今日気づいた。いつの頃からか、高い処に心惹かれなくなっている。
保護者に連れられて、心躍る想いで東京タワーの展望台へあがった小学生だった。友達と連れだって、あえてエレベーターを使わずに、安全柵で囲われた外階段をえんえんと登って展望台まであがってみた中学生だった。
東京スカイツリーの展望台へと、あがってみたことはない。足元から観あげたこともない。浅草から、あるいは合羽橋から眺めたのが、再接近の体験だろう。それでも私には、十分「足元」から観あげた気分だった。日暮里の谷中霊園内には、スカイツリーを遠望できる絶景スポットがあって、そこに立って眺めてさえ、なんて近くに見えるんだろうと感嘆する。高所恐怖症ではないから、機会があればスカイツリーの展望台も見物したいが、年間をとおして混雑してるだろうし、順番待ちの行列もあるだろう。面倒な手配をしてまで、どうしても登ってみたいほどでもない。
いつ頃から、高い処への情熱を喪ったのだったろうか。東京都庁舎の展望フロアもたいした人気スポットと聴くが、赴いたことは一度もない。ユーチューブ動画が無数に挙げられてあるから、ほんのいくつかを観て、だいたいこんな感じの処かと想像してみるだけだ。つまり都庁舎が新宿西口へ移転した時代には、すでに高い処への興味を喪っていたのだ。
ところがその新宿西口にあった淀橋浄水場の跡地と周辺一帯とを、新都心として再開発するとの大構想がいよいよ緒について、だだっぴろい平地に先陣を切って高層ホテルが建って開業し、先を争うように目新しい三角形をした住友ビルが建ったときには、六十なん階かのレストランの窓際に席を取って、ビールを飲んだりした。高い処からの眺望にいくぶんかの興味が、まだあったと見える。三十歳には少し間のある、二十代後半だった。教材編集や広告文案の作成に追回される会社員だった。
どうもその頃から、眺望とか俯瞰とか、全体とか広域とかの観念に魅力を覚えなくなっていったらしい。しょせんは地べたを這うしか能のない自分を、自覚したのだったろうか。片隅とか暗がりとか、穴ぐらとか物陰とかに心惹かれるようになっていった。
一九七〇年前後の、学生運動華やかなりし時代の学生だから、活発やがて悲惨の移り行きのほんの一端を、この眼に視た。みずから運動に身を投じた経験はないが、運動家の友達は多かった。心情的には共感するところもあった。しかし社会変革よりも俺は文学が好きというエゴイズムを捨てきれなかった。保身に徹した。
長く在籍した留年学生だったから、退潮・分裂抗争・孤立先鋭化・行方不明までの過程を、わりに近い処から視た。たまさか選択外国語別に振分けられただけの、同期入学のクラスメイト四十人ほどのうち、二人が在学中に自殺した。一人が卒業後も苛酷な職場へとみずからを追込むかのように暮し、過労死した。
さすがに恥かしくて、卒業式には出席しなかった。学士証を受取りに事務局へ出頭した。学科別に分けられた教室でまだ分散パーティーをやっていると、顔馴染みの事務員から教えられて行ってみたら、もぬけの殻で、中央に寄せられた机の島には、ビールの空瓶が林立していた。廊下を歩いても中庭へ出てみても、知った顔にはひとつも出逢わなかった。三年後輩たちとの同時卒業だった。かろうじて生残った、との実感があった。
「人なみの幸せになりたいものだ。けれど人より余計に幸せになるのは、よそう」
脈絡もなく、ふいに湧いた感傷だった。
そのときの愚にもつかぬ感傷の毒が、思いのほかしぶとくて、後のちまでわが身をさいなんだ。わずか三十歳近くほどの年齢で、高い処からの眺望に興味を喪ったのも、あるいはその感傷と遠く関係するのかもしれない。
タカセ珈琲サロンで今日のおやつは、アイス珈琲にラムレーズンパン。というよりも、ぎっしり大量の酒漬レーズンの周囲をわずかに薄皮パンが包んでいるといった逸品で、ビタミンの塊を頬張る心地がする、わが大好物のひとつだ。
陽盛りを過ぎたので、少し歩く。パルコ本館の世界堂へ。西武百貨店階上のロフトばかり利用しがちだが、これからは西武がどうなって行くかも知れない。昔の世界堂へはしばしば足を運んだものだったが、パルコ内に入ってからはおそらく初入店だ。
パルコ別館へ移動してタワーレコードへ。K-POP の棚はどうせ解らないから観ない。JAZZ の棚に、名盤・名演奏は案外少ない。J-POP 棚には昭和レトロというのかリバイバルというのか、懐かしいものが並んでいる。そこで気づいた。若者は CD を買わないのだろう。それにしてもユーミンと中島みゆきがすごい量なのは解るとして、中森明菜が高橋真梨子が竹内まりやずらりと並び、大橋純子や朱里エイコまで揃う。やはりターゲット層高めだ。ちあきなおみがあり倍賞千恵子がある。桜田淳子まである。
今聴き直してみたらどう聞えるだろうとの気も起きかけたが、酔狂が過ぎようと思い留まり、買物はしなかった。気紛れの聴き直しなら、私だって検索できる。
ストリップのミカド劇場前を抜けて、物陰からビルの写真をワンカット撮った。パルコ本館前まで戻って、もうワンカット撮った。