一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

色あせた時間



 西武池袋駅の地下改札口を抜けて、地下道へと向おうとしたら、西武百貨店の入口が閉されていた。オヤ珍しい。その昔、毎週木曜が定休日という時代があったものの、年中無休体制となって久しい。あまりの猛暑に客足も落ち、臨時の夏休みでも設けたのだろうか。
 むろんそんなことはない。私のウッカリ失念である。というより無頓着である。

 西武そごうグループによる大所高所の経営方針で、西武百貨店が全面的な模様替えに着手するとのニュースは、だいぶ前に耳にした。いつから改装工事に入るかも明示されていたように思う。その時点では、まだ何か月も先のことだと高を括ったまま、日時を失念してきたのだった。
 衣料品や運動具などの高級ブランドショップは、数か月前から次つぎと売場を閉じていたらしい。私の眼が届く分野でもなく、前を通る機会もないから、視過してきたらしい。近くをしばしば通り、私自身も買物することがある地下一階が全面的に閉鎖されて入口を閉したために、ようやく眼に着いたわけだ。

 ガラス扉を閉して内にカーテンが降りた箇所だろうが、シャッターが降ろされた箇所だろうが、いたるところに双子のような貼紙が並んでいる。
 菓子店や有名食糧品店のブランドショップが居並んだ地下一階の名店街が閉され、スーパーにより近い地下二階だけが、まだしばらく営業されるらしい。地下一階を通らずに地下二階まで降りるには、ちょいとしたコツが要るようだ。
 また地下一階のいく店かは、七階で営業を続けていくらしい。中元・歳暮時期や、地方物産セールや、輸入品フェアなど、期間限定特集のための多目的催事場へと移るわけだ。

 拙宅がこの地へ引越して来たのは昭和二十九年(一九五四)だが、すでに東口には西武百貨店、西口には東横百貨店があった。むろんどちらも、いったん駅を出て、建物へと改めて入店する形態だった。西武は横に長い建物だったが、東横はサイコロのような四角い建物だった。
 東口の明治通り対岸に新ビルが建ち、三越が開業した。西武より小ぢんまりしていたが、お洒落な百貨店だった。今はヤマダ電機 LABI1 となっている。
 西武の北側(大塚寄り)に丸物百貨店が開店した。後年西武に吸収され、渡り廊下で繋がった。今のパルコだ。南側(目白寄り)にも増築した西武は、東京駅を抜いて東洋一長い建物になったと評判だった。

 戦後復興の観点からは一歩出遅れた西口だったが、東横が解体されて東武百貨店となり、いく度かの増改築を経て巨大化していった。以後は開発に次ぐ開発で、北口をも含む西口一帯は急速に変貌していった。駅近くには府立豊島師範学校学芸大学へと連なる)の校舎とグラウンドがあったが、巨大ホテルが建ち、芸術劇場が建ち、西口公園広場となっている。
 東口に西武があり西口に東武があるというのが、池袋の一大特色で、郷里の親戚が上京するさいには、口を酸っぱくして繰返し説明したものだった。

 西武線東上線から国鉄山手線や赤羽線に乗換えるさいには、地下改札への階段を降りるのではなく、階段を昇って跨線橋を歩いたのだと説明したところで、ご想像いただけるかたが、はてどれだけおられることだろうか。
 今では地下の自動改札から JR へ入って、発着予定の電光掲示を視あげると、ここから宇都宮へも高崎へも、小田原へも逗子へも、乗換えなしで行けてしまうらしい。利用したことはまだない。頭のなかの関東近県地図が歪んでくるようだ。
 なん年前だったか、所沢駅西武池袋線を待っていたら、「元町・中華街ゆき」がやって来て、そのときも頭がクラクラした。


 あたりまえの告知なのだろう。手順どおりの、簡明な業務広報なのだろう。ツイン貼紙にしげしげと眺め入って、もの想いに耽っているジジイのほうが、どうかしているにちがいない。
 昨日に続き、タカセ珈琲サロンへ避難。本日のおやつは、アイスレモンティーにメロンパンだ。