一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

鹿の気持



 昨年は流氷のハズレ年だったそうだ。今年はアタリ年だという。流氷観光の最適期が続いているそうだ。

 稚内近くから根室半島まで、流氷を観られる沿岸は五百キロにも及ぶという。東京・大阪間に近い。ただしいつでもどこでも、というわけにはゆかない。風向き・海流・地形によって差異がいちじるしく、しかも目まぐるしく変化する。ここでは観られても、岬を越えた向うがわでは観られないということがあるそうだ。昨日は全然観られなかったのに、今日はビッシリということすらあるそうだ。
 「絶景でした~」「アテ外れじゃん」などといったネット投稿に惑わされず、地元市町村の公式サイトに掲載される流氷情報のみを参考にして欲しいと、住民レポーター氏はおっしゃる。

 彼おっしゃるには、今年はこんなにも流氷のアタリ年なのに、観光客の出足がもうひとつだという。問題はそのおっしゃりようだ。「オリンピックがあるから、お客さまはいらっしゃらないのでしょう」だと。北の国にも、洒脱なユーモア感覚の持主はおられるもんだ。
 氏によれば、流氷が敷き詰められた海から朝陽が昇るという絶景ポイントが、なん箇所かあるそうだ。かと思えば、流氷の海に西陽が沈むという絶景ポイントもあるという。半島や岬の形態がじつに微妙かつ多彩で、穴場には事欠かぬそうだ。
 もっとも流氷の彼方に西陽が沈む最大の絶景ポイントが、ほかにあるにはあるんだけれども、観光客さまがたにはちょいと行けないかもとおっしゃる。なぜ? それはクナシリ・エトロフだという。そりゃそうだと合点するだけでなく、レポーターさん、チクリとなさいましたな。

 西陽といえば、とレポーター氏。この地方の平地は広くもなく、山林が海近くにまで迫っている地域が多い。山の西斜面にはこの時期、エゾ鹿が数多く姿を現すという。オホーツクの寒風吹寄せる東斜面とちがって、西斜面は雪解けが早く、まだらに顕れた地面からは昨年の草が残って顔を出してくる。鹿たちにとっては絶好の食糧だという。
 我慢に我慢を重ねてきた鹿たちは、大好物で存分に腹を満たしたあとは、居並ぶようにして西方に沈みゆく夕陽を眺めて、長くながく立ち尽すそうだ。
 へぇー、鹿も落日を眺めるんですかぁ、どういう気持なんでしょう?
 事情に暗い、都会暮しの観光客であれば、当然訊ねてみたくもなる。
 「あァそれはですね。まさに彼らも考えているところでして。へぇー、人間も夕陽を眺めるのかぁ、ってね」