一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ハブ樹木


 道路を挟んで拙宅の筋向うにあたる音澤さんのお宅は、ゆかしき意味で自由放任のお宅だ。政党からポスター掲示の願い出があると、差障りでもない限りは許可していらっしゃるらしい。国家権力政党も泡沫政党も差別しないというかたちで、不偏不党を表明しておられる。私にはとうてい真似のできぬなさりようだ。

 庭木にたいしても姿勢は一貫しておられて、人さまによっぽどのご迷惑が及ばぬかぎりは、植物の生命力のなりゆきに委ねておられるようだ。
 花や葉が道路に降り散ることでもあると、夜明け早々にご主人みずから、箒と塵取りで掃いておられる。枝があまりに道路へ身を乗出したときには、高枝伐り鋏を持出されて、チョキチョキやっておられる。物干竿の先端に鋏が付いていて、綱を引きながら操作する道具だ。一時期、通販広告でよく視かけたが、今でも人気商品なんだろうか。

 ご門内、お玄関までのわずかな広さに、花が咲くもの実がなるもの、数種類の樹木がちょうど好い具合に、外からの視線からお二階の窓を覆い隠すように繁っている。
 もっとも丈高いのはたぶんネズミモチだろう。実を着けるものだから鳥たちの食糧となり、どこからか運ばれてきて芽を噴く。実生の苗だ。

 拙宅敷地にも四株五株生えて、邪魔にもならぬかと気にせずにいたら目覚しく成長して、二十年も経たぬうちに一階天井くらいの高さにまで成長して、枝葉を逞しく茂らせるようになってしまった。で、玄関脇の門番一株を残して、すべて伐り倒した。
 絶命させる薬剤を切株に塗布してはみたが、成木の生命力は侮りがたく、今でも切株からひこばえのごとき細枝を出してくる。眼を離さぬよう心掛けて、生い茂るまえに剪定鋏を使わねばならない。

 音澤さんのご主人は、私より鷹揚だ。寛大である。ネズミモチを主木とする数種類の樹木はあい俟って、お二階の窓から、うっかりすると屋根までを覆いかねぬ勢いだ。
 ファミマの帰りに交差点でしばらく立停まって、しげしげ観察したところによると、どうやらこゝが現在、あたりを飛び交う小鳥たちの、ハブ樹木となっているようだ。

 梢あたりがちょうど二階家の瓦屋根の高さほどだが、そのあたりはヒヨドリが何羽も飛来して、鳴き交す。挨拶か情報交換か。こゝから四方八方へと翔び発ってゆく。
 樹木の中ほど、一階の軒びさしの高さあたりはスズメのコロニーである。餌となるモチの実には不自由ないはずだが、なぜか子スズメたちは、車や人の往来の隙を窺いながら、アスファルト地面へ降りてきて、信号機の足元あたりで餌をついばんでいる。完熟して地に落下した実のほうが美味いのだろうか。それとも枝上で食事するのでは、足場が悪いとでもいうのだろうか。

 スズメよりほんの少々小型の鳥も混じる。メジロでもシジュウカラでもない。それらなら私にだって、すぐに視分けがつく。
 高層の梢領域にもヒヨドリ以外の鳥が混じる。ムクドリではないようだ。ツガイで行動しないし、脚もオレンジ色ではない。形と色からするとオナガでもない。とくに調べてもみないが。
 ハトも通りかゝるが、電線やベランダの手摺が専門で、樹木の中へはめったに入って来ない。

 季節がら、ツバメも姿を現した。巣造りの材料集めだろうか、それともすでに子育てが始まっているのだろうか。いやその前に、どこに巣を架けたのだろうか。拙宅敷地内には外敵の心配もなさそうな軒下もあるのだが、ツバメの巣が架かったことはこれまで一度もない。
 いずれにせよ、鳥たちが中継地の立寄り所とし、餌場とし、安全地帯としている樹木の集りだから、虫も湧くことだろうし舞うことだろう。ツバメにとっても視野に置いておくべき場所なのだろう。三回四回と旋回してから、どこかへ翔んでいった。

 それにしてもツバメは、どうしてあんなに、羽ばたきもせずにスイスイと滑空できるのだろうか。それに比べてスズメは、どうしてあんなに、短い移動にもパタパタ羽ばたくのだろうか。
 まさかお互いが見えていないはずがあるまい。アイツらの大家族が来ているナ、アイツが来る季節になったカ、と解っているだろう。が、張りあうのを視たことがないし、意識しているようにもついぞ見えない。互いを、どう観ているのだろうか。

 俺は、なにを今さら子どもじみたことをと照れるが、ツバメのように生きるつもりでスズメのように暮しちまったかと、青信号を待つあいだに、ふと想う。

第三位


 昨日に引続き、取るに足らぬ些細なもんに、飽きがくる噺で。

 たしか昨年の今ごろか、久かたぶりに肉じゃがをつくって、数日かけて食べ了えるとまた肉じゃがを仕立てるという時期を、しばらく続けた。水加減も調味料の配合も、以前のことなどろくに憶えちゃいない。そこはヤマ勘テキトー。当然ながら、とりたてゝ不味くもないというだけの、あいまいな代物ができる。
 出汁加減を、砂糖の量を、醤油を差すきっかけを、下茹で時間と煮る時間のバランスを、あれこれ考えてまたつくる。結局毎週のように二か月半ほど、肉じゃがをつくった。人さまにお勧めなどできぬが、自分で食うならこのあたりかなという味に落着けば、いちおう満足。飽きがくる。

 夏から秋のころには、揚げびたしに替えた。これは調理時間も長いし、具のバリエーションも豊富だ。青魚が定番だろうが、鶏肉でもやってみた。そして両方捨てて野菜だけになった。軟かく仕上るものとしてはピーマンと茄子が双方捨てがたく、最後まで取っ換え引っ換えした。人参と生椎茸は不動の定連。蓮根を使いたかったが予算オーバーになるので、ひねこびた見切り品が出るのを狙ったが、機会は一度しかなかった。
 漬け汁の酢の援軍として、花梨の実からシロップを造った搾りカスを冷凍しておいたものをつかったら、大成功だった。搾りカスが底を突いたら、酸味が寂しくなった。が、柑橘系調味料などは買わない。使い切らずに了ってしまう可能性が高く、もったいない。
 これもだいたい「俺の味」に行き着いたので、飽きた。

 次はどうしようと思いつゝ年が明けたころ、ふいに牛蒡の味が懐かしくなり、鶏ゴボウに切換えた。と申しても、これは勝手な命名で、玄人料理人がたがお造りになる「鶏牛蒡」には似ても似つかない。要するに、鶏肉と牛蒡・人参の炊き物である。竹輪や生姜に応援させたりする。
 例によって以前の加減は記憶していない。たしか牛蒡の下茹で時間に気を配った憶えがある。人参九分、牛蒡十一分だったか。根菜のエグ味というか泥臭さが抜けてしまっては、元も子もない。
 思えば私は、一年中ニンジンとカボチャを食っている男だ。

 つい数日前、ふいに雁もどきを食いたくなった。そういえば、ジャガイモとも少々ご無沙汰している。なんたって、肉じゃがから一年が経つ。
 で、定番の人参と竹輪を合せる。たしか雁もどきと竹輪が入るときは、塩味をよく吸うので、心持ち醤油多めだったか。先に出汁と酒と砂糖で少々煮て、後から醤油だった記憶がある。落し蓋だったな。
 咄嗟の思いつきで、白滝を放り込んだら、グジャグジャした豚の餌みたいなものができた。味は悪くない。かといって佳くもない。段階的ににじり寄ってゆくこととする。よしっ、この夏は、芋を食うことにしようか。

 温野菜食中心の生活を続けてきて、しみじみ想うのは。なにと合せても美味く仕上り、相手をも美味くさせる、優れもの食材の存在である。かなり長期間考えて、今もって考慮中なのだが、二番が雁もどきだ。雁もどきも種類は多彩だが、細目分類と評価は他日として、ひっくるめて申せば、まずトップスリー入り鉄板。
 一番は干椎茸。たゞし私の台所には予算オーバー。「高級肉厚どんこ」なんぞというものを、両親の看病・介護の時分には用いたものだったが、今の私には身分不相応だ。小ぶりな並の品で見切り値引き品に遭遇でもしたら、ということにしている。
 生椎茸を冷凍庫で凍らせてから使うと、干椎茸のようになるという説があるが、まだ試みたことがない。水分を出すという点は期待できようが、やはり陽光による化学変化の側面は侮れぬだろうという気がしている。

 さて問題は第三位である。この選考が難航している。
 大根は? 相方を選ぶ。途方もない名人芸を発揮する反面、気に食わぬ相方には意地悪をしかねない。
 昆布は? 有力ではあるが、調理法によっては、汁にトロ味を出し過ぎる。
 人参は? 自分が美味くなるのであって、相方を美味くするわけではない。じゃが芋も同様。
 牛蒡は? 力があり過ぎる。どんな相方と合せても、牛蒡料理にしてしまう。
 玉ねぎは? 有力候補ではあるが、溶け過ぎるんでねぇ。
 生姜は? まさしく、どんな相方をも助けて、仕事を完璧にこなす、信頼度抜群の腕達者。たゞし徹底した脇役キャラで、トップスリー入りしようものなら、本人から辞退されそうだ。

 よって今のところ、第三位は空席ということにしておく。

蹉跌


 どんな些細なことにも、飽きがくるというときはあるようで。

 いつ頃までだったろうか、瓶入りのインスタントコーヒーをスプーンでカップにとり、湯を注いでいたのは。すいぶん長い年月、さようにしてきていた。
 お若いかたの嗜好の多彩化によるのだろうが、オレだの、ラテだの、ハーフアンドハーフだの、良く申せば細やかな、悪く申せば中途半端な飲料がお洒落系喫茶店に氾濫して、目新しもん好きの眼を惹いた。
 企業がこれをビジネス・チャンスと捉えぬはずはなく、自販機用の缶入り飲料もペットボトル飲料も、あれよあれよの間に商品アイテムが倍増した。当然ながら、インスタント飲料にも、その趨勢が反映せぬはずがない。

 TVチャンピオンじゃあるまいし、マニアックに詳しくなる気はしない。しばらくの間はわれ関せず。スプーンでとった顆粒状の珈琲に、白湯を注いでいた。
 ふとした気の迷いか、あるとき手に取ってみた。砂糖もミルクも不要。というより、すでに仕込まれている。つまり味はすべてメーカーにより決定済み。あとは水分のみ。ふぅむ、ワタナベのジュースの素や永谷園のお吸い物と同じか。あのカルピスでさえ、自分で濃度調整するというのに。

 一商品を手に取ると、もういけない。わが町のスーパー・コンビニに並ぶ商品を、ひと通り試してみたい欲求に駆られた。旧い歌謡曲よろしく、これが苦労の始めでしょうか。
 一箱に、スティック状の小分け袋が、二十数本も入っているのである。珈琲飲料だけでも、三百杯は飲まねばならない。一巡したころには、最初の商品の味など憶えているはずがない。採点ノートを作って、記録しようか。それもこだわり過ぎの感がする。
 全商品からまずそれぞれ一本目を取出して続けて飲み、一巡したら各二本目に移るという方法を採るか。それには全商品を一度に買い揃えなければならない。商品特性からいって消費期限には問題あるまいが、それよりまず自分自身に信用が置けない。途中で気が変ったり飽きたりして、調査中止を判断することにでもなったら、その時点での手持ち在庫をどうするか。

 待て待て、こゝは冷静に……。
 大手メーカーの開発研究室。会社としては社運を賭けての新商品開発だったことだろう。スタッフ一同にとっては、社内立場や将来のサラリー安定を賭けて、息詰まる実験と試行錯誤の日々だったことだろう。
 加えて営業部の販促担当がいて、スーパーやコンビニ本部の仕入れ担当がいる。遜色ある商品が、そうそう棚に並んだり、私ごときの眼に止ったりするはずもあるまい。
 こゝは一番肩の力を抜いて、緩やかになだらかに一箱づつ、一商品飲み了ったら次は別商品を買ってみるという、ごくフツーッの態度が正解なのではあるまいか。

 案ずるよりなんとやら。三箱目が四箱目に、ネスカフェゴールドブレンド・カフェラテと出逢った。私勝手な呼称「黄箱」である。
 軽い。食後のひと休みにうってつけだった。味の相性も合った。で、こゝ二年近くは、これ一本に絞ってきたのだった。目移りの必要を感じなかった。満足とは自己満足の謂いであると、自分に云い聞せてきた。

 蹉跌は己惚れに忍び寄る。まさしく。
 味わう当方の老化が計算に入ってなかった。味覚がというより、内臓が老化してきたのだろう。日に三杯も四杯も飲むうちに、気が進まぬようになってきた。ひと頃ほどの欲求がなくなってきた。
 気紛れな試しで、スーパーの棚で隣り合っていたミルクティーに手を伸ばしてみた。私勝手な呼称「ピンク箱」である。ところがだ。珈琲よりもっと軽く、飲んで楽だ。

 この齢まで、紅茶趣味をもったことはない。高級な紅茶のご進物に与っても、そんなにお気を遣わず、あたりまえの庶民的インスタント珈琲でよろしかったのにと、内心では思ったものだった。『相棒』であれば、「右京さん」から厳選茶葉の紅茶をご馳走になるより、「亀山君」と珈琲をご一緒するほうを選んだろう。
 その私が、である。インスタントのミルクティーは、軽くて、甘くて、楽だ。目下併用中だが、出番は徐々に接近、いや逆転しつゝある。
 たかがひとり飯の食後の一杯。こんなところにも、老化の推移は顕れる。

街の絵柄

 ヤマボウシとハナミヅキの見分けかたを、知らない。

 高校時代の学友亀戸君のお通夜に参るべく、久びさに電車に乗ることに。
 わが駅前に立って花を着けているのは……。しばし立停まって眺めてから、まぁ通夜の日でもあることだし、常緑系の山法師ということにしておこう。。


 目的地の最寄り駅は都営新宿線の菊川だという。浅草から視て川向う。深川と称ばれる一帯だ。隣の森下駅にも、さらに隣の清澄白河駅にも、下車した経験はあるが、菊川駅で下車するのは、おそらく初めてとなる。
 かつてなん度か、森下駅から芭蕉資料館へ、そして隅田川沿いをぶらぶらするという散歩コースを歩いたことがあった。
 芭蕉が草庵を結んだのが今のどこか、正確には定めがたいらしい。ある年のこと、台風による高潮に洗われて、松尾芭蕉が愛してやまなかったと伝えられる石の蛙が出土して、ここが芭蕉庵だったろうと見做された。史跡とされ、今は区立施設として記念館が建っているわけだ。

 清澄白河駅下車であれば、まず駅脇ともいえる清澄庭園小石川後楽園駒込六義園ほか、池の周囲を巡るゆかしき日本庭園は東京にいくつもあるが、他を圧する清澄庭園の魅力はと申せば、石である。名石と名高い全国各処の石を取寄せて配した庭は、さながら庭石コレクションとも庭石美術館とも称びえて、圧巻である。
 庭園をあとに深川江戸資料館へというのが定番コースだ。江戸時代の川岸に建った船宿や漁師たちの長屋や、日用品の商店などが再現されて、テーマパークを歩く気分に浸れる。
 資料館を出れば、界隈の食堂ならどこでも、名代「深川めし」が食える。発祥は、忙しさのあまりに仕事途中で丁寧に手や顔を洗っている暇すら惜しい漁師や職人たちが、浅利の味噌汁を濃いめに仕立てて、冷や飯にぶっかけて掻っこんだものだ。現在ではもちろん、上品な丼料理となっている。
 下町情緒を演出した商店街を抜けきれば、大通りを渡った向うは現代美術館だ。また別の方向へひと駅分歩けば門前仲町で、富岡八幡宮深川不動尊ということになる。どっち方向へ歩いても、見聞の種に不自由はない。

 ずいぶんご無沙汰してしまった地域だし、今日はひと駅となりの菊川へ初下車である。けっして遅刻はならぬし、かりに到着が早過ぎても、あたりをぶらぶらするのも一興と、十八時からの通夜なのに、十五時には拙宅を出た。
 早く出立したには理由がひとつある。普通の着想から都営新宿線に乗ろうとすれば、池袋と新宿とで、二回乗換えねばならない。気が進まない。
 そこでまず練馬へ。つまり目的地の逆方向だ。そこから都営大江戸線線に乗ったまゝ、東中野・都庁前・新宿・青山・六本木・大門・築地・勝どき・月島・門前仲町と、ぐる~りと遠回りして森下まで、気楽に腰掛けて行こうという道筋を選んだ。なんの思いつきか、岩波文庫永井荷風『濹東綺譚』をバッグに収めた。

 遠回り地下鉄は、私の髙括り以上に時間を要し、文庫本は五十ページ以上、もう主人公大江匡が古本屋に寄る場面も、巡査に職質される場面も、それどころかふいの夕立が縁でお雪と出逢い、家にあがる場面まで済んでしまった。
 記憶のなかの『濹東綺譚』は、もうすこしネットリ描かれていたのだったが、読返してみると、あんがい始末好くサバサバと、いわば段取りどおりに運ばれている。読む当方が脂ぎった老人になったということなのだろう。
 そうさなぁ、荷風を読み直してみようか、などというアイデアも、頭をかすめた。

 森下で大江戸線から新宿線へ、都営地下鉄同士の乗換えでひと駅、菊川に着いた。通夜が始まるまでに、まだ小一時間ある。
 初めての街だから、商店の構えや街並みを、なんとなく眺めて歩く。お隣の森下と同じく、一本裏道へ折れると、商店をほとんど視かけなくなる。かといって住宅一色というのではない。町工場や、自営の加工場や、作業場などが眼を惹く。なにせ川や運河に囲まれたり挟まれたりしている一帯だ。川っぷちの倉庫や、部品製造工場、組立て作業場などが伝統的な地場産業だったのだろう。
 それでいて新住民のカタマリ、高層マンションもあちらこちらに見える。

 小一時間のあいだに、用紙問屋からの納品なのだろう、人の背丈ほどもあるロールに巻き取られた紙を運ぶトラックが、三台も通り過ぎていった。
 資源ゴミ回収日に当っているとみえて、色分けされた樹脂コンテナが辻々に置かれ、ペットボトルだの空き缶だのが寄せられている。レッドブルがずいぶん飲まれている街だ。

 交差点の地面で、視なれぬものを眼にした。四隅を繋ぐ四本の横断歩道の内側に、断続矢印のような、水色のマークが描かれている。しばし眺めて、立ち尽した。
 そこはもう通夜会場までほどなくだったので、友人が一人やってきた。一別以来の挨拶を交したのち、なにかなコレと、訊ねてみた。私は車の運転をしないので、交通標識や路上ペイントマークに関しては、はなはだ無知なのである。だが、普通免許保持者の友人も、憶えがないと云う。
 時を経ずに、次の友人がやって来た。彼は学生時分から、運転を趣味のひとつにしていたような男だ。挨拶もそこそこに、訊ねてみた。その男でさえ、気にしたことがないと云う。たゞ描かれている場所から想像するに、原付バイクや自転車はココを通れという指示だろうとのことだった。
 なるほど、位置関係からすると、いかにもさようである。彼らが知らぬということは、それほど普及しているマークではないのだろうか。

 後刻、調べてみた。「自転車走行指導帯」というらしい。自転車に歩道走行されては歩行者が危険だ。かといって自転車専用通行帯も設定できない場合、車道混在と称されて、自転車は車道を走れということとなる。そのさいの自転車走行帯の目安だそうだ。しかしそこは自転車の専用帯ではなく、自動車もバイクも走れる。ということは、自転車の安全はべつだん保証されまいと、とかく諸説絶えぬ法規だそうだ。
 たゞ歩行者安全の観点から、自転車に車道へ出てもらうための、お誘いお願いのようなマークだそうだ。
 それは解った。だったら普通は車道に沿って、歩道寄りに連なっているのだろう。交差点の内側に、四辺形状に連なっているのはなぜか。

 この地域には、原付バイクや自転車の荷台に、小ぶりの製品や材料や、部品や工具を乗せて往来する人が、少なくないのかもしれない。それらには丸腰の横断者との接触を避けねばならぬ必要があるのかもしれない。歩行者だって、そんなもんと接触したくはなかろう。
 または車輛との事故などが起きて、交差点内に品物がバラ撒かれてしまい、途方もない苦労をしたなんぞという災難が、いく度もあった交差点なのかもしれない。そういうかたがたが渡る横断歩道なのだ。
 なるほど、視た憶えがないわけだ。俺の街には、必要ないものなんだなと、妙に感心したのだった。次郎(私の自転車)には、はなから荷台すら付いていない。 

健康?

 いわゆる、なんと申しましょうか、深夜のありあわせ。

 だいぶ以前だが、写真家の高梨豊さんや、現代美術の赤瀬川原平さん、秋山祐徳太子さんらが「ライカ同盟」を名乗られて、機知に富んだ独自視点による写真活動をなさっておられた。
 主要な主題のひとつに、路上観察があった。染みの浮出た壁だろうが、絡みつかんばかりに錯綜した古い電線だろうが、マンホールのフタだろうが、街歩きの途上でふと心に染みた光景または物を、ご自慢のライカでフィルムに収める。それを相互批評されたり、短いエッセーを付して誌上発表されたり、写真展を開催なさったりもした。

 ある友人の SNS に、東京都内の町並風景が連日投稿される。名所旧跡巡りではなく、彼なりの切取り視点が独特で、愉しませてもらっている。かつての「ライカ同盟」の先輩がたの場合と同じく、われら凡人なら視過して通り過ぎるにちがいない風景を、彼の眼によって再発見させてもらっているわけである。

 彼は散歩を仕事のひとつと、それも重要なひとつと考えて日々過しているらしい。そう考えるにいたった経緯には、どうやら健康管理問題が関係しているらしい。こういう形式の、日記体裁の投稿が混じる。
 〇月〇日、血圧○○、中性脂肪○○、体重○○kg(〇〇g負け)、本日○○歩――。
 自分の体調データをつね日ごろ把握しておくことは大切だ。私もさよう努めている。「本日○○歩」の習慣は私にはないが、歩くことを健康管理の柱と考える人であれば、想像できなくはない。

 眼を惹くのは「○○g負け」である。目安もしくは目標とする適正体重があって、それに達しているかいないか、ということなのだろう。肥満を懸念する人であれば減量を、大病後の恢復を念じる人であれば増量を期しての、目標なのだろう。
 意図は伝わるが、その「負け、勝ち」という表記方法が面白い。自身を叱咤する彼の気構えも窺えるし、ユーモアを愛してやまぬ人柄も伝わってくる。

 べつの友人だが、これも日記事項を SNS へ投稿した末尾に、「明日は人と逢ってどうしても飲むことになるから、今日は我慢して〇勝〇敗」などと記されている。朔日であれば一勝零敗か、零勝一敗である。月末であれば十勝二十敗とかになる。
 すなわち、禁酒の日を勝ち、飲酒の日を負けと設定して、月末〆でもう何年にもわたって、星取勘定しているわけである。
 これもねぇ。気持ちは痛いほど伝わってくるが、私ならぜったいに採らぬ方式だ。

 酒を飲みたいと欲する日が、めっきり減った。というより、ほとんどなくなった。休肝日を設けねば危ないと忠告されるのが常だった、わが壮年期・中年期をご存じのむきからは、信じがたき光景と思われよう。
 「ま、一生涯分はもう飲んだよ」と応えることにしている。
 飲みたい気持が皆無となったわけではない。酒が嫌いになったわけでもない。なにがしかの想いが生じて、「飲みてえなぁ」と感じる夜もある。さような想いに捉われる機会が、どうやらほとんどなくなった、ということのようだ。

 酒飲みの風上にも置けぬ申しようだが、またかつての大酒飲みが申してはいかにもバチ当りだが、現在では健康維持的欲求から盃を手にする場合が多くなった。
 齢甲斐もなくムキに根を詰めることでもあって、脳が興奮状態にあるときなど、このまゝ就寝しても安眠できまいと思われて、飲むことがある。
 また晩秋からつい先だってまでは、エアコンを使わぬ拙宅内はがいして寒いので、
 「ウ~、寒いっ、一杯飲んで寝ちまおう」
 という一日の了えかたが、けっこうあった。これも体調を平静に戻すための処方であって、いわば健康維持用法としての酒である。

 健康維持用法であるから、量は不必要だ。ビールなら三五〇ミリひと缶で足りる。酒なら一号四勺入る愛用徳利一本で十分である。かつての私は、この程度を飲酒とは称ばなかった。が今は、こんな程度を、ゆっくり味わえば、他愛なき一日が終る。
 そんないじましき酒飲みにふさわしい、じつに些末な悩みが、昨日生じた。

 スーパーの値引きで贖える安酒のうちでは、燗酒はこれかなと、年月をかけて銘柄を絞り込んできている。冷蔵庫で冷して飲むのであれば、銘柄は異なるのだ。
 所によっては夏日が、なんぞという陽気になってきて、おりしも二〇〇〇ミリパックが山となり、これが今季最後の熱燗と過日覚悟した。これからはビールかねぇと、上機嫌でもあったのである。まだ冷酒には早いかねぇと、ニヤニヤもしたのである。
 にもかゝわらず、気圧の谷が停滞しているだのなんだのと云っちゃあ、肌寒さがぶり返してきた。ビールは補充してある。次に贖うのは冷酒用か、などと考えていた矢先に、
 「寒いから、一杯飲んで寝ちまおう」
 という日が、またやって来た。どうしてくれようぞ。燗酒用を仕入れれば、一回に一合半しか消費しない私のことゆえ、山になる前に、陽気は暖かくなるに決っているのだ。

 どっちでもいゝじゃねぇか、どのみち全部、飲んじまうんだろうに――。
 それは世俗的合理の世界。一升酒喰らっていた男が一合半で満足するにいたる年月をおろそかに、もしくは度外視した俗論に過ぎない。じつは空間概念の把握法の問題であり、芸術論の問題なのである。

からめ手



 網戸ってえもんは、奴さんにとっちゃあ、まことに摑まりやすい、このうえなく登りやすいもんなんでしょうなぁ。いえ、ヤブガラシの野郎のこってすがね。けど、まさか壁のこっちがわから、つまり腹のほうから撮られるとは、思っちゃあいなかったことでしょうなぁ。まさに、からめ手からというわけで。

 高校時代の学友亀戸君の訃報が、ふた方向から入ってきた。現在でもおりに触れて付合っている、いわば気の合う仲間たちからと、バスケットボール部OB会からだ。
 仲間たちというのは、典型的な男子私学受験校にあって、芸術だの政治だのマスコミだのに興味惹かれる、自称「落ちこぼれ」集団の出身者たちだ。なんのことはない、世の中で面白い仕事をしたのは、ひと握りの飛び抜けた秀才たちを除けば、この連中だ。亀戸君も、その一人だった。
 また当時のバスケ部は、おりしも部員の少ない低迷期に当っていて、そのなかを亀戸君と私とでからくも凌ぎ、次の世代へとバトンを繋いだ、という間柄だった。

 大学へ進んでからは、なん年か音信が途絶えた。ある政治党派の活動家として、亀戸君の動きが先鋭化して、私ごとき軟派野郎とは、接点がなくなったのである。こちらからはどう連絡したらよいかも判らなかったし、彼のほうでも、素人に迷惑を及ぼすまいと、配慮してくれたのだったかもしれない。
 年月を経て、躰をこわしたこともあって、前線から足を洗った彼は、勉強し直して弁護士となった。高校時代の文学好き・映画好きの彼が復活して、われら落ちこぼれ集団の前に再登場したのだった。

 不覚にも私は年月を失念していたが、仲間うちには気の利く者もあって、その教示によれば、亀戸君が癌手術を受けてから、もう二十年にもなるそうだ。一時は病気の巣窟のようになって、仲間たちのあいだには、口には出さずとも密かに覚悟する気配が漂った。
 しかし本人は一見いたって呑気そうだった。杖を携え、動きは万事スローモーとなり、胃が半分になり、総入れ歯にもなって食事も少量づつ多数回となったが、そのライフスタイルを飼い馴らし、誘われた集りには積極的に足を運んでいた。
 法曹界の集り、囲碁同好者の集りほか、交際の幅は私ごときよりも遥かに広かった。

 地方に眠る共通の友人の墓参のために、彼と旅行したことがある。山口県までの新幹線。待合せは朝八時に東京駅のプラットホーム。早めに到着した私を、すでに彼はベンチで待ち受けていた。プルを引いた缶ビールを手にしていた。一度に多くは飲めないので、少しづつ多数回飲むのだと、云っていた。

 さきごろ、べつの旧い友人の夫人が他界されて、その香典返しのカタログから念珠を頂戴したのは、つい数日前のことだ。佳き品物ではあるが、これの出番は多くないほうがよろしいがと、書いたばかりだ。だのに、さっそくの出番となってしまった。これもなにかの巡り合せだろうか。オカルト的な趣味は、まったく持合せないのだが。

 ところで、亀戸君の死因だが、病死ではない。風呂場での事故で亡くなったという。
 前半生における波瀾に満ちた激しい生きかた。後半生における病気百貨店の飼い馴らし。じつに見事にやりとげた。
 にもかゝわらず、まさか奥さまがちょいと外出なさったあいだの、独りご機嫌な風呂場に、死への門が口を開けていたとは……。敵はからめ手から忍び寄ってきた。

言いわけ

 これは俺なんぞが食うもんじゃねえな、が第一印象だった。今は定番一品に数えられる準レギュラーだ。現金なもんである。

 ツナマヨという料理が、いつ頃から世に出回ったのかは知らない。視るからに私の興味を惹かぬ食品だ。大根おろしに合せても、醤油をかけただけでも美味しく食べられる缶詰ツナに、選りにもよってマヨネーズなんて悪ふざけにもほどがある、くらいに感じていたふしがある。
 初めて口にしたのは、世に出現してずいぶん経ってからだったろう。

 西東京市武蔵野大学で十年少々、週に一日働いた。西武池袋線の「ひばりが丘」から武蔵境行きのバスで通勤した。早めに拙宅を出て、ひばりが丘駅前のドトール珈琲店で一服して、その日のネタについてあれこれ考えたりして過した。
 昼食または間食用に、駅ビル内のセブンイレブンで、おにぎりかサンドイッチを買込んでから、バスに乗った。
 売行きが良過ぎた日だったものか、選択肢の乏しい日があって、生れて初めてツナマヨなるものを、手に取ったのだった。

 三角形のミックスサンドイッチに、ハム・ポテサラ・ツナマヨと三種類の具が詰め合せられていた。捨てたもんじゃねえや、なかなか美味いじゃねえか、と思った。
 別の日、ツナマヨおにぎりも、買ってみた。脂分が飯に染みた感じが、どうにもいたゞけなかった。
 目黒の秋刀魚ということもある。ツナマヨサンドはセブンイレブンに限る。おにぎりはイケナイ。ツナマヨはサンドイッチに限る、という偏見が少しづつ形成されていった。
 それでもまだ、自宅で食べようとまで思うには至らなかった。ポテトサラダもさようだが、玄人さんが作るものにはそれぞれの研究工夫があって、素人が真似したところで、同じ程度に美味いものなんぞ、できようはずもないのである。下手に工夫を試みれば、ゴテゴテとしつこいものができあがってしまう。

 考えが変ったのは、地元のサミットストアで、ノンオイル・カロリーハーフのツナ缶を発見してからである。ツナ缶単品としてはやゝパサつくというか、味も口当りもあっさりし過ぎて少々頼りない。塩加減だけが取り柄といった味である。サラダ用もしくは他の料理の素材用だろうか。
 さらにもう一品、カロリーハーフのマヨネーズというものが眼に入った。ハーフとハーフ、合せて一人前。これならば脂っこくならずに、私でも食べられるかもしれない。

 自炊料理はすべからく単純明快をよしとする。缶から出したツナに、擦り胡麻を振りかけて、気分によってはチューブの練りワサビを小豆ひと粒大ほど。それにマヨネーズを乗せるだけである。混ぜ合せながら食べる。
 むろんセブンイレブンのサンドイッチのツナマヨとは比べものにならない。粗末な味だ。が、私の味覚にはけっこう合致する。で、常用一品の仲間入りした。

 使い切りサイズというのか、一人前なのか、小さなツナ缶が四缶パックで売られている。ひと缶開けると、径五センチほどの小鉢に三分の一取って、あとはマッチ箱ふたつ分くらいの小型タッパウェアに収めて冷蔵庫行き。つまり一人前小分け缶をさらに三回に等分して使う。食するときには、ふた箸といった分量だろうか。
 少量多品目を原則とする老人食には、それで十分な一品である。

 いかに老人食とはいえ、野菜ばかり食っているじゃないか。動物性も少しは摂らなくっちゃと、脅迫めいた言葉が思い浮ぶこともある。
 とんでもない。玉子を焼くとき、ウィンナを一本、添えているよ。ツナマヨをふた箸、摂っているよ。肉も魚も、あるじゃないか。
 目下の、言いわけである。