
この長い塀にだけは、かすかに記憶がある。いや、いく度も模様替えされたり塗り替えられたり、してきているのだろう。かつて私が眼にしたままであるはずがない。けれどもとにかく、こんなふうな塀が続いていた。
周辺のビル群には、まったく視憶えがない。初めて歩く途のようだ。
なにを思い屈していたのだったか、散歩ばかりしている齢ごろがあった。金がないので、旅に出ることはできなかった。都内の名所旧跡を辿り歩くのがせいぜいだった。当時の気分を、今の胸中に想起させることなどできない。
かと思うと、独りで散歩するなど、思いもよらぬ齢ごろもあった。自分は世間で出世できる男でもなく、社会に有用な男でもないと見極めがついたころだ。だったらせいぜい身勝手に生きたところでバチは当るまいと高を括り、大海のことはいっさい度外視して、ちっぽけな沼のなかだけをイケイケで泳いだ。会社を儲けさせるために夢中になった。自分の取り分などないのに、法外な金を右から左へと動かしては、経費と称してあぶく銭を散財した。名所旧跡など、思い出すこともなかった。
生きているあいだに、もう一度だけ眺めておこうか。近年そんな気を起させるようになった場所がいくつかある。
祭の両日もその翌日も、雨に視舞われずに済んだ。こいつはいい、明日から草むしりの続きだ。と思ったら、夜半から降り始め、夜明けまで降った。地表も草ぐさも存分に湿った。草むしりを強行すれば、軍手も靴も道具類も泥まみれとなってしまう。贅沢を云うな、洗えばいいだろうというのは、もっとものようながら他人事の云いぐさに過ぎない。気が重いのだ。で、散歩に出た。

地下鉄丸ノ内線「後楽園」にて下車。駅の構造がガラリと変化している。現在は地下鉄三路線との乗換え駅とのことだ。対巨人とのオープン戦で西鉄ライオンズの豊田泰光選手や稲尾和久投手を観るために、胸躍らせて改札口を通った少年の記憶にある駅の面影はどこにもない。
後楽園球場も、ボクシングやプロレスの後楽園ホールも、憶えている。東京ドーム球場へは入場したことがない。あれか。道路を挟んで遊園地があるんだろう。あんなに高い処までジェットコースターで揚って、なにが愉しいのだろうか。
文京区役所がバカでかくなって、シビックセンターというらしい。本館の隣に天を衝くタワービルがそびえる。ビルの形が独特だ。わが家の物干しから遠望してもひときわ目立っているのは、これだと判明した。
都立「小石川後楽園」を目指して歩く。あまりに整然と往来する車輛群を眼にして、はて、この先に横断歩道はあるのだろうかとの不安に駆られる。
左折路の角にグラウンドが見えた。「後楽公園少年野球場」とある。これほど立派なものではなかったが、かつてもグラウンドだったか広場だったかが、あったような気がする。それとも、たんなる雑木林のような緑地帯だったろうか。はっきりしない。
曲ると、行く手に長いながい武家屋敷塀が見えた。やはりこの道でよろしかったんだと、ひと安堵する。武家屋敷なんてもんじゃない。御三家のひとつ水戸徳川家の上屋敷跡だ。屋敷がどれほど広かったものか、近隣のどのあたりまでが屋敷だったものか、想像もつかない。庭と茶室だけが残ってある。それでも都内有数の庭園だ。

丸ノ内線で、ふたたび池袋乗換えする気にはなれない。来た途を還るのは、あまりに味気ない。「まだ見ぬかたの花をたづねむ」(西行)である。都営地下鉄の大江戸線にて、練馬へと戻った。
ブックファーストを覗いたが、目星の本はなかった。新刊でもロングセラーでもないからしかたない。急がぬ相手だから、次の機会に池袋の巨大店で探すこととする。
ドトールにて、アイス珈琲とアップルパイ。本日の間食、というかテキトー飯の代りとなるかもしれない。読みかけ本の読み継ぎと、ボーッと考えごとで一時間半。今日は十分に歩いたと自己満足にひたる。
わが駅の写真ニュース掲示板では、メッシがアルゼンチン代表から退くと報じてある。もう十分だろう。これぞ花道だ。隣に掲示されてあるのは、ネパールにおける信じがたい規模の土石流災害の惨状写真だ。中国との国境付近と報じられるが、例によって例のごとく、世界の報道陣は中国がわへは入れないのだろう。中国当局が発する情報は、実状を映してはいないのだろう。
メッシとネパール。まさに今の世界のニュースなのだろう。小石川後楽園をもう一度だけ眺めておこうなんぞという気分は、いったいなんなのだろうか。
カボチャといた日

雨祭と住民からは称び慣わされる当地の祭礼日が、二日間とも晴天または曇天に恵まれた。一滴の雨にも降られなかった。賀するべきことと慶ぼう。
雨が降ったのは祭の前夜だ。気が晴れぬなかで、しばらく間遠になっていたカボチャを炊いた。
祭のあいだは、ゼッテリアにもほかの飲食店にも、入店しない。つねならぬご繁盛に大混雑しているのが自明だからだ。またテント露天商での買い食いもしない。嗜好や主義主張があるわけではない。美味そうだとも、懐かしいとも思う。ただつねならぬ食物を食ってみたいとの意欲が減退しているだけだ。
となれば、出かける前に存分な腹ごしらえをしておかねばならない。
炒飯に餃子という、古典的な組合せが懐かしいという気が起きた。本日のチャント飯はこれで行こう。餃子は半人前でいいだろう。タレは酢に柚子胡椒としよう。鶏がらスープだの中華スープなんてもんを放棄して長いから、味噌汁でいいか。つねよりもいくらかコッテリさせるべく、いただきものの豚レバーのパテを投入してみるか。それに昨夜炊いたカボチャがある。
必要となりそうな食材やら調味料やらを、冷蔵庫や収納箱からそれぞれ取出して、テーブルに並べておくのが俺流だ。そのときウッカリして、マヨネーズのチューブも冷蔵庫から出してしまった。今日の玉子は炒飯に使うから、目玉焼きにもオムレツにもしない。ケチャップの出番はないはずだったのに。
炒飯の鍋を振りながら、そのことに気づいた。むろんケチャップライスだって好物だし、わが定番のひとつだ。ケチャップのチューブを横目で視る。顔を立てるか。予定を急遽変更。チューブを手に取り、いつもよりむしろ余計に、仕上りつつあった炒飯の上にぶっかけて、鍋を振り直した。
膳に並べる段になって、気づいた。炒飯+餃子という組合せを思い出して、取りかかった炊事ではなかったか。ケチャップライスとなってしまっては、今度は餃子の顔が立つまい。このトンチンカンさが耄碌というものだと、いつもの言いわけをする。飽くまでも耄碌のせいだ。俺の性格だ、とは云わない。
ともあれカボチャを添えておく。

祭の一日目が了った。あちこち眺め歩いた。今日はいわば前哨戦で、私でもなんとか歩けるかもしれぬと踏んだのだ。明日はろくに歩けまい。
かつての祭と近年の祭、なんぞと考え始めたら切りがない。少々疲れたので仮眠する。眼醒めたら、夜が更けていた。肌寒ささえ覚える。本日のテキトー飯がまだだった。このところめっきり秋の気配が濃く、風の出た夜半など肌寒さを感じていたので、数日前の買物のさいに突如思い立って、約半年ぶりに即席ラーメン(袋麺)を買っておいた。あれを使うか。
ウインナと竹輪とを湯がいて、湯切りしておく。その湯で玉ねぎを茹で、湯切りしておく。白い色が着いた茹で汁に適量まで水を足して、麺を茹でる。三分経ったら粉末スープの小袋を切る。塩ラーメンだ。どんぶりに移したら、湯切りしてあった具を載せ、さらに擂り胡麻と青さ粉とをトッピングする。
中華スープなどないから、即席コンソメスープで代用しておく。ラーメンとスープとで、口が暑苦しくなってもかなわぬから、スライス玉ねぎと千切りレタスとを小鉢に盛って、マヨネーズとシソふりかけ「ゆかり」とをかけておこう。
そして不釣合いだろうがなんだろうが、カボチャを添えておく。

祭の二日目だ。日曜日でもある。大相撲秋場所の初日だ。沖縄県知事選挙のニュースも飛び交うことだろう。それでも神社の境内や駅周辺の人出は、私なんぞが歩けぬほどとなろう。今日は中心地を目指さず、外周というか周辺の模様だけを眺め歩いてみようか。
手早いチャント飯には、炒飯が一番だ。見てくれ以上に、少量微量の食材を混ぜ込むことができる。炒飯のつもりが突然ケチャップライスに変じてしまった昨日の出直し戦でもある。塩のみで味付けして、仕上げの香り付けに醤油を鍋にかけ回すだけのつもりだった。
ところがである。いただきもののカレーペーストが、瓶の底にわずか残りとなっていたことを思い出してしまった。あれを使い切ってしまおう。予定外のカレー炒飯となってしまった。
となると、若布の味噌汁だけでは舌が暑苦しい。これまた、いただきもののハイビスカス茶をまとめて淹れて、リットルボトルで冷蔵庫の扉裏に立ててある。強い酸味を砂糖か蜂蜜かで中和してやると、たいそう美味い。
そして今日も、カボチャを添えておく。

祭は終った。沖縄県知事選挙も了った。云いたいことのないではない。だがいずれも、私なんぞか口にしたところで、どうなる噺でもない。それどころか、なにを云っても老害の迷惑行為となるだけだ。
神輿連中は、夕方の宮入りが済んでからも、名残りの祭を愉しんでいる。遠来の客人担ぎ手がたが引上げられてからも、地元の担ぎ手たちが名残りを惜しんでいるのだろう。来年の祭まで、この神輿を担ぐ機会はないのだ。最後に神輿の掛声が挙ったのは、午後八時を廻ったころだった。〆の拍子木が高らかに鳴った。
夜食に蕎麦を茹でる。来年の神輿を観られるだろうか。あの拍子木の音を聴けるだろうか。年寄りならだれでも、そう想う。
今夜もカボチャを添える。今回炊いたカボチャが、これで山となる。容器を水に浸けた。
祭の対岸

神輿が行く。祭のクライマックスだ。近隣町内の神輿が集結し、行列しての宮入りだ。交差点を通過するあいだ、通りかかったドライバーさんがたには、ご迷惑をおかけする。
二時間前には阿波踊りの連が、笛・鉦・太鼓の耳馴染あるお囃子を奏でて通っていった。いくつかの商店の前では前進をとめて、一同が店に向って独特な踊りを披露した。連の活動への賛助者がたなのだろう。店主がたは店頭まで出て、晴れがましいような照れ臭いような表情で、踊りとお囃子に対した。
わが町の祭礼に阿波踊りが出ることを、私は知らなかった。好いことなのだろう、きっと。
その代り、大太鼓を積んだ山車の出動回数は減った。綱を曳く子どもらの数が、集まらなかったのだろうか。それとも、山車の大太鼓よりも阿波踊りのほうが、音楽として華やかであっても音量としては低いからだろうか。
昨日の日記で、祭の音量に苦情なんぞが殺到しないことを望むと書いたところ、さっそくご近所のとある奥さまから、昨年は警察署だか交番だかに宛てて、苦情の電話が鳴りやまなかったそうだと、お教えいただいた。ご商売がら、当事者からじかに情報を得られるお立場の奥さまだ。

神社境内と周辺道路にも、駅前周辺にも露天商が色彩鮮やかにテントを連ねる。老人など歩けぬほどの人出だ。けれども、黒山の人だかりだとか行列をなす店だとかは視かけない。視かけほどの売上げは、厳しいのかもしれない。
子ども連れのご家族も多い。が、子どもに祭半纏か浴衣かを着せている親御さんは、めったに視かけない。わが子に山車を曳かせたり、子ども神輿を担がせたりするお気持は持合せないようだ。それが自然なのだろう、きっと。

踏切を渡って、隣町へと歩いてみる。わが町にはない広さを誇る公園がある。むろんここも祭圏内なのだが、いつもの日常風景があった。陽射しに恵まれた日曜日だから、憩う人の数はすこぶる多いが、年に一度の地元神社の祭礼という非日常感は感じられない。
近年耄碌の兆候のひとつとして、人さまの年齢を云い当てられなくなった。たとえば二十代の人と四十そこそこの人とを、観分けられない。先方が女であっても男であってもである。お子たちを遊具で遊ばせるお母さんがたが、二十歳そこそこのお嬢さんがたのように見えてしまう。
ここには戦後のいつごろからか、昭和三十年代の中ごろまで、木造平屋の都営住宅がハーモニカの吹口のように、まるで長屋のようにギッシリと建ち並んでおりましたヨと、今のお母さんがたに語りかけようものなら、胡散臭いジジイだと警戒されてしまうことだろう。警察へ通報されてしまうかもしれない。
可愛らしいお嬢さんたちが、ママゴトのような子育てをしている風景のように見えてしまう。実際には、現今の子育て事情には、かつてなかった種類の困難も生じてきていると、社会問題のニュースとして耳にしてはいるのだけれども。
眼に見えているのが現代で、私の記憶や妄想が役立たずになっているのだろう、きっと。

ふいに気を起して、金剛院さまへと戻る。神社とは塀一枚を隔てた隣接関係だが、こちらはひっそりしている。むろん塀の向うの賑いは聞えてくるけれども。
にわか発心につき、花も線香も用意していない。秋彼岸も近いから、懇ろの墓詣りはそのときにさせてもらうとして、順序だけはいつもどおりに、今日は略式詣りだ。
山門前の石段には、同文の貼紙が三枚も掲げられてある。ここは飲食スペースではない。石段に腰かけて、露天商で買った飲食物を摂るのはやめてくれと。神域寺域と遊園地との区別がつかぬ輩は、どこにでもいる。伏見稲荷の鳥居で懸垂自慢をするユーチューバーと同じだ。わが町にだって多かろう。
無縁仏の合祀塚に立つ観音像と正対する。墓仕舞いの相談と予約だ。拙宅墓所には、父の郷里の菩提寺さまから茶碗一杯の土を持ち帰って先祖代々の霊位とし、後は父と母との骨壺しか眠っていない。私の後に墓守はない。私と両親とは、早晩この観音像の足下に移されることとなる。頼んまっせ、観音さん。
私だって祈る

今日明日の二日間にわたって、当地神社の祭礼である。毎年、九月の第二週末と決っている。町境を越えて隣接町の氏神様までをも末社とする総鎮守社とあって、たいそうな賑わいとなる。
境内は申すに及ばず、駅前周辺から神社脇の往来まで、露天商の張り店がテントを連ねる。商店街でも、飲食ご商売の各店は自店前に拡張店を張り出す。銀行や福祉施設なども参加意思を表明すべく、臨時テントを張って飲食場所を提供したりする。
今日はまだ、滑り出しだ。明日は自分の歩調で進むことなどできようもない、身動きもままならぬほどの混雑となる。私が境内にまで踏み入るとすれば、今日しかない。
当地の祭礼は地元住民からは、ひそかに「雨祭」と称ばれてきた。二日間のどこかで、雨が降り出すのである。古来「二百十日」だの「二百二十日」だのと称ばれて、台風襲来の確立が高い季節に当っているのだろう。
「やっぱり今年も降りだしましたねぇ」「そうですとも、お約束で」
商店街で顔見知りと擦違うと、そんなご挨拶となる。二日間を通じて晴天に恵まれでもしようものなら、
「なんと、今年は晴れましたなぁ」「奇妙なことでも、起らなければいいですが」
というご挨拶になったりする。
昨日まで、いや今朝の明けがたまで、降りに降った。これで風神も雷神も一服してくれて、降雨にも残暑にもならずに曇り空のままで二日間いてくれたら、当地としては稀に視る幸いなる祭礼ということになるのだが。

私は分不相応な祈願はしない。末永き国家の存続や国民の安寧を祈らない。それは天皇皇后両陛下のお役目だ。各門跡の高僧がたのお役目だ。また将来にわたる全国民の健康や利便向上を祈らない。それはノーベル賞を受賞する人や、旭日章なり瑞宝章なりの勲章をいただく人や、紫綬褒章などで業績を評価された人たちのお役目だ。
神社に高額の寄進もしない。日ごろの参詣のたびに、小銭入れから買物の釣銭を賽銭として投じるのが身の丈に合っている。祭礼だからといって、町会や神酒所に寄付金を持参したりはしない。祭礼当日に街角に立てられる巨大掲示板に「賛助者御礼」なんぞと、名前を張り出されてはかなわない。
ただし毎年のことだが、地元鳶職の野尻組へは、エナジードリンクを差入れする。リポビタン大吟醸だ。一昨日と昨日をかけて、児童公園に神輿を安置する葦簀小屋を建て、寄合い所の大テントを張ってくれたのは、野尻組の若い衆とその関係者がただ。雨が降ったりやんだりする合間を縫っての、骨折り作業だった。
暮れだ正月だといっては、町内を歩き廻ってくださり、カチカチと夜回りしてくださるのも、野尻組の若い衆たちだ。天下のことも未来のこともいっこうに判らぬ私でも、町内のことなら少しは知っている。

出店を準備するにも、広島風お好み焼やクレープを売るにも、露天商がたにあっていかに女性たちが大活躍するかを、私はなん年も観てきた。アイス舐め舐めベビーカステラを頬張りながら、トレーディングカードの店前に立ち停まったり、金魚すくいに夢中になったりするお子たちと、ご父兄たちとを眺めてきた。そういう光景は、きっと神意にもかなう。
明治期になってからは、近在を取りまとめる総鎮守社となったが、江戸期には安産と子育てを祈願する社だったという。
「ヒェーッ、あっちにも続いてるよ」「意外と大きいのね」
肩を掠めるように擦違った、お若いカップルの断片的な声が耳に残る。知らずにこの町へ引越してきたのかヨ。
お囃子の笛太鼓が聞える。大太鼓を積んだ山車の太綱を曳いて、浴衣姿の児らが行く。両脇を母たちが視守って歩く。山車の後からは、子ども神輿が黄色い掛声を挙げて通る。かつては暴れん坊の担ぎ手だったオッサンたちが、神輿の梶棒に手を添え、掛声のテンポを整えている。
山車の大太鼓が沿道の窓ガラスを震えさせるからといって、息子の受験勉強に障るからといって、赤ん坊の安眠を妨げるからといって、苦情を申し立てたりする新住民がいらっしゃらないことを祈る。そういうことなら、私も祈る。
ほんのひと手間

玄関から門扉までの、飛石伝いのわずかな通路の東がわ塀寄りである。
秋の草むしり。まずは軽作業から。春先と初夏と、今年になって二度ほど手を入れた箇所だ。ご来訪者がたのお足もとを危うくし、往来を通りかかるおかたのお眼にもとまる箇所だから、つい優先する。体裁優先の見栄だ。
ネコジャラシ、ドクダミ、シダ、ムラサキゴテン、それに地を這う蔓草類が主敵である。タンポポほか深根の菊科連中は、初夏の手入れで注意深く排除した。新たに、これは雑草というよりも、食ったら美味い野菜ではないだろうかと疑われるような、葉幅の広い草も混じる。むろん素人判断は怪我の素。口にしたりはしない。
先祖還り君子蘭が、葉色の褪せた無様な姿を見せている。球根部分を温存して、茎の最下部を伐って、丸坊主にしてやる。命に別状はない。球根の頭からすぐさま新芽を吹いてくる。新陳代謝か世代交代かに手を貸しているようなものだ。新陳代謝を繰返しながら、わずかづつではあるが球根の群は巨きくなってきている。版図を拡げるぶんには放置しておくが、過密となって窮屈そうになったら、球根群を割って株分けさせねばならない。が、今日はまだこのままとする。

地産地消とばかりに、同地域に小草山を成してやることにした。とはいえ、この新規の草山には、ほんのひと手間をかけた。ひら地に積みあげたわけではないのだ。
塀に沿って横長の穴を掘った。幅60センチ、奥行20センチ、深さ15センチほどだ。塀に沿った内側には上下水道管が通っていて、深い穴は掘れない。昔、水道工事に入った人夫さんがたが、瓦礫の多い土質に業を煮やしたのでもあったろう、あろうことか穴を掘るのにツルハシを振りあげてしまった。で、ツルハシの先で水道管に穴を空けてしまい、あたりが水浸しになったことがある。人夫の班長さんも大慌てで、豊島区からは開襟シャツ姿の事務職さんも駆けつけられて、ちょいとした騒ぎになったことがあった。ここは深い穴を掘ってよろしいような箇所ではないのだ。
他の草山から十分に乾燥した、そのうえこのところの雨で、まるで腐ったように湿った、つまりは土に還る直前の様相となった枯草を運んで、穴に投じた。投じては踏んづけ、また投じては踏んづけながら、ぎゅう詰めにした。掘って脇に積みあげてあった土を、かけ戻した。地中微生物の返還だ。
緩いマウンド状に盛りあがる。このていどなら、しばらく経てば平地となるばかりか、窪地にまでなる。そこへ、最前むしったり刈ったりしたばかりの新草を積み足した。この1メートル平方弱の表層だけは、良い土となってくれることだろう。他の場所では枯草山がひとつ消え、スペースが空いた。
本日作業箇所の正面、すなわち西がわ建屋寄りにも同じ作業をしたい。だが残念ながら時間切れだ。これまででちょうど一時間作業だ。存分に汗もかいた。慣れぬ躰に無理は禁物だ。後に祟る。
できたての草山に如雨露で水をかけ、道具を洗って、撤収作業に移る。このところの天候から、土には水気が豊富だから、軍手の土汚れがひどい。擦り洗い揉み洗いに、思いのほかの時間がかかる。
永眠して長いエアコン室外機の上が、いつもの軍手乾燥場所なのだが、空の雲行きが怪しくなってきた。安全な干場を考えねばならない。
以上が、じつは昨日の作業だった。案のじょう、午後からは雨が降り始めた。
夜どおし雨が降った。まだ降っている。ベッドから起きようとすると、太腿の内側に張りと軽い痛みとがある。一時間軽作業でも、筋肉痛が出る。躰のなまりかたがひどい。習慣のストレッチ体操を、つねよりも用心深くやってみる。
腹づもりでは、昨日の続きをやりたかった。この雨では無理だ。洗濯も済ませたかった。無理だ。コインランドリーまで、荷物を手にして雨傘を差してゆくのは気が重い。また帰りに、干しあがった衣類が雨に濡れてしまったりしては、眼も当てられない。それに昨日の軍手も、乾いてない。家内で自重しているほかはあるまい。
カボチャを炊く。一年を通してカボチャを食う男なんぞと自称しながら、間遠になってしまうこともある。かくてはならじと、川口青果店に寄ったさいに、入手しておいた。いつもと異なる産地の品物が入荷したものか、小さな視慣れぬシールが貼ってある。「ホクホクなんとか」なんぞと印刷された丸いシールだ。
炊き上げてみたら、たしかにホクホクだ。蒸らしてから容器に移そうとしたら、菜箸の先で型崩れしそうになる。試食してみると、味はすこぶる佳い。
ひと手間かけて、より美味くしたいと、しきりに考えた時代があった。生姜を使ってみたり、昆布を使ってみたりもした。それなりの旨味は出たが、手間に見合うほどとは思えなかった。結局は出汁と酒と砂糖だけ。その昔、この炊きかたをテレビの料理番組で教えてくださった天龍寺の関牧翁管長がおっしゃったとおりだ。シンプル・イズ・モスト・デリシャス! である。
ナントカのひとつ憶えで、十年一日、同じ炊きかたをしてきただけだ。今日のカボチャが美味いのは、私の問題ではない。カボチャが良かっただけのことだ。
老いの試み

朝だ。トイレの窓から身を乗出して、東の空を観る。低空の薄雲が、眼を疑う速度で、南から北へと動いてゆく。切れ間から高空も覗ける。天気は回復するらしい。が、午後からはまた怪しくなるという。目まぐるしい空模様だ。
夕方から、打合せで人と会う予定がある。準備がまだ万端とは申しがたい。気分の準備ということだってある。ご近所のベーカリーへ飛んでいって、朝食は買い食いで済ませることとする。
去る8月8日の日記「聴いてみたいもんだ」で、旧い仲間たちとの飲み会を報告した。なんのことはない、老人たちの生存確認会だ。こんなふうに書いた。
――化けて出るほど永い歳月を付きあってきて、互いになんでも知合っているかといえば、そんなことはない。現役職業人だった時分には、口にできぬ情報も多かった。立入った事情や家庭問題は、訊かぬが礼儀という面もあった。人生上の分岐点や曲り角や危機については、訊かぬが武士の情という側面もあった。むしろほんのいっときそれらを忘れたくて、かつての悪友たちと盃を交している場合すらあったかもしれない。
だが今なら口にできる、訊ねてもみたいということがあるかもしれない。けれども相互にまったく異なる分野を歩んできた者たちで、視てきた世界が異なり過ぎる。お世辞にも世間を広く生きたとは申せぬ私なんぞが、聴いたところで理解できまい。また的確な質問などでようはずもない。――というようなことを書いた。
飲み会出席メンバーの一人が、これに反応を寄せてくれた。曰く、似たことは俺も、かねがね感じていた。どうだ、順繰りにゲストを指名して、半生の隘路やひそかに自慢とするところや、他分野の人間には耳新しい噺なんそを、根ほり葉ほり聴かせてもらう企画を設けようではないか。ついては、お前もインタビュアーとして、一枚噛め。
いやはや、筆は災いのもとである。
となれば、音声収録だの撮影だの、文字起しだの編集だのについては、現場を離れたとはいえ、専門家や腕に覚えのある者がいる。私ごときに出番があるとすれば、せいぜい台本書きである。
が、知らぬ世界のことをインタビューするわけだから、台本というよりは、骨子だの要点だの噺の方向性だのといった、台本以前のメモであり、打合せの資料となるべき叩き台に過ぎない。それでも、かつてなら一日でまとまったはずの要項書きが、耄碌いちじるしい今現在の私には、ああも考えこうも訂正しの、我ながらもどかしい作業だ。

気象予報どおり、午後になって急に雲行きが怪しくなり、やがて降り始めた。居場所を変えて、気分を替えよう。荷物をまとめて、ゼッテリアへ移動した。
三人での打合せ場所は「祭や」だ。一人は遠路、もう一人は隣町から自転車で、わが町までお運びくださる。私を気遣ってのご参集ではない。「祭や」を二人に視察願うのが、今日の打合せの目的のひとつである。
せっかくのインタビューだ。記録を残したい。ご参集できなかった知友にお届けしたい。それには音声を収録して配信するかディスク化するか、文字起しして印刷物にするかだ。いずれにせよ、録音せねばならない。しかも珍しい資料や懐かしい写真を示せれば、ご参集者の眼に愉しいし、理解も深まる。会場は区民会館等の会議室を借りるとしても、機材や大画面をいかに調達したらいいか。
首謀者がさようなことを思案する口振りを耳にして、「全部揃ってる箱を、俺、知ってるけど」と、私はつい口走ってしまった。で、今宵は「祭や」集合の運びとなったのだった。

打合せは済んだ。ご来駕の二名に「祭や」の機能も、ご店主やスタッフの顔ぶれも紹介できた。企画の実現はまだ未知数だ。なにせ初めての試みである。予測しづらい細目も少なくはない。
打合せが眼目の酒だったから、たいして胃を満たしてはいなかった。ビッグエーに寄って、格安海苔弁当を買って帰宅する。白飯部分と惣菜部分とを分けて処理して、自前の常備惣菜を補充すれば、案外整った一食になると、先日味を占めたばかりだ。もう一回、試みてみようという気になった。
老いの試み、またひとつ。
儀礼その一

これはマナーだろうか?
電車車輛の先頭か最後尾かに、優先席が設けられてある。三人程度が腰かけられる。今、時間帯がよろしく、三席とも空いているとして、さて乗降口寄りか連結器寄りか、あなたはどちらに腰かけますか?
これはマナーの問題ではない。美意識の問題だ。いや、それほど大袈裟な問題ではない。左肘がわに、もしくは右肘がわになにがあって欲しいかという、ほとんど無意識というに近い、かすかな「好み」の問題といえる。三人がけの中央にまず腰をおろす乗客をめったに視かけないのも、この「肘の好み」説を裏打ちしている。
ただし実用の面から、切実にいずれかを優先したい乗客も、稀にはあることだろう。片耳だけに補聴器を装着していらっしゃるとか、片眼だけが極端にご不自由だとかのご事情を抱えておられる場合が、その典型だ。
またそのときの方角関係もあるかもしれない。正面にあたる窓から西陽が差し込んできて眩しいが、柱か壁かブラインドかの加減で、いずれかの席が陰に入る場合だ。さらに今の季節であれば、エアコンの強過ぎる冷風がいずれかの席を直撃するなんぞという事情も、発生するかもしれない。
私は場合によって、ふたつの「好み」に分れる。ほんの数駅だけ乗るときには乗降口寄りだ。ほどなくふたたび立上ることが決っているのだから、対応容易で人さまから遅れる心配が少ない席が助かる。周囲にもご迷惑をかけにくい。いっぽう遠方まで行く、すなわち長く乗車するときには、連結器寄りである。眼鏡をかけて、鞄から文庫本を取出すこともある。ボーっとしているうちに舟をこぎ出しかねぬ場合もある。より奥まった感のある連結器よりが助かる。人さまへもご迷惑をおかけしにくい気がする。
これは駅の男性用トイレの噺だ。ご婦人読者さまは、しばらくお休みください。
池袋などターミナル駅のトイレでは、小用(いわゆる立ちション)便器がズラリと、二十基も三十基も並ぶ。始発だ終電後だというような、よほどの場合でない限りは、いつ入場しても、だれかしら先行者の姿がある。が、普通規模の駅のトイレにあっては、四基六基せいぜい八基ていどの立便器が並んで立っている。
さて、ある時そんなトイレに駆け込んでみたら、一人の先行者もなくガランとしている。あなたはどの便器の前に立ちますか。手前寄り、中ほど、奥寄り?
マナーに神経質なかたのなかには、手前寄りに立つのが正しいとおっしゃるかたがある。空いているからと奥寄りに立って、もし後続者が入場してきたら、その人はより手前がわに立つことになる。所要時間に大差がないと仮定すれば、先行者は先に用を済ませ、用足し中の後続者の背後を通って退場してゆくことになる。これが後続者に心理的圧迫を与えかねないと、マナー家はおっしゃるわけだ。
お説ごもっとものようではあるけれども、これはいかがなものか。よくよくの過敏羞恥癖の持主ででもない限り、男子トイレでの覗く・覗かれる関係など、問題化するほうが異常ではなかろうか。
そもそも所要時間には著しい個人差がある。用足し体勢を整えるにも、あと仕舞いの身繕いにも、たいそう手間のかかる着重ねのかたもいらっしゃる。また出し入れはスムーズでも、心理的要因か肉体器官の鈍化か、はたまた病的理由によるものか、生理機能が意識の命令に忠実でない場合すらある。トイレは倉庫ではないのだ。先入れ先出しの原則なんぞ適用しがたい。
だが用足し後の洗面台の場合はどうだろうか。
ジーパンのポケットにハンカチサイズの手拭きタオルを忍ばせてはあるものの、私は手洗いののちに、かたわらに設置された熱風乾燥機に両手を差込んで急速乾燥させることが多い。気分が好いし、なんだか面白い。必然的に乾燥機にもっとも近い洗面台を使いたい。仮に先客が使用中であっても、手指を軽く水にするていどで素速く済みそうなかたであれば、他の洗面台へは行かずに待つ。ただしその先客がお顔を洗ったり、鏡に向って髪や身だしなみを整えていらっしゃったりする場合には、いたしかたもない。乾燥機から遠い洗面台を利用することだってあるけれども。
ところがである。洗面台は利用しても、熱風乾燥機は利用なさらないかたも多い。当然だ。だがさようなかたは、乾燥機から遠いほうの洗面台を使われてはいかがだろうか。わざわざ乾燥機の脇に立ちながら、みずからは乾燥機に眼もくれないというのは、いかなる料簡でいらっしゃるのだろうか。
むろん待つことが得意で小心者の私は、声を掛けたりお肩をお叩きしたりは、けっしてしないけれども。