるほど、惹かれた時期があった。グレン・フォードとのコンビでは前に一作あると知って、『ポケット一杯の幸福』を遡って観たからだ。後年ラジオパーソナリティーの「レモンちゃん」こと落合恵子さんが文筆業に転身され、『スプーン一杯の幸福』を上梓なさったときには、なんでぃパクりやがってと、思ったもんだった。
『ウェストサイド物語』は再公開のたびにいく度観たか数え切れないから、残っているのがいつのプログラムなのか判定できない。
きりがないから、以下題名のみ。
『ラスベガス万歳』、ウワッ、プレスリーとアン・マーグレット!
『パームスプリングスの週末』、トロイ・ドナヒューとコニー・スティーヴンス。能天気に明るいアメリカを強調する国策映画。ただし『ハワイアン・アイ』でお馴染みのコニーは、ここでもとほうもなく可愛い。
『シャレード』、ウワッ、オードリー・ヘップバーンとケイリー・グラント。
『幸福』、アニェス・バルダ監督独特の耽美性に、ここでもついて行けず。
『日曜日が待ち遠しい!』、フランソワ・トリフォー監督に最敬礼。
『スペンサーの山』、都会へ出たがる青年を引止めながらも、ついには励まし送り出す田舎の両親。ヘンリー・フォンダとモーリン・オハラは、笠智衆と東山千栄子だ。
『夏物語』、アルベルト・モラヴィア原作。地中海での大人の恋模様。マルチェロ・マストロヤンニとシルバ・コシナ。
『禁じられた恋の島』、年上女性を想うことで、つらい思春期を通過する少年。
『春のめざめ』、これも思春期映画。性欲とは面倒な手のかかるもの。
『チコと鮫』、南太平洋の純愛。伊藤アイコの訳詞主題歌がヒット曲に。
『クルージング』、ゲイ社会にハードゲイとソフトゲイとがあると知った。アル・パチーノの気味悪いほど凄味ある心理表現。
『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』、館内騒然、銀幕ライブ。
『地獄の黙示録』、音、匂い、風、煙。戦場の再現に驚愕。
『なんとなく、クリスタル』、ボウイッシュかとうかずこデビュー。可愛い。
『乱』劇場で観たのを忘れてた。それほど、その後も数多く観なおした。
暗がりで息をひそめるような中学生・高校生時分を過したとは、自分では思っていない。その後のわが半生から逆算して、そういえばけっこう暗がり好きな面もあったかもなと、合点がゆくていどだ。お陽さま好きだった証拠も、掘出されてこないわけではない。
東京オリンピック(もちろん1964年のだ)のバスケットボール試合のプログラムがある。前年のプレオリンピックとして、アジア予選を兼ねた横浜大会のプログラムも出てきた。国際親善試合と銘打った、ブラジルチームを招いての強化試合のぶんもある。
マニア向けに今日なお訴求力あると思えるのは、各国のポスター集だ。日本国中に張出された二枚のほかに、過去のオリンピック大会で主催国がどのようなポスターを国内に張りめぐらせたものか。またどのような記念切手が売出されたものかが、写真版で集められてある。
アメリカのプロ・バスケットボールチームである、ハーレム・グローブ・トロッターズが来日したさいのブログラムがある。まだ NBA が結成される以前のことで、競技として真剣な試合を見せるプロのほかに、娯楽興行として試合を見せるプロがあった。競技レスリングのほかにプロレスがあると、考えればさほど遠くはない。
むろん大学リーグなどでかつて名を馳せた一流選手たちだ。技量も体躯も一流なればこそ可能な、呆気にとられる驚愕プレイも思わず吹き出す滑稽プレイもある。審判員を煙に巻くチャッカリプレイもできる。満場大爆笑である。
その日本興業が成功したというので、数年後にはハーレム・クラウンズが来日した。本場ではグロ-ブ・トロッターズよりクラウンズのほうが格上なのだというような、まことしやかな宣伝文句まであった。事実のほどは判らぬが、どちらも愉快だった。
これらのプログラム類を、古書肆に出す。