
『柳宗悦蒐集 民藝大鑑』全五巻(筑摩書房、1981)
多大な影響を受けた思想家のひとりに、柳宗悦があった。宗教哲学の人であり、美学の人だ。白樺派にあって、小説も書かず歌も詠まず句も作らず、画も描かなかった、ただ一人の人だ。にもかかわらず美の鑑定者・美意識の提唱者としてつねに仲間の中心的存在として、白樺派の背骨を形成した一人である。
一般的には、宗教哲学や美学のエッセイストとして知られることはほとんどなく、民芸の蒐集家とされ、また民芸運動の創始者・実践者とされる。だいいち今日用いられる「民芸」(民衆的工芸品)という語は、とある蒐集旅行の車内で、柳と河井寛次郎と濱田庄司とが額を寄せて発明した語である。それまで「民芸」とは民衆芸術の略語だった。今日もある「劇団民藝」はそちらの意味だろう。
庶民の暮しにあって役割を果す日常雑器や、農具工具ほかの道具類や、衣裳や消耗品としての絵画・彫刻などに、美を観た。丈夫で使い勝手が好く、量産できて原材料が入手しやすく、廉価である品物には、芸術家の手になる高級品とは別の美が備わっているではないかと視抜いた。ありふれているのに美しいのではなく、ありふれているからこそ美しいと観て取ったのだ。
薄っぺらな解釈をする人もあって、ふだん使いの身近な品物をも、少しでも美しくしようと願った無数の庶民の知恵が働いたなどと云われたこともある。残念ながらそれは間違いだ。
美しくしようなどとは、いささかも思わなかった。ひたすら便利に、手軽にしようとしたのだ。それが美しいなどとは、だれ一人として考えてもみなかった。そんなものは美とは無縁と、あたりまえに考えていた。
まさにそれこそが美だと、云って観せたのは柳宗悦と仲間たちだ。「美」を定義し直して観せたのである。
今日多くの人が「渋い美」「温もりのある美」「いたづらに主張しない美」なんぞと気軽におっしゃる。それが日本の伝統美だとまで。冗談じゃない。江戸期はおろか明治期の人たちだって、それを美なんぞと称んではいなかった。
柳宗悦らが全国の古物市や旧家の蔵や、寺院の縁の下や農家の物置きやから、ガサガサと掘起し蒐集した品物の多くは、今日東京駒場の日本民藝館に収蔵されてある。数量ともに膨大であって、季節ごとに特集を設けて陳列換えしたところで、とうてい全貌を展観に供することなど不可能である。
そこでわれら部外者にありがたいのが写真資料だ。柳宗悦の著書をとおして、また機関誌をとおして、じつに数多くの写真が公開されてきたが、その極め付き集大成とも申すべき豪華写真集が『柳宗悦蒐集 民藝大鑑』全五巻だ。民芸に心寄せる者にとっては、まさにバイブルともイコンとも云える愛蔵版である。
予約申込みして刊行と同時に購入したのだったから、私も長年愛蔵したことになる。私の凡庸な眼にさえ見えるものは、おおむね観せてもらった。今の私としては、眼に観ることができても、直接触ったり匂いを嗅いだりできぬことを遺憾とする。老化が進むにつれて、手に馴染むだの身近に置いて親しみが湧くだのといった、直接的な感触を強く信頼するようになってきている。恥かしながら、眼に映ったものを観念的に受容処理する思考力が減退したのかと思う。
『柳宗悦蒐集 民藝大鑑』全五巻を、古書肆に出す。
『民藝図鑑』全三巻(宝文館、1960)
日本民藝館の収蔵品を世に紹介しようとの試みは、それまでにもあった。もっとも大きな、そして重要な刊行は『民藝図鑑』だった、柳宗悦が生前みづから監修したものである。写真はモノクロームだが、品物選定には間違いあるずもなく、まことに行届いた刊行物である。柳宗悦らが、どういう世界をもって「民芸の美」と提唱したかは、こちらをもっても十分に伝わる。
だが私の気分は同じだ。余生を手触りある世界に生きたいと、切望しているわけだ。
『大鑑』が世に出た今となっては、むしろこちらのほうが珍しい写真集なのかもしれない。柳宗悦監修『民藝図鑑』全三巻を、古書肆に出す。