一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一千と二百〈口上〉



 時まさに盆。いずれの仏教説話によりますものか出典はぞんじませぬが、古来の民間伝承によりますれば、昨年十七回忌でした亡母と来年十七回忌を迎えます亡父とが拙宅へと立ち戻り、つかの間の歓談と食事とを愉しみおる佳き日でございます。
 まさか胡瓜や茄子に割箸の四足を突刺しまして、両親の乗物である牛馬を用意することまではいたしませぬが、両親ともゆめゆめ途に踏み迷うことなかれと、昨日は菩提寺さまへお願いをいたしてまいりました。
 おりしもさような日に、重ねてごくごく私ごとにて恐縮ではございますが、ひと言ご挨拶を申しあげます。

 本日かようなご挨拶を投稿いたしますことをもちまして、当「一朴洞日記」を書起しましてより、一千二百日の連日投稿と、あいなりましてございます。
 もっともこれは日数勘定でございまして、諸般の事情から同日に複数回投稿の日もございましたので、投稿回数勘定におきましては、六十数回以前に一千二百を突破しておりました。
 ただ今のように、うだる熱暑になにもする気が起らぬ日々にも、また大晦日・元日といった、まさかかような日に日記でもあるまいという日々にも、とにもかくにも身辺の取るに足らぬ事どもを綴ってまいりました。あるいは脈絡もなくふいに蘇りました記憶断片を、記述してまいりました。意義ではなく、ましてや価値ではさらになく、ただ動かしがたい老残の実態として、記してまいった次第でございます。

 かように無意義無方針きわまる勝手が持続できましたのも、ひとえにお励ましくださいます読者さまのおかげでございます。区切りのこの日に、改めて深くふかくお礼申しあげます。ありがとうございます。
 思えば思うほどに、得がたきご縁でございます。三年と四か月もかけまして、当日記の登録者さまは、わずか二百名さまでございます。開始時の勢いとでも申しますか、開始して半年後にはたしか百五十近くでございました。その後三年近くもかけまして、五十名さまが増えたに過ぎません。
 もっとも、連動させております SNS からお越しのかたもおありですから、読者さまの延べ人数につきましては、私には把握できかねます。いずれにいたしましても、アクセス回数と読者数との割り算から想像できますことは、限られたかたがたから毎日のように繰返しお眼通しいただいている模様でございます。まことに秘密結社のごとき日記でございます。

 過去に三度ほど、大病に見舞われた身ではございますが、この三年四か月に限りましては、大過なく過せたことも、幸運でございました。寄る辺なき独居老人ではございますが、この間救急車騒ぎを起すこともなく、躰に医療器具が入ることもなく、過すことができました。
 しかしこの点に関して申しますと、今後は予断を許せません。老人に通有のことではございますが、かつてのごとくではない肉体の変調や不自由には事欠きません。いずれ精密なる検査を受けますれば、なにがしかの疾病が発見され、応分の加療を要すると診断されるでありましょう。もし入院安静を要すという破目にでも陥ろうものなら、日記の材料には困りますまいけれども、投稿は不可能となりましょう。
 さような日がいつ訪れても不思議でないというのが、老人の現実でございます。

 私のことですから、もし予兆がございましたら、必ずや話題といたします。そして病床日記・療養日記に切換えます。いえ、病床にて思い浮びましたる妄想日記に切換えます。
 それまでの猶予期間としてこれまでどおり、一、天下国家を語らず、二、けっして人さまのお役に立とうとはせず、三、欲惚けより色惚け、の三大方針を貫いてまいります。
 変り映えなき、繰返しを辞さぬ日記ではございますが、一老人の実状と思し召されまして、今後ともお付合いのほど、伏してお願い申しあげます。