
開始は午後四時という。老人の宴会は早始まりで早開きだ。まだ暑い。
自前持寄り宴会だから、サミットストアに立寄って、なにか肴を都合する。池袋駅を歩きながら不安になった。早くも疲れている。会場へ辿り着くまでに、へたばっちまうぞ。しばし迷った末に、タクシー乗場へと歩を向ける。今の分際にはぜいたくだが、命あっての物種だ。
「ドライバーさん、日暮里まで。足立ナンバーでいらっしゃるようですが、あのあたりお詳しいですか?」
「いえ、池袋のそれも東口がもっぱらでして」
タクシードライバーにはだれしも、得意とする、または好きな定点があって、たとえ営業所が離れた地域にあっても、出番の初めに一目散に定点へと着ける。今日乗り合せたのは、下町ナンバーの山の手ドライバーさんだった。
護国寺前から不忍通りへ。
「この急坂を、都電が青息吐息で登ったもんでしたが」
「ほう、都電が走っていましたか。そう云えば、東京はけっこう坂が多いですねえ」
目白台の崖を削って千歳橋となった噺。目白台の南斜面の景観を愛して椿山荘を別荘にしていた山縣有朋が、行く手の低地に無粋な学校なんぞを建てやがってと大隈重信を憎んだ噺。
「道灌山下の信号を左折して、道灌山通りへお願いします。西日暮里駅をくぐりましたら、尾久橋通りを右折して、日暮里の先まで行ってください」
ここに今も建つ学校の生徒は、かつて等距離にある田端駅と日暮里駅とから半々に登下校していたのが、ある年に学校前に西日暮里駅が開業してしまった噺。今では駅前に学校を建てたと、世間から思われてしまっている噺。
一期一会のタクシードライバーさんを相手に、日ごろは思い出す機会すらない他愛ない噺をするのが、私は好きである。

ビルの一階に、知らねば通り過ぎてしまう地味な食堂が、ひっそりと灯を点している。夕方からは酒場となる。老人たちによる生存確認の夕べだ。骨を折ってくれる仲間のおかげで、年にいく度か懐かしい顔ぶれがつどう。
巨大出版社で編集からあがって取締役まで勤めあげた男がいる。巨大テレビ局で聴けばだれもが知る番組を創った男がいる。巨大百貨店の設計部に在籍してロンドンや台北に支店を建てては、店舗開業と同時に帰国してきた男がいる。生協を勤めあげて、今も都議選だ参院選だと汗をかいている男がいる。
弁護士が死んだ。家具・生活用品の老舗メイカー社長が死んだ。寂しくなるねえとの話題が出るころ、近年いくらか楽になったからと、顔を見せてくれるようになった新たな定連が加わった。祖父から三代続いた老舗書店を、先ごろ断腸の思いで廃業した男がいる。電気・電子設備会社の技術屋で、巨大プロジェクトのたびに転勤を繰返してきた男がいる。成田空港を利用する機会はなくとも、開業前の管制塔の内部ならよく知っているという男だ。
正業をもたずに転々と身を翻して、生涯を半端に生きたのは、どうやら私ひとりだ。だが会えば、ラグビー部の、野球部の、サッカー部のアイツ等である。そして電気設備の技術屋と私は、バスケットボール部生残りである。数値はどうだ? 奥さんお元気か? お孫さんどうなった? 猫は変りないか?
根岸の里だ。広重はこの界隈を多くの版画に残している。田畑や雑木林や池のある風景だ。寺だの地蔵だのを目安に、今のどのあたりかがおおよそ判る。
正岡子規はこのあたりを散歩したろうか。幸田露伴も歩いたろうか。今はビル群だ。