一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

眠りに着く

       (予定写真:日藝祭三日め、快晴の空)

 

 初日は快晴だった。第二日は小雨模様だった。そして最終日は快晴に戻った。文化の日(十一月三日)は統計上も雨の少ない日だそうだ。古書堂々堂の売上げは、上々だった。会員数の少ないサークルながら、中心会員による大車輪の踏ん張りで、あっぱれ乗り切った。打上げ会は、学生よりも卒業生や応援学生のほうがはるかに多人数という、例年の傾向のままに、賑やかに催された。私も久びさに、夜遅くまで呑んだ。
 明けて今日はまた、朝からなんとも重苦しいような曇天だ。風も少し吹いて、肌寒い。と思っていたら、正午を過ぎるころから、音もなくしっとりと霧雨が降り始めた。祭の書入れである初日(日曜)と三日め(祝日)とが快晴で、谷間の日と祭の翌日とが雨天とは、またなんと、祭のために設定したかのような天気暦ではないか。

 

       (空の倉庫写真)(ふたたび満杯の倉庫写真)

 主要会員諸君の活動はまだ了りではない。現場では昨日のうちに店を解体して、長机や椅子などを実行委員会に返却し、自前の資材や在庫はダンボール詰めしてある。今日はそれを、倉庫へと運び入庫する日だ。周辺関係者が与り知らぬ、中心会員だけの苦労である。賑にぎしい祭の背後には、中心会員数名による地味でしんどい踏ん張りが隠れてある。それを知るがゆえに、卒業していったかつての中心会員たちが、卒業してなん年を経ても、仕事に子育てに多忙の身となってさえ、駆けつけてくださる。手出しはせぬが気持の支援だ。かつての自分の苦労を懐かしむ想いもおありかもしれない。
 加えて今年も、資金の乏しいサークル活動に力を貸してくださる、善意の(というより侠気の)応援者に恵まれた。四日前の出庫から会場への搬入のさいには、かつての会長の弟さんが、車付きで運転手を務めてくださった。そして今日、会場から倉庫(つまり拙宅)への運搬と入庫に際しては、現女性会長の兄さんが、やはり車付きで運転手を務めてくださった。まことにありがたい。サークルとしてはガソリン代を負担するほかに、なんのお礼もできない。まったくのただ働きをご提供いただき、車までお借りしたのである。
 ご本人の善意のご好意は、場合によってはただでありがたくいただいてもよろしい。ただしその人の人脈やら情報やら技術については、ただではない。かねがね若者諸君にご忠告しておきながら、このサークルでは、遠慮なくご好意にすがっている。自己矛盾だ。
 古本屋研究会は貧相であることも、不体裁であることをも、恥とはしない。たとえば会員たちは日ごろの買物で入手した手提げ紙袋を廃棄せず、保存しておく。堂々堂には包装紙もオリジナル袋も用意してない。お客様には、松本清張の小説をアップルパイの袋でお持帰りいただく。雜誌のバックナンバーを佃煮屋の手提げ袋でお持帰りいただく。その代り掘出し物満載の百円均一投売り価格だ。そんなサークル活動に免じて、愛車と運転労力と貴重なお時間とをご提供くださるかたがたのご好意を、ありがたく頂戴してきた。一般社会では通用せぬことである。

 さて、五日間の空白期間を経て、倉庫はふたたび荷で満たされた。量は大幅に減った。四日前まで二か所に山積みされてあったダンボール箱が、一か所にまとまった。来年の堂々堂開店まで、また一年間の眠りに着く。
 それはいいんだが、わがパソコンはまだ眼醒めない。こちらは困ったもんだ。

日藝祭最終日、なのだが

 突然のパソコン異変。写真を投稿できない。残念!

 A機が使えない。症状としては、つねのアカウントから「はてなブログ」に入れなくなった。この文はB機からの投稿。
 以前から私には、通常のアカウントの他に、別のアカウントが与えられていた。コロナ禍にあっての在職当時、オンライン授業をすべく、大学から与えられたアカウントだ。私に選択の余地はなかった。メールアドレスも指定されていた。
 現在パソコンを立上げて、ネット接続しようとクリックすると、そのアカウントルートからの歓迎画面が表示される。いったん消去して、クリックし直す。と、視慣れた画面が表示される。私の無知から、アップした記事の保存なり検索なりに混乱をきたすのを恐れて、入力ルートを限定しておくべきと考えたからだ。たいした手間でもないから、これを毎日繰返してきた。

 新アカウントはつねに先手を打って、こちらから入場せよと迫ってくる。まるで従来アカウントはもう古い、こちらから入場すべきが今風だと諭し、十年一日の使いようを妨害してくるみたいだ。老人としては、脅迫されている気分にもなる。
 定年退職後は、新アカウントを使う機会はめったにない、ただオンライン授業時代の教材や講義録やメッセージ類が大量に残っているので、そのまま放置してきた。
 サブ回路として利用しようかと考えたこともないではなかったが、面倒くさいのだ。ショートカット機能をカスタマイズしてもらわなかったので、ログインのたびにアドレスだパスワードだ、しまいには本人確認のテストだと、訊かれる。読み取れないような変形文字がメールされてきて、これを読んでみろと命令される。読み間違えると、お前のパスワードは信用ならんと門前払いされる。まったく腹立たしい。

 そしてついに今朝からは、A機の従来アカウントに到達できず、諸法のサイトに接続できなくなった。もっともその症状は別の原因によるものかもしれない。つねづね妨害行為的だった新アカウントのしわざではないのだろう。ただし、である。こんなときこそ急場しのぎのB機による新アカウントでと考えてはみたものの、今度はA機のドキュメントやファイルに入れない。本日の日藝祭最終日で撮影した写真をデジカメから格納することもできないし、格納ファイルから既存写真を取出すこともできない。上ったりである、私の無知にとっては。
 時間は迫ってくる。今日はこれから、堂々堂にて気を吐いてくれた学生諸君や、応援に駆けつけてくださった卒業生のかたがたとの、打上げ会だ。しかたない。わがパソコンの機能修復と正常な日記復活とは、明日以降に回す。わがパソコン顧問への緊急救助要請も明日以降だ。

 残念なるかな。最終日の会場では、じつに得がたい見聞もし、あれこれのことを考えたのにと、強がりを云ってみる。

祝い飯



 及ばずながらも、せめて若者たちの門出を、寿ぐこととしよう。私ごときが祈ったり祝ったりしたところで、ご利益なんぞないけれども。

 朝は晴天だった。ふだんどおりに資源ゴミを出せた。なぁんだ、天気予報は外れじゃないかと思ったら、午前十時半ころから、急に小雨が降り始めた。当ってた。晴天を招いた高気圧が去って、津軽海峡と本州上空とに、前線をともなうふたつの低気圧があるそうだ。だがどちらの低気圧もアッという間に遠ざかり、明日はまた晴天に恵まれそうだという。たしか十一月三日の文化の日は、降雨の前例がもっとも少ない日との統計があると聴いた。
 日藝祭の二日めだ。日曜の初日と祝日の最終日が好天で、谷間の月曜があいにくな空模様となった。屋外企画への参加者にもお客さまにもお気の毒だが、たいした雨ではないし、風もない。無残なことにまではなるまい。かような日は屋内企画がむしろ混雑するかもしれない。古書堂々堂は思わぬ骨折りかもしれない。申しわけないことに、私は休ませてもらうと届け出てある。
 若い会員たちがシフトを組んで整然と運営しているのに、眼障りなジジイが連日周辺をウロウロする光景は考えものだ。暦を眺めて、二日めは遠慮しようと、前まえから心づもりしていた。

 せめて企画の盛況と若者たちの前途とを蔭ながら祈ろうかと、祝い飯を食う気になった。サミットストアにて「栗ご飯弁当」を買う。タイムセールで一割引きだが消費税が付いて、わずかに六百円を切る値段だ。わが暮しにあって、五百円を超える弁当は高級品だ。
 例のごとく、深く温め直すものと軽く温めるものと、そのままのものとを仕分けし、処理して大皿に盛る。玉子を焼いたり、常備のあり合せをも添える。思惑を超えた多品目膳となった。ラジオに耳を傾けながら、ゆっくりゆっくり食う。若者の前途を祈るなんぞというのは言いわけで、自分の気分を甘やかしているだけのことだと、つくづく考えた。
 昨日はろくな食事をしなかった。祭の一日めで妙に疲れた気分になってしまって、帰路の途上でつい「祭や」に立寄り、生ビールを一杯だけ呑んだ。一杯だけであれば、原稿に支障がない。長年の経験から承知している。早々に神輿を挙げて帰宅し、袋麺の味噌ラーメンと菓子パンのシナモンロールを一個食ってから、日記に向った。やはり疲労してはいたと見え、投稿してほどなく、日にちを跨ぐ時刻となってしまった。

 
 一昨日は、ビーフシチューのルウを溶いたスープに解凍豆ごはんを浮かせた。その前々日にカレースープを使ったので、だったらビーフシチューでもできるだろうと、思ったまでのことだ。温野菜をたっぷり摂れる。冷凍餃子を二個、解凍して放り込んだ。堂々堂のための景気づけみたいな膳になった。
 その前日は、ろくな食事をしなかった。「祭や」を会場として、古い仲間たちとの小さなトークの催しと、それに続く飲み会だった。半端な疲れと半端な酔いと、それに半端な時間になってしまった。ラジオを聴きながら小型のカレーヌードルを啜ってから、インスタント珈琲を飲んでいるうちに、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。夜中に眼醒めたらえらく寒くて、ガタガタ震えが来た。洗いものは水に浸けたままにして、あわてて寝室へ飛込み、二重毛布に固くくるまって寝直した。
 その前日は、翌日の催しへの景気づけと自分を承知させて、カレースープ飯とした。

 ということは、あり合せの常備惣菜を並べただけの、いつもの老人健康粗食を最後に摂ってから、もう五日も経っちまったのか。驚く。
 草むしりその他の冬支度は、いっこうに進んでいない。ゴミ屋敷状態になったままの部屋の片づけも進んでいない。本や書類の整理と、古書肆に出すものと残すものとゴミにするものとの分別も、進んでいない。什器類の分別や古い家具の始末や、要するに断捨離に類することは、いっこうに進んでいない。時の経つのが早過ぎる。

放物線



 古書堂々堂が無事開店した。日本大学藝術学部祭である。好天に恵まれ、来場者さまのお運びも好調で、まずまずの賑いだ。

 始まってしまえば、老人の倉庫番にはお手伝いできることなどない。それどころか、店の周辺をうろついていては眼障りだ。古い卒業生だの現役学生の手に余る客だのがふいに訪れた場合に備えて、居場所だけは店の者に伝えながら、どこかへ姿を隠さねばならない。
 まずは守衛所へ。祭の期間中にかぎり通常の入構受付け手続きは必要ない。しかし顔馴染みの守衛さんも多い。例年どおり、茶菓子を携えて挨拶に出向く。退職して五年以上にもなる下っ端講師とベテラン守衛さんがたとのあいだで、さながら生存確認のひと幕だ。こんな元教員も珍しいらしく、いつも和やかに迎えてくださる。
 文芸学科事務室へ。出番の助手君たちが詰めている。ここにも茶菓子を。「他のサークルにも増して、古本屋研究会をくれぐれもよろしく」と、笑わせておく。
 教授連中には、ご挨拶を遠慮しておく。どなたがおいでかも知らないし、出番シフトのかたはお役目でさぞや多用だろう。廊下かラウンジかで偶然お会いしたかたにだけ、ご挨拶申しあげれば足りる。だいいち学生の眼から見える場所に現れぬ教授なんぞに、こちらも用はない。さらには、この五年間に奉職なさった教員については、ろくに存じあげない。それよりも年長の教員には、かつてわが教室に在籍したかたもある。先方だってさぞや煙たかろう。
 祭の現場で骨を折ってくれているのは、若い助手君たちだ。元教員としてでなく、古本屋研究会の一老人会員としては、まずはこちらへご挨拶だ。

 ラウンジには同人誌・サークル誌の出店が並ぶから、一周してみる。文集や詩集や歌集を勧められるが、買えない。小遣いがないわけじゃない。買っても、どうせ読み切れないのが明白だからだ。
 一年ぶりに逢えば、若者たちは急速に成長している。放物線の裾野は勾配が急だ。同じ努力したところで、なかなか上昇できぬ時代が、やがてやってくる。そこからが辛抱のしどころなのだが、それ以前を歩みつつある若者は元気も好く、意気も盛んだ。
 今は質より量だ、なんでもいいから我武者羅に書いてくださいと、各出店の店番君らにお願いして歩く。偉い先生がたはおうおうにして、練習の質と量てなことをおっしゃるが、質の良い勉強とはなにかが、量を書いてみないうちは解らない。言葉を相手にするのも技芸だから、武道やスポーツや芸能と変るものではありえない。繰返しの稽古によって躰に沁みこませる以外の方法はない。しかしなかなか解ってもらえない。

 さて、堂々堂の店先は、安定して回り始めているようだ。眼障りなジジイは姿を消す算段である。

 
 毎年楽しみにしている展示がある。全国の日本大学系高校の美術部か美術教室かをネットワークしての、高校生による自画像デッサンコンクールだ。広い展示室の床から天井まで壁面一杯に隙間なく、定められた寸法の画用紙に鉛筆デッサンされた自画像が、なん百点と並ぶ。壮観だ。まさしく今まさに、放物線の裾野をもの凄い速度で駆け登りつつある若者たちの、勢いの饗宴だ。微笑ましい作品が多いが、なかには圧倒される作品も混じる。
 最奥突当りの壁面には、大賞・優秀賞・文房堂賞・ホルベイン賞・学部賞・特別賞などがそれぞれ各一点、それに佳作賞なん点かがひしめき合う。本当に高校生が描いたのかと、背筋に寒気が走るような力作揃いである。むろん優劣について、素人の眼で比較選別できるはずもない。

 展示場のほぼなかばを占める微笑ましい作品は、いずれも詰めが甘い。踏込みが浅い。もう一歩、踏込むあるいはこだわる余地がある。単体で観ているうちは、気が付けまい。どれも巧みな作品であり、構図もアングルも工夫されており、剽軽なあるいは生真面目な表情も描き出されてある。作者の人柄までが想像できるかのようだ。ところが全国に離れて住む同齢の、剛腕なる描き手の作品と並べて観ることによって、まだ踏込む余地があったことが明白となる。このコンクールは受賞者にとっても落選者にとっても、鑑賞する我われ門外の徒にとってさえ、まことに示唆するところ多い展示だ。
 おそらく画というものには、みずから気づいて、こだわって踏込むことで、初めて見えてくる余地というものがあるのだろう。踏込まぬうちは見えなかった余地なのだろう。気づいた者から順に踏込み、描き始めるのだろう。ろくに絵筆を持ったこともない私の、まったくの当てずっぽうだが、言葉だの文章だのの場合に置き換えてみて、そう思う。

 特別賞を受賞した、一面黒づくめの画があった。なにが描かれてあるかも判然としない。近寄って凝視すると、どうやら人物画だ。これも自画像らしい。そんな作品だ。
 いずれの分野においても「特別賞」というものがさようであるように、求められた基準もしくは常識的な評価軸にてらせば当然落選なのだけれども、作品がそのようになってしまった経緯については、、明瞭に伝わってくるという作品だ。おそらくこの作者は、放物線の頂点を越えてまで、踏込んでしまったのだ。
 裾野の急勾配を勢い好く登った放物線は、頂点に近づくにしたがって緩勾配となり、なかなか上昇せぬカーブをじりじりと這うように頂点へとにじり寄る。やがて、これ以上進むと降り勾配に入るという地点にまで達する。そこで筆を擱くことができれば、選んだモチーフなり設定した意図なりの可能性を存分に達成したといえる。それ以上進みたければ、別のモチーフとさらなる意図とをもって、次の作品に取りかからねばならない。
 だがその頂点を越えてもなお、こだわり続け踏込み続ける描き手がもしあったら、画はどのようになってしまうのか。頂点を越えた放物線は降り勾配へと入る。みずからの達成を塗りつぶしてまで描き込んでしまった黒づくめの画となり、いわば画の自己崩壊の途を歩み始める。常識的な評価基準を無視した、また鑑賞者の視線を締め出した、己一個の意識の冒険となってゆく。それはもはや技芸とは称べぬだろうか、いや、それこそが芸術だと称ぶべきだろうか。にわかには断じえぬところだ。
 審査員がたは、感心したり称賛したりできる大賞・優秀賞受賞作の心地好さとは別に、この黒づくめの不快作が孕むのっぴきならぬ真剣さに、なんらかの反応を示したかったと見える。「理外の理」をお認めになられたのだろう。それが「特別賞」の含意だろう。ともするとこの賞は、審査前には用意されてなかったかもしれない。

 わが身を振返れば、頂点なんぞ視たことも触ったこともないうちに、いつからか降り勾配を歩むようになった。近年はかなりの急勾配である。
 文芸学科の同人誌サークル群と、高校生の自画像群と、美術学科の絵画展と彫刻展とを観て歩いただけで、疲れ果ててしまった。食堂の一画に腰を落着けたまま、自販機の飲料をふた缶も飲んだ。写真学科の作品展も例年楽しみにしてきたのだったが、すべては明後日を期するしかない。降り坂である。

倉庫番



 老後のお役目のひとつが、倉庫番である。

 明日から日本大学藝術学部祭だ。古本屋研究会は学生古書店「古書堂々堂」を開店する。掘出し物満載の店で三日間、百円均一の捨て値で、投売り状態の活動をする。日ごろは古本屋を散策しながら散歩を愉しむという、ごくごく暢気な活動を繰返している会員たちも、年に一度の大学祭だけは、忙しく気を吐くこととなる。搬入搬出の力仕事もこなし、店番や販売員をも務める。
 かつて私は、このサークルの顧問教員だった。当然ながら退職を機に、現職の若手教員に後をお願いして、顧問を退いた。そして特別枠の学外老人会員として、いわばお情けでお付合いを継続させてもらっている。会員たちの古書店散策の尻尾に着かせてもらって、貴重な散歩を愉しませてもらっている。

 その代り、お役目がひとつある。倉庫番である。古書堂々堂は捨て値投売りを心がけるといっても、商品は大量に用意されてあるから、当然ながら在庫が発生する。翌年の開店まで、保管しなければならない。
 私は今でこそ独居老人の身ではあるが、かつては両親とともにここで住み、いちおう家族生活があった。で、空きスペースがある。それを古書堂々堂の倉庫として活用している。余分な経費を惜しんで、その分だけとにかく安売りするという活動を続けるためには、無料倉庫もいくらかは役立っているかと思っている。
 昨年の大学祭いらい、一年間眠っていた在庫商品が、今日動く。前日の仕込みと開店の三日間と翌日のバラシとで、つごう年に五日間だけ、倉庫が空になる。がらんどうとなった倉庫の、この風景をじっくり眺めることができるのは、私一人だ。


 学生サークルによる古書店といっても、仲間のリサイクル品を持ち寄ったフリーマーケットではない。それだと品揃えに偏りが生じ、分野の拡がりにも限界が生じてしまう。
 学外顧問とお称びしてもいい古書往来座さんが、なにかとご支援ご指導くださってきた。毎年、当方が提示した予算枠に応じて、古書市場から補充品を集めてくださる。学生古書店の品揃えにふさわしくないものは弾き、お若い客層に合う商品を、また藝術学部という店舗環境に似合う商品を、視つくろってくださる。
 今年新たに、大衆小説雑誌のバックナンバーが大量に入った。エンタメ文学の原点である。また楽譜が大量に入った。文芸学科棟にて開店する店にまで、音楽学科の学生や関係者が数多くお立寄りくださればよろしいが。また中公文庫・ちくま文庫がかなり入った。人文系の名著揃いである。

 在学当時サークルに在籍していた卒業生から。ご蔵書のありがたい寄贈もあった。大切に書架に並んでいたことが一目瞭然の、美本揃いだ。新入荷商品と寄贈本とは、今年から店頭に並ぶわけだ。
 そして昨年在庫が加わる。つまらぬ売残り本ではない。たまたま必要とする読者が通りかからなかったに過ぎぬ商品たちだ。画集や写真集や高等印刷による浮世絵もある。例年になく華やかな品揃えになることだろう。

 
 倉庫から出て行ったのは、本ばかりではない。いく箱もの箱型書棚がゆく。暖簾やテーブルクロスがゆく。運搬用の台車二台がゆく。アイキャッチのポスターやポップ類がゆく。売上げ管理の出納帳や釣銭用意の金庫がゆく。包装紙代りの手提げ袋たちがゆく。なにかの場合に備えての、カッターやガムテーブやセロテープもゆく。

 古書堂々堂は利潤追求店ではない。価格破壊店だ。人件費や倉庫費をゼロに抑えて、さらには善意の支援者がたに支えられて、法外の値段で本を配る店だ。ばら撒く店た。ご来店のお客さまには、きっとご満足いただける。
 明日から三日間開店。最終日の十一月三日(祝)の夕刻からは、会費制ではあるが打上げ会もある。初参加・初対面の飛入りも歓迎だ。学生・社会人をも問わない。

 

命を描く



 昨日に続き、『向田邦子全対談』から。

 白眉は中川一政との対談だ。年齢差が大きいから、大半は向田が訊ね、中川が回想を誘い出されて応える恰好になる。
 中学を卒業してはみたものの、将来なりたいものがなにもない。で、美術学校に通ったわけでもないのに画家になっちゃった、と云ってのける。挿絵の付合いでも、先輩の小杉放庵らは大酒呑み揃いだが、少し下の木村荘八や石井鶴三や中川は、三人でビール一本がやっとだと云う。それ以上呑むと、ぶっ倒れるそうだ。

 駒ヶ岳を描くことで有名だが、今は富士の裾野から吹き来る風が強くて描けぬ時期だと云う。富士は描かぬのですか、との質問に、あの山は偉過ぎて描く余地がない、観ているだけでいいと云う。「だから富士の絵に、好い絵っていうのがない」と云ってのける。私は巨匠名匠による富士山を、いくつも観てきた気がしていたが、中川によればそういうことらしい。子ども時分に富士山と太陽とを描いておけば、それでいいと云う。
 「私なんて、登ってる人まで描きました」という向田に、「それは偉い(笑)」となる。この「偉い」の含蓄は、よくよく味わうべきものだ。

 ヌードは描かぬのかとの質問には、モデルを使うのは面倒だという。心安くなると、帯を買ってくれだのなんだのと、云い出しかねぬからだそうだ。挿絵の必要から女性像を描かねばならぬさいには、「女房の親父さんの妾が、新橋で置屋をやってて」なんぞという噺にもなって、芸者衆を描かせてもらったそうだ。だから『人生劇場』の挿絵だってのに、色気があり過ぎたそうだ。
 石井鶴三が描くと、娼婦なのに貞女になっちまうと、先輩小杉放庵から云われた。逆に木村荘八が描くと色気ばっかりになって、女性の本体がどこにもなくなっちまう。「あれは、二十歳くらいまでのあいだに、ずいぶん道楽しちゃったから、当然なんだ」これは中川の見立てだ。
 モデルを描くには、アトリエに入室してきてから、所定の座に着くまでが勝負だという。そこにモデルの命が動く。着座してポーズを決めてしまえば、モデルの命は固まってしまい、死んだも同然。中川が描きたいものは観当らなくなってしまうそうだ。

 魚一匹を描くにも同様で、出てきた瞬間をどう眺めるかで勝負が決り、所定の場所にデンッと据えられてしまったら、もう描くべきものは消えているという。「なるべく早く描いちゃわないとね」
 そこで魚の眼がどんなに怖いかについて、中川と向田の意見交換に入る。「魚の眼って、よく観ると、怖いですよね」「海の中で、真剣に生きているからネ。遊んでる者の眼は、怖くない」
 たしかこの一節に身震いするほどの刺激を受けて、片岡鶴太郎さんは魚を描くようになったと、おっしゃってなかっただろうか。そんな記憶がある。

 若き日の中川の先輩に、外国航路の船乗りだか留学生だかがあって、土産に絵具をくださった。で、画を描くようになったという。もしその絵具がなかったら、画家にはなれなかったろうと断言している。なにせ中学を卒業しても、なりたいものも就きたい職業も、なにもなかったという。むろん画家となってからだって、廃業してしまいたいと思ったことは、いく度あったか知れないとも云う。
 人間の内懐へもぐり込む達人である聞き手が、巨匠から訊き出したのは、畢竟するところただひと言だ。描くべきは形ではなく、命である。
 向田邦子は中川一政の書を、書斎の壁面に飾って、朝な夕なに眺めながら仕事したという。最初で最後の長篇小説『あ・うん』が中川一政装幀で刊行されたさいには、法外の喜びとして「馬子にも衣裳」と形容したという。葬儀の祭壇には、弔辞の代りに中川一政揮毫の法名が掲げられたそうだ。

内法のさばき



 『向田邦子全対談』から、ずいぶん教えられている。

 まずもって目次に居並ぶ対談相手が凄い。吉行淳之介、阿川弘之、水上勉、谷川俊太郎と並べば、文学の裏話かと眼を惹かれる。倉本聰、鴨下信一、小野田勇と来れば、テレビドラマの裏話か。山藤章二、和田誠となれば、美術や挿絵の話題か。紅一点の澤地久枝とだったら、同世代にしてともに雑誌編集者から文筆家となった女性同士による、とっておきの話題か。
 そうでもあるが、そうでもない。美味い食べ物の噺、旅先での噺、勘違いや失敗談、着物や身だしなみや行儀の噺。出るわ出るわ、耳寄りな噺の連続だ。正座して眉根を寄せての文学や美術に関する対談など、ひとつもない。対談舞台がタウン誌、女性月刊誌、週刊誌その他だから、当然こうなったとも云える。時と場合をも舞台をも、十分にわきまえたかたがたばかりだ。むろん、正面切った対談なんぞよりも、はるかに面白い。
 変り種としては、二子山勝治がいる。初代若乃花だ。栃若時代を築いて、空前の大相撲ブームを巻起した「土俵の鬼」である。へェ~と思って読んでみると、相撲部屋の内情に始まって、新弟子を勧誘する苦労から、若者の将来性を視抜く着眼点など、勘所を突いた質問が矢継ぎばやだ。向田邦子という人が、並なみならぬ相撲好きであることが、それどころか相撲見識人であることが瞭かになる。飛行機事故なんぞに遭わなければ、ゆくゆくは横綱審議委員に名を連ねたかもしれぬ女性だ。

 竹脇無我との対談も異色だ。向田脚本によるテレビドラマに出演した縁による交友らしい。向田邦子はこの美男俳優から、姉のように慕われたようだ。
 役者を二大別すると、と向田邦子は云う。許された間(ま)を全部自分のほうで取って眼一杯に演技してしまう人と、内法(うちのり)で芝居する人とに分れる。内法とは内側の寸法という意味で、「内矩」とも書く。厚みのある容器などの内径のことだ。柱と柱の内がわ同士の距離をも云う。一見したところ演技不足に見えてしまいかねない、内法の演技に惹かれるという。ゲイリー・クーパーやグレゴリー・ペックを例にしている。日本の役者では、八千草薫と竹脇無我とを挙げている。
 白状すると、竹脇無我という俳優はあまりに美男顔で、たいした演技もしないで突っ立っている役どころの人としか、私には見えていなかった。内法の演技……。指摘されてみれば、もっともだ。気楽で愉しげな舞台とはいえ、さすがに専門家同士の対談には、素人には思いも寄らぬ洞察がある。

 文学にだって、相似形の問題がある。私はそれを、大声の文学、小声の文学というふうに二大別してきた。それなりに有効性があり、便利でもある分類法だった。だがよく考えてみると、両分類基準はおおむね重なりはするが、正確には重ならない。稀にズレる。大声の文学にも内法の文学がないとは云えず、小声の文学にも内法でない文学もある。例は少ないが、確かにある。
 文学と云わずに「文章」「文」「言葉」というふうに、単位をどんどん微小に砕いてゆくと、ズレの正体が見えてくる気がする。大声・小声分類には、主題の深刻さや作柄の大小や、主張の強弱や表現方法の選択が、どうしても影響してくる。が、内法の文章という評価軸を想定してみると、言葉に向う書き手の心身両面における「さばき」といった側面が、くっきりと立ち現れてくる。手際の問題のみならず、料簡だの覚悟だのといった問題でもある。わきまえだの慎みだのといった問題でもあるのは、むろんだけれども。
 内法の演技、か。好い言葉を教えていただいた。装画は風間完による向田邦子像である。