一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

日本美ということ



 日本語の使い手として屈指の作家であることは、だれの眼にも瞭かなのに、鴎外・漱石よりも、藤村・秋声よりも、泉鏡花の名を先に出す人がないのを、不思議に思っていた齢ごろがあった。今はさほど不思議とも思わない。

 霊威にまつわる感性においてずば抜けた作家だったのは明白だ。が、因果のもつれや情念の交錯を描いた果てに、根柢の結び目を論理でつながずに非論理で飛躍する習性がある。合理的な論理でつなぐ近代文学でないばかりか、朱子学的道理をもってつなぐ中近世文学ですらない。最終決着を神秘性に委ねる古代文学の趣をまっとった文学だ。手が焼けることに、それらがまたなんとも美しく、魅惑的だ。
 尋常ならざる美しさゆえに、芝居も当るし、映画化作品も成功する。もし脚色して舞台化するような仕事に就いていたら、もしくはみずから創作台本を書く身となっていたら、私のような者でも鏡花世界にもっと深入りして、研究せざるをえなかったろう。が、幸いにして私には力もなく、機会も廻ってこなかった。世間常識という月並論理をかざして生きていればよい、無難な途を歩けば済んだ。

 あるとき鏡花が、火鉢をあいだに若き出版人と差し向いで談笑していた。
 「最近の若いもんは漢字を知りませんでねえ。つい先だっても、〇〇という字、〇偏にほら、こういう字を書きましょう?」
 火箸を右手にして、宙に字を書いて見せた。説明を了えた鏡花は、火箸を火鉢の灰に戻したあと、まるで黒板消しでも使うかのように、空中の文字を手で消したという。
 この人には、なにが見えていたのだろうか。かような感覚の持主が少なくとも一人は、わが国の文学の先達にあったことを、我われは誇りとしてよい。

 もはや私にとっては、おりおりに拾っておいた、明治文学全集や各社の現代文学全集の一巻としての『泉鏡花集』いく冊かがあれば足りる。『鏡花 小説・戯曲選』全十二巻(岩波書店)を古書肆に出す。


 ノーベル文学賞の受賞講演を「美しい日本の私」なんぞと題したもんだから、また受賞理由の対象作品が『古都』だったりしたもんだから、川端康成をして日本の美意識伝統を典型的に体現した作家なんぞと、思い込んでいる読まず読者があんがい多い。
 とんでもない。言語観においても造形感覚においても、見事なまでに西洋的な近代芸術家である。作品の舞台とされた風土・風光がすこぶる日本的であり、登場人物のなりふりがいかにも日本人臭いだけのことだ。

 川端研究者の多くが、各作品の奥底に沈澱する不気味な孤独感に言及する。幼くして両親と死に別れ、育ての親たる祖父もほどなく他界して、孤児として遠縁をたらい回しにされた生立ちに由来するのではと、解釈する向きが多い。いく分かは当っていよう。
 その孤独感は、肉体と外界との境界感覚に表れていると、私は感じてきた。たとえば腋の下の空間だの、両内腿の間だの、掌にあっての各指の間など、ようするに両腕両脚を伸ばしたひと尋の内側は、たとえ生物学的にも医学的にも肉体の外ではあっても、日常の肉体感覚においては我が躰の内みたいなものだ。それが我われの月並な肉体感覚というものだ。が、川端文学にあっては、さようではない。人肌から一ミリ離れたそこは、人間の外部である。

 彫刻家であれ画家であれ、近代の芸術家であれば、当然至極と嗤うことだろう。まさにその意味で川端康成もまた、近代芸術家だった。
 長い文筆生活にあって、題材は広がった。おおいに変容したかにも見える。だが造形感覚や芸術家意識の発露と眺めたとき、じつに一貫した世界とも見えてくる。
 しかし、いく篇かの代表作を精選した文学全集中の一巻物『川端康成集』を残せば、私にとっては足りる。
 『川端康成全集』全十九巻(新潮社)を、古書肆に出す。末尾四巻に集められた「文芸時評Ⅰ~Ⅳ」は、値打ちものである。
 併せて、いく冊かあった川端研究や川端回想の書をも、古書肆に出す。