気持は解らぬでもないが、そろそろ停戦して、次へ行こうじゃないか。
左岸右岸の君子蘭ひと株づつが、まだ咲きやめようとしない。初めの一花はすでに萎れて、紐のように垂れさがっている。第二花も盛りを過ぎ、うなだれている。今咲いているのは第三花だ。しぶとく第四花を準備している気配すらある。
意思は尊重する。開花中に手折ったり、伐り払ったりはしない。けれど当方の思惑とすれば、周囲の兄弟株のように葉を伸長させて、早く身体強健を目指して欲しい。生命力の消費方向に一考を求めたい。
昨日今日で、また仔ネズミが二匹捕獲された。当方装備が手薄になってきたので、最新鋭粘着兵器を増強したばかりだ。
絶命数分前というなんとも悪趣味な写真を掲げると、読者さまからの反応がてきめんに落ちる。私だって当初は写真を添えなかった。が、考えを変えた。悪意はなくとも宿命的に利害が反した相手への、鎮魂および成仏祈願という観点から、そしてなによりも身辺に実在した動かぬ第一次資料の固定との観点から、あえてレンズを向けるようにした。言い訳する気はないが、好きでやってるわけじゃない。
今年も仔ネズミたちによる物音が繁くなったと、トラップを按配して四匹を捕獲したのは、六月下旬のことだった。物音がなくなりはしなかったが、だいぶ下火となって、いささか愁眉を開いた。
ところが昨週末のこと、定常的に設置しっぱなしだったトラップに、わずか二日間で四匹もの仔ネズミが掛った。かつてない頻度だ。六月末に駆除した仔ネズミたちよりも小柄で幼い。次なる世代か、別家族かだろう。物音が増えたとの実感がなかったところをみると、家中を盛んに騒ぎ回り始める以前の仔たちなのだろう。
これで山を越えていてくれればいいがと思いつつも、手薄となった装備を補充した。と、昨日今日でまた二匹というわけだ。
母ネズミに告ぐ ‼ ただちに作戦を断念のうえ戦線を放棄して、拙宅から退去しなさい。当方は徹底抗戦を希望していない。殲滅掃討戦を悦ぶものではない。
一昨年は当方の作戦発起が立遅れ、悪戦苦闘を強いられしも、成長した貴軍の先祖四匹を駆除して、停戦に至った。その甲斐あってか昨年は、さいわいにして大いなる戦もなく過ぎた。だが当方は油断していない。経験値も増えたし、装備の技術改良も目覚ましい。わが防衛力の一端は、去る六月末の四匹一挙捕獲にて視られたとおりである。
性懲りもなく、ここへ来て新たな幼兵六匹を喪い、貴軍に発展繁栄の見込みが立たぬのは、火を視るより明らかである。すみやかなる撤退を勧告する。以上。
蝉の声が塊となって、頭上から滝のように浴びせかけられる。
園長先生、七十年ほども前、第一回卒園生だった私です。整備された、見事な幼稚園となりましたね。門も塀も、建物もプールも、当時の記憶と一致するものは、なにひとつありません。変らないのは園章だけです。中央と左右とに葉っぱを伸ばした、ちょいと立教と似た、あの図案です。園章のついた帽子をかぶって母親に手を引かれてゆく園児さんを道で視かけると、今でも懐かしい想いが湧きます。今のご立派な園長先生は、わたしよりもっと小さかった、あの息子さんだそうですね。
憶えていらっしゃいますか。暴れん坊の吉川君がシンバルを振回して、山口君の額をパックリ割ってしまったとき、生れて初めてあんなに大量の血が流れ出すのを視ました。なんとか塞がねばと咄嗟に思ったのでしょう、山口君の頭を胸に抱きしめたまま、大声で泣き叫びながら、園長先生を呼びましたね。私の白い開襟シャツも、まっ赤に染まりました。あのときの私です。
すっかりジジイとなりました。植物に無理難題を云い、小動物に殺生を重ねるジジイとなりました。