
こんな感じだろうか。ヤマ勘でかつ丼を作る。初挑戦だ。
ビッグエーには、お弁当なんでも298円という棚がある。たまに利用するとしても、俵おにぎり弁当か、ミニ助六寿司か、せいぜい海苔弁当だ。ハンバーグ弁当、唐揚げ弁当、ましてやヒレカツ弁当となっては、その値段で所望する当方に誤りがあるだろうと思えて、これまで手を出したことはなかった。にもかかわらず一昨日、ついにヒレカツ弁当を買った。翌日には、台所などしている時間はなかろうという予定が控えていたからだ。
しかし現実はもっと厳しかった。ゲン担ぎのメンチカツサンドを買い食いして第一食とするのが精一杯で、第二食のゲン担ぎ候補であるヒレカツ弁当に手を加える時間など、とうてい捻出できなくなった。お役目のギリギリまで、準備に時間を盗られてしまったのである。しかもお役目の興行の後は、当然ながら宴会となる。夜更けて帰宅してから、自炊という気にもさすがになれない。ヒレカツ弁当は二日間も、わが冷蔵庫で休むこととなってしまった。
三日目の弁当を、白飯と小型のカツ三片とを分ける。他になにも付合せのない超シンプル弁当で助かる。黒胡麻を振られた白飯には、霧吹きするようにかすかに水で湿らせ、ラップして電子レンジにかける。
小丸フライパンに出汁を張り、酒と砂糖とを投入。煮立ち始めたらスライス玉ねぎと小口切り竹輪とを投入。玉ねぎへの火の通りを看ながら、醤油を差し、ヒレカツなるものをひと口大にカットして中央に置く。さらに煮立ち加減を看ながら、溶き玉子を周囲に回して、蓋を閉じる。
丼に盛った白飯上へと移す適当な器具がないので、油切り用の網杓文字で代用してみたが、懸念どおり形が崩れた。
ビギナーズラックというべきか、すべてヤマ勘で進行したわりには、視た眼はともかく味加減は悪くない。しかし同じ加減をもう一度繰返すことはできない。
なにはともあれ、スーパーの弁当は生ものでさえなければ、翌々日までは大丈夫だとの証明にはなった。

ところで興行には、珍しいかたもお運びくださった。かつて池袋のジャズシーンを牽引した伝説の「ケニーズバー」のマスターご夫妻だ。奥さまからは、みずからお手製のおはぎと白あんとをいただいた。私をベタな甘党と目されて、「ちょいと塩を利かせ過ぎたかも」とのご口上付きだったが、とんでもない。私は塩あんだって、大好物なのである。白あんのほうは、どれほど裏漉しすればこうなるものかというほど、きめ細かくクリーミーだ。大匙で舐めてしまうのがもったいない。こちらも塩が利かせてある。

お若い友人のお一人からは、馴染の浅草今半の佃煮を楽屋見舞いとして頂戴した。
人さまへのお使い物として常用する浅草今半の商品を、自分ではめったに食したことがないと、以前の日記に書いたことがある。彼はそれをお読みくださったのだろう。だったら食わせてやろうとの、お心遣いだろう。
別のお若い女性の友人からは、沼津からの帰りだといって、西伊豆郷土料理と銘打たれた塩鰹の茶漬けを頂戴した。茶漬けの素にも、フリカケにも、酒の肴にもなる重宝な一品らしい。たいそう塩がきついから気をつけよと、商品説明書に書かれてある。塩鰹の知識は皆無だが、視くびられては困る。村上の塩引きを知っている年寄りだぞ、こちらは。
たくさんのいただき物をするようになった。齢をとったせいだろう。
若く威勢の好かった時分には、なかったことだ。通販会社のコピーライターとしても、零細出版社の社員としても、下請け穴埋めの原稿書きとしても、著者や依頼主や取引先への気遣いや心くばりをすることこそあれ、人さまからお気を遣っていただける身分だったことなど、一度もなかった。
近年はどちらさまからも、なにかと好くしていだだける機会が増えた。これは齢のせいであって、自分の実力ではない。包装紙をほどくたびに、また包みを開けるたびに、そう思う。













