
毎日のようにお眼にかかる、たんなるプラゴミたちかといえば、さにあらず。再利用されるべき、わが台所における掃討作戦の精鋭部隊にほかならない。中身の食品が底を衝いたからといって、ただちにプラゴミ用の大袋行きなどというのは、もってのほかである。
足かけ二年ほど、腸捻転の慢性化に悩まされたことがあった。六年前から五年前にかけてのことだ。
ある日突然に排便が止る。便意は覚える。大腸のなかに蓄積したものがある。が、直腸まで降りてこない。もどかしい。放屁(おなら)も出なくなる。症状が数日続けば、事態は異常である。とても苦しい。
ホームドクターに診断を仰ぐと、エコー診察をしながら、「こんな大腸、観たことないなあ。ただならぬことですよ、これは」とのことだった。その時点ですでに、一週間ほど便通が止っていた。マッサージやイチジク浣腸で素人対応を繰返しながらも、すべて無効に了っていたのだ。
ただちに日大板橋病院の消化器内科へ赴いた。かつて心臓発作を起して救急車で担ぎ込まれて以来、わが基幹病院となっていた。
大腸の末端というか、直腸への連絡通路というべきところに S字結腸という、文字どおりサーキットの S 字カーブのように曲りくねった箇所がある。そこが異様に長く伸びた。伸びただけであれば、便やガスが遠回りするだけのことで、日常生活に支障はない。そこが絡まったのだった。軸捻転といって、捻れた状態となる。ちょうど細長い風船を捻って動物の形を造る、縁日の露店にある風船玩具のように。
消化器内科では、画像診断しながらのカテーテル治療で、腸内を引っかき回して、捻れをほどいてくれた。捻れた風船を逆回転させて、空気が通るようにしたのである。治療後の経過を診ることも含めて、わずか数日の入院で済んだ。
ただ教授回診のさいには「この症状は慢性化しやすいので、注意してください。異変を感じたらすぐに来院を」と、忠告を受けた。
なぁに十人が十人とも慢性化するわけでもあるまいしと、高を括っていたのだったが、半年後に再発した。また、ほどいてもらった。十五か月目には、なんと四回目の入院となった。
こりゃイカン。元を断たねば。消化器内科から消化器外科へと、院内引越しをさせられた。急なこととて適当なベッドの空きがなく、放り込まれたのは癌病棟の一番奥の部屋の隅に無理やり拵えた、臨時ベッドだった。外科の教授回診のさいには、なぁんだ癌じゃないのか、という顔をされた。で、長過ぎる S 字結腸を手術でちょん切って、程よい長さで繋いでもらって退院した。
一年半の断続闘病生活の成果は、排泄物・汚物を視くびってはならない、よく観察しなければ、という感想だった。で、ようやくわが台所のゴミの噺である。

調理台の周辺にはつねに、それ自体がプラゴミだったかもしれぬ小袋がふたつ、口を開けている。野菜の切り屑や剥き皮や、玉子の殻や、小さな紙屑や使用済みマッチの軸や灰皿の吸殻など、焼却炉へ直行のいわゆる家庭ゴミ用がひと袋。もうひとつがプラゴミ用である。
プラゴミについては、細く折りたたんで結べるものは、できる限り結ぶ。弾力・反発力を奪って、ゴミの嵩が驚くほど小さくなる。指先をつねに駆使することは脳の老化対策に好いのだとの、ささやかな言い訳も用意してある。

ゴミが溜ってきたら小袋の口を伸ばして、おにぎりを結ぶように両掌で中の空気を押出す。口の残りに余裕があれば結ぶ。なければ小袋全体を紐で縛る。
はなからエコを考えたわけではなかった。ネズミによる悪戯にいささかなりとも抵抗しようと始めたのだったが、驚くほどゴミの密度が増すことが判り、習慣化した。
あきれるほど非効率な作業であることは明白だ。しかしながら、いかに天文学的(というか量子論的)微小な効果とはいえ、有益であるにはちがいなかろう。振返って、今の私が採りうる、間違いなく有益にちがいない行為など、ほかにあるのだろうか。
極小の自覚、微細の発見、ということがなければ、文学と云い芸術と云ったところで、また精神と云い信仰と云ったところで、じつはなーんにも始まらぬのではなかろうか。なんぞと口走ると噺が大風呂敷に過ぎるから、これは撤回してもよろしいけれども。
矛盾がひとつある。焼却ゴミを集める小袋自体が、プラゴミ材質であることだ。確信犯的な違反行為である。