一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

夜の景色



 窓から東北東方向へ、池袋方面を望む。

 蒸暑い日ではあったが、南国型のスコールには見舞われずに済んだ。夜更けてからは、北寄りのそよ風が窓から吹込んで、オヤ心地好いと思わず感じてしまう。感じてしまってから、イヤイヤ騙されてはならぬ、不愉快な時間があまりに長いために、ふとした拍子のそよ風ごときに気を好くしてしまうのだと、気を引きしめ直す。

 寝苦しい、また寝つけぬ夜はほとんどない。「アイスノン枕」と「熱さまシート」のおかけだ。ただし眼醒まし設定時刻まで眠れることは稀だ。就寝時刻の六時間後に設定する習慣だが、眠り足りた気分で眼醒めても四時間半ていどしか経っていないことが多い。ひどい場合には、二時間づつ三回に分けて睡眠したりもする。
 眠り足りぬ心残りがあっても、エイヤッと起きてしまう日もある。そんな日は、昼間に頭がボンヤリしてきたり、パソコンの前でふと睡魔に襲われたりする。気分転換に出歩いても、乗物だの喫茶店だの心地好い冷房が効いている処で腰を降ろすと、つい居眠りしたくなる。ものの五分、長くてもせいぜい十分以内のコックリで、体調が戻る。頭もスッキリする。

 眠りが浅い、もしくは寝つけないご同輩が全国には無数におられるからこそ、NHKラジオ深夜便」は高齢者向け番組なのだろう。私に限っては同じ理由ではなく、もともと夜型人間なのだと、自分に思い込ませて暮してきた。しかし落着いて考えれば、強弁である。負け惜しみにして、自己欺瞞だ。
 しのぎやすい春秋期は夜型も差支えなかろうが、厳寒期には「寒過ぎるから寝ちまおう」が正しく、今の季節には「体力温存には眠るのも仕事のうち」が正しい。
 さよう思案してこの一週間あまり、無理にも就寝し、眠り足りぬ点は日昼にエアコン涼を求めてさまよい歩くのを日課としてみたのだった。
 ところが今夜は、窓から一陣のそよ風すら吹入ってきて、いくらかしのぎやすい。そうなれば待ッテマシタで、もっと早く処理すべきだったのに、暑苦しさにめげて先送りしてきた問題が浮上する。


 冷蔵庫の鶏肉が、消費期限を五日ほど過ぎている。冷凍はしていなかった。鼻を近づけると異臭を発し始めてはいるが、腐臭ではない。異臭と腐臭との相違は、経験によるとしか云いようがない。
 もっと早くに出番を授ければ、抜群の味と食感とを提供してくれたであろう野菜たちも、なかば諦め気味におとなしく出番を待っている。今夜こそ、時だ。
 一気に、しかも大量に処理するには、揚げてしまって出汁に漬けこむのが無難だし、安全だ。つねよりも大胆かつ過激に酢を効かせた漬け汁のイメージが、はっきり頭に浮んできた。季節外れの揚げびたしである。

 難点は時間がかかることだ。つねよりもいっそうじっくりと、低温油にて揚げねばならない。電子レンジでの熱通しはしたくない。肉からも野菜からも、水が出てしまうからだ。飽くまでも生からじっくりを貫こう。人参とじゃが芋を洗って皮剥きを始めたとき「ラジオ深夜便」では和歌山県の祭の紹介やぼやき川柳だった。週末の大阪局からの十一時台だ。揚げ始める。
 時報が鳴ると「日付が変りまして」のニュースだ。アジアリポートはラオス在住のご婦人による伝統織物の紹介とラオス多民族事情。続いてタイ在住のご婦人によるスポーツ事情だ。パリ五輪でのタイ人メダリスト紹介とサッカー熱やムエタイ熱の噺。
 次は大学のお若い先生による漫才史。太夫・才蔵の噺、喋くり漫才の発祥にまつわるエンタツアチャコ秋田実の噺。そんなこと知ってるよ、この眼で観てきたんだから。野菜の素揚げはようやく半ばを迎えた。
 午前一時台は「あべのハルカス美術館」にて目下開催中らしい広重展について、館長さんへのインタビューで、これはじつに面白かった。八月中は展示しているらしいから、久かたぶりに大阪まで出かけてみたい想いに誘われた。ただしたいそう混みあっているとのことだ。
 すべての具材を揚げ了えて、漬け汁への漬けこみ完了し、保存しておいたレモン甘酢漬けの残りをすべて載せた。あとはラップして二十四時間、冷蔵庫である。午前二時台のボブ・ディラン特集が流れていた。