一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

その日まで暢気に

 

 とある寄合いがあり、久しぶりにパスモを使った。つまり鉄道の改札口を通過した。
 日記を繰れば、たいして久しぶりでもないかもしれない。鼻風邪と花粉公害とにすっかり及び腰の日々だったから、心理的な隔たり感が巨きい。

 電車を待つあいだ、例により掲示板ニュースを眺める。冬季オリンピックの実況放送も動画も、ついに観ぬままで過してしまった。ラジオでは聴いた。深夜から明けがたへの時間帯は、もっとも眼醒めている時間帯だった。
 日本人選手の活躍ぶりは存分に報じられた。が、アルペンスキーとくに滑降だの、またスキーのマラソンともいえる距離競技だの、またボブスレーやリュージュやスケルトンなど、スピードとスリルとを眼にできる橇競技だの、そしてもちろんアイスホッケーだのは、日本人選手が上位入賞する可能性がなく、放送に取上げられなかった。いずれも観戦するスポーツとしては、たいそう面白い競技なのだけれども。
 ずいぶん前のことだ。とある雑誌編集部から夏のオリンピック直前に、楽しみにしている競技はとアンケート的に訊ねられたので、カヌー・スラロームと応えた。原稿は不採用になった。

 今年は水飢饉の可能性が生じそうな年だそうだ。ラジオでも、食器洗いの水道やシャワーなどを、流しっぱなしで作業するなと教えてくれている。そんなこと日ごろからやっている。トイレも「大」で流さず「小」で済ませろと云う。それで設備に支障はないのだろうか。だったら普段から、なぜ「大」が設定されてあるのだろうか。


 寄合いは無事に済んだ。せっかく外出したのだから、そのうちにと心に引っかかっていた用を足す。パルコのエスカレーターに乗り、六階の世界堂へ。手ごろな、つまりなんの飾りもなく簡素な額縁を一面買った。
 梶芽衣子さんの筆跡とサイン(もちろん印刷物)を収めるつもりだ。のむみちさん監修により往来座編集室から発行されている『名画座手帳』の今年版の飾り帯だ。
 どんなもんだい、という見映えに、いちおうはなった。

 
 日曜日につき、空席がないかもしれぬと覚悟のうえで、タカセ珈琲サロンを覗いてみる。案のじょう一階も二階も満卓だったが、わが定席たるカウンター席には、幸いにして空席があった。ここはノートパソコンを開けてなにやら作業する人が多く、複数で会話する客はほとんどない。私にとっては好都合の席だ。

 今日の間食は、フルーツケーキとさくら餡パンとした。フルーツケーキはわが一推しのブランデーケーキに次ぐ大人の味の菓子で、生地にもレーズンにも洋酒が含ませてある。むろん胡桃も入っている。
 さくら餡パンは季節のお奨め商品で、桜餅を餡パン化したものだ。白餡はかすかに桜色に染められてあり、シナモン味がついている。大好物だ。

 読みかけの本を鞄から取出す。寄合いにてだいぶ昼酒を頂戴したから、内容が頭に記憶されるはずもない。かまわぬ。どうせいく度も読返さねば頭に入らぬのが、昨今のわが頭脳状況だ。活字を眼で追い、その数瞬だけは了解した気になって、ただちに忘れてゆく。般若心経を眼で追ってルビを読むのと、なんら変りもない。それでなくとも一度で読み取れるはずもない難物だ。読返しのなかの、これも一回である。
 かように暢気な過しかたでよろしいのだろうか。そんな世情か。国情か。人類の情勢か。かといって私ごときが大声を挙げようなんぞと考えようものなら、かならずや周囲にご迷惑が及ぶ。

 階段踊場の置飾りは、例年この季節にお約束の、金屏風と雪洞(ぼんぼり)とを背景としたお雛さまである。