
自分一個の備忘としては大事な記録を転記投稿中だが、いかんせんうっとうしい話題が続かざるをえない。時あたかも週末でもあることだし、一服休憩である。
数日前に、いただきものの「鍋つゆ」を使わせてもらって、独り鍋をした。鍋底に残った汁を一滴残らずいただくべく、〆として白飯を投じて玉子で綴じ、雑炊とするのがわが流儀だ。が、その日にかぎって、スーパーのミニ助六を買い食いしたのだった。
じつは前日に冷凍小分け飯を使い切って、在庫切れをおこしていた。だったらすぐ次を炊けばよろしいのである。米櫃は空ではないのだから。にもかかわらず、あえて炊いていなかった。残り汁は貧乏性のつねとして、インスタント珈琲の空瓶に注いで密封し、冷蔵庫に収めた。
階段の踊場の隅っこに、ダイソーにて仕入れた 35×20×25センチほどのフタ付プラ箱が二段重ねにしてあって、ひと箱を米櫃に、もうひと箱を麺類の貯蔵箱としてある。麺類の箱が、かなり多種の麺類により乱雑に一杯になってきている。使い余しの半端量だったり、季節外れの夏食品だったり、それぞれの理由で貯蔵箱に長居している連中である。
一度整理するなり、まとめられるものはまとめるなりせねばならぬと、かねがね思ってきた。そのことに、ふと思い当ったのだった。
よしっ、飯を炊かずになん日過せるものか、試してみるか。

翌日は、まず基本公式的な着想により、茹で上げたうどんに前日の鍋底汁を絡めた。塩気を補ったり、なにがしかを足したりはしたけれども、まあ詳しいことは措く。
その夜は、蕎麦を消費した。ひと袋で三食分と表示された商品なのだが、私の腹都合に換算すると二食半ていどが封入されてある。どうしても半食分が残る。貯蔵箱の底を探ってみると、そんな袋がふた袋あった。このさいこれらをまとめて一食とした。
日に一度のチャント飯の代りに蕎麦を食うのだ。テキトー飯でも軽い間食でもない。日々必要とされるだけのカロリーも栄養成分をも、充たしておかねばならない。人参天を揚げ、玉子一個を落し、天玉その他ナンデモ蕎麦とした。
もうなん十年も顔を合せる機会のない、旧い女性友達がある。じっさいに会うことはなくとも、健在で志を貫いていることは承知している。技芸の職人としては私なんぞよりも、ずっとずっと先まで行った女性で、そっちの業界界隈ではあるていど有名人だ。彼女のブログなりホームページなりを覗けば、最近の動静や毎月の活躍などはおおよそ知れる。めったに覗かないけれども。
互いの分野があまりに異なるから、酒を呑んで騒ごうというような付合いが途絶えれば、どうしても会う機会がなくなる。そのまま四十年ちかくが経ったわけだ。あぁ、やっているナ、頑張っているナと安堵して、また続きを覗かなくなる。
彼女のブログには、仕事準備の苦労や交友記録のほかに、女性らしい自炊記録なども混じるのだが、時おり「今日は冷蔵庫片づけ日」「冷凍庫片づけ日」などの文言が登場する。なるほどその日の献立は、方針に貫かれたコースというのではなく、冷蔵庫のなかで消費期限が近づいた魚や野菜を、似合おうが似合うまいが抱合せたものとなっている。また冷凍庫内で、いつまで凍っていても出番は廻って來るまいと思われる半端量の冷凍食品を、抱合せて一気に使い切ろうという献立もあった。
なるほど賢い。自炊の腕前がというよりも、言葉使いの巧みさがである。昔から、座談のなかでも、「それって、こうゆうこと?」なんぞと確認する瞬間の、彼女の命名力には舌を巻くものがあった。乱暴に飛び交う無鉄砲で無責任な会話の茂みから、枝葉を払い棘やイボイボを削り取って、マルッと呑み込んでしまう。あァそういうことだったんだと、こちらも納得がゆく。
そんなことを数十年ぶりに思い出して、麺類貯蔵箱の片づけを、思い立ったのだった。

次の日は餅を焼いて、塩味の力ラーメンのナンデモ乗せ。
さらに次の日は、レトルト食品のお世話になって、ビーフハヤシうどんとした。
で、今日はなんでもまとめてしまうケチャップに登場願い、うどんナポリタンとなった。玉ねぎを炒める途中で、刻んだウインナと竹輪とを参加させた。茹であがったうどんをマーガリンで炒めながら、おまじないに塩ひと摘みと擂り胡麻とを振りかけ、いったん油切りに挙げてあった具材を再投入。混ぜたら、ケチャップで仕上げ、目玉焼きを乗せた。これでなんとか、チャント飯一食分の食材数とカロリー量には届くだろう。
そろそろ白飯が恋しくなってきている。