
陽気がひと息ついた。台風が接近したらしい。上陸は免れて、北東方向へと急旋回してくれるらしい。ひと息つけたのは関東だけで、全国では今日も猛暑だという。
眠りが浅い。目覚し時計の指定よりも早く起きてしまう。躰がだるい。
例年九月ころになると、陽射しは優しくなったのに、躰は妙にだるいという時期がやって来る。猛暑にあぶられてきた躰の奥底に疲れが蓄積されていて、陽気のゆるみとともに滲み出してくるといった感じだ。今朝の体調はそれに似ている。猛暑に対して頑張って意地を張ってい躰が、ふいにつっかえ棒を外されてよろめく感じだ。しかたない。今日も外出する気分ではない。かといって力作業も願いさげだ。
迷っていた原稿をなんとか仕上げる。最後の点検。気の滅入る作業だ。下手だなあと痛感する。つねのことだ。書き了えて意気揚々、活字になるのが愉しみだというような気分を、最後に味わったのはいつだったろうか。二十歳代の同人雑誌原稿までだったのではないだろうか。編集のかたに送稿する。
食事を済ませ、溜っていた来信メールに返信し、溜っていた郵便物を保存と不要とに仕分けているうちに、陽が傾いた。あい変らず躰がだるい。ここ数日、睡眠不足が重なっているのではないか。日に二時間不足したていどでも、五日溜れば十時間の不足だ。老体によろしいということはあるまい。よし、わが日常習慣にはないことだが、昼寝というものをしてみようか。長い時間の昼寝はかえって躰に毒と、ラジオが云っていた記憶がある。一時間の昼寝、と目覚し時計を設定した。
三時間も眠ってしまった。時計は鳴ったのだが、眠り足りぬ思いが強く、もう少しと二度寝したら、あと二時間も眠ってしまった。
台所へと上る。集中的に炊事する気になれない。そういう場合には、今の自分の躰がどれほどの食物を摂取できるか、腹具合の機嫌を確かめながら、用意しては食べるをだらだらと繰返す、さみだれ式食事をすることにしている。コース食事と名付けている。
昼はカレー炒飯だったから、玉子とウインナと玉ねぎ二分の一個、それに米は今日ぶんを摂取した。それ以外の組合せでよろしい。即席ポタージュ、もずく酢、イワシ缶、それにじゃが芋一個を薄切りにしてソフトチップスに揚げた。
足りずに食事が長引く場合も想定して、豆腐と薬味皿一式は備えておく。これに発泡酒がひと缶添えられれば、足りるはずなのだが。

発泡酒はやめた。躰がだるいときに、酒精飲料は禁物と判断した。となると、少々口寂しい。物足りない。小鍋でつゆを100㏄.だけ仕立てて洗い桶に張った水で冷ます。素麺を茹でる。ツルツルッとひと息ですするわけではないから、氷水に泳がしがしたりはしない。ザル素麺である。
ラジオからは『宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど』が流れてくる。いつもながら、宮藤官九郎というお人は、素晴しく頭の好い人だ。ゲストとの間合いが毎回絶妙だ。磨き上げ工夫を重ねられた芸なのでもあろうが、相手との最適な距離を模索し察知する、動物的な勘の鋭さを感じる。邪推するが、家庭環境か友人関係か、幼少期から対人距離に関する痛切な想いを噛みしめてこられた人なのだろうか。痛いたしいほどの才能だ。
続く番組は『問わず語りの神田伯山』だ。これまたとんでもなく噺上手な独り語りである。力強い語りだが、じつは用心深い。戦略的でもある。巧いなあと、毎回感じ入る。ご本職の講談にあっては、芸の高みを追求なさるあまり、演しものによっては芸になり過ぎてしまった味わいもあるが、それもかような注意深さゆえであったかと納得させられる。
玄人衆は、齢をとっても衰えぬ語りを身に着けておられるのだろう。この曜日のこの時間帯には、打ちのめされるほど感じ入る。私はと申せば、かつて教壇用に拵えたネタのいくつもが、今では体力的に語れなくなっている。
素麺を食い了えたら、熱い珈琲。冷たい牛乳。コース終了である。