一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一瞬の細部

『夢声戦争日記』の昭和二十年八月十四日のの末尾は、こうなっている。 「この放送は翌日の三時迄続いた。放送員は最後にしみじみとした調子で、 ~~さて皆さん、長い間大変御苦労様でありました。 とつけ加えた。私もしみじみした気もちでスイッチを切つた…

気分直し

私にとって目白駅、目白警察署、目白消防署はいずれも、徒歩圏内だった。 時間と労力とを考えれば、まず池袋へ出て、山手線に乗換えてひと駅。目白駅へと赴くのが普通かもしれない。それでは三角形の二辺の和を移動することとなり、気乗りがしない。不愉快で…

無防備となる

一時的に無防備中。ただし住人は危険人物につき注意! 先方、つまり事故引起し会社および代理保険会社の立入りで進行すればよろしいのだろうが、当方としては目白警察署および東京電力から、一刻も早く危険状態を解消するようにと釘を刺されている身だ。悠長…

音で消す

Viet Tran と Seth Robertson ちょうど九年前の今日、あなたはこんな投稿をしました。だって。 フェイスブックには頼みもしないのにいろいろなサービス機能が備わっていて、なん年前の今月今夜の、あなた自身の投稿を思い出してみましょうと、ご親切に知らせ…

キリスト

横尾忠則「キリスト」(版画) 四月八日は花祭だ。お釈迦さまの誕生日である。華やかに祝う地方も場所も、今だってあることだろう。 わが幼き日には、母からガラスの三合瓶だか五合瓶だかを持たされて、使いに出された。金剛院さまのご門前では、甘茶が振舞…

供養

かつてここには、ひと株の老いた桜の樹が立っていた。とある男と女にとっての、想い出の樹だった。 男は百姓家の三男坊だった。東京の大学へ行かせてもよいが、医学部以外はまかりならんと、親から申し渡された。父親にとって息子が東京で一人前になるとは、…

突然の別れ

いく種類かの別れの場面をかねがね想像してみたりもしていたが、事実はいずれとも違っていた。 古本屋研究会の学生諸君が、新入生の歓迎・勧誘を兼ねて古書店散策に歩くという。誘ってもらえたので、唯一のジジイ会員も歓んで参加させていただくつもりだった…

斬られるまでは

徳川夢声(1894 - 1971) 昭和二十年(1945)三月上旬の徳川夢声は、銀座金春と新宿松竹に出演していた。 江戸能楽宗家の金春屋敷が幕末に麹町へ引越していった跡地は、明治以降も芸者衆が住んだりする粋な金春通り界隈として、名残を留めた。銀座通り七・八…

疫病禍明け

拙者としたことが、とんだご無礼を。ひらにひらに、サクラウジ。つい一昨日のこと、まだ一分咲きなどと申しましたが、わずか二夜明ければ三分咲きをも超える勢い。そこもとの俊足ぶりには、ほとほと感じ入ってござる。 季節のせいだろうか。時局のせいだろう…

開戦の日

昭和16年(1941)12月8日、神戸のホテルのルームで朝寝を決込んでいた徳川夢声のもとへ、岸井明が駆込んできた。慌てた様子で、扉も開けっ放しのままだった。東條英機首相のラジオ放送が始まるという。 夢声は月初めから湊川新開地の花月劇場で芝居の興行中…

なるべく俯いて

どっちがいいんだろう、上を仰ぐのと、下へ俯くのとでは? 坂本九が唄った「上を向いて歩こう」が国民的歌謡というほどの大ヒット曲だった時代から、六十年以上が経つ。懐メロ曲としても数限りなく唄われただろうし、他の歌手によるカバー版もあることだろう…

反省なんぞ

小林秀雄(1902 - 1983) 戦時下にあっての、大半の日本人の生活感情を回顧した小林秀雄に、「庶民は黙って時局に身を処した」という意味の言葉があった。含意は軽くないと観ていた私は、とある席で若者たちにこの言葉をお伝えした。ところが、である。 「そ…

みんなどこから

みんな、どこからやって来たのだろう。次の宛てはあるのかしらん。 耄碌してみて、自分がこれほど寒がりだったと、初めて知った。ラジオでは陽射しの好い日ですなどと云ってても、風が冷たいと草むしりする気が失せてしまう。わずかでも雨が降っていようもの…

漂泊ふたたび

今さらこの足に、草鞋が履けるとも思わぬけれども。 テレビ時代劇『鬼平犯科帳』のどの回だったかに、兇賊の手にかかった被害者の墓前に参る場面があった。事件はつい先だってのことで、墓はまだ真新しい素木の一本柱だった。墓柱背面の墨書に、たしか「寛政…

初めから

初めからそうすりゃあいいものを。マイナスからのスタートということか。 いつの日か再挑戦を、なんぞと考えていると、すぐやってみたくなる。一昨日の野菜揚げの件だ。 キャベツを千切りにして掻揚げふうにするのは無謀だ。少なくとも私の腕では無理である…

お待ちどおさま

お待ちどおの開花宣言、小松堂の開化煎餅。 拙宅老桜樹、十輪ほどの開花を確認。例年より一週間ほど、昨年より二週間ほど遅い。まだ風が肌寒いなか、これ以上は待ちきれぬといった風情である。 ここいく年かは、老樹にとって最後の花となるかも知れぬと覚悟…

轍を踏む

実験工房での結果だから、失敗はつきものだ……と、自分に云いきかせる。 人参を揚げる。玉ねぎとはまた違った、独特の甘みが出るはずである。 昔、試みた記憶がある。が、具の刻み加減も、粉加減も、まったく憶えていない。玉ねぎよりは火が通りにくいはずだ…

冷雨

冷たい雨だ。ご近所では、辛夷(コブシ)の花が満開だ。 昨日は大学卒業式の絶頂日だったことだろう。今どき矢絣は流行るまいから、花柄や縞柄の着物に紫袴の女子大生が、さだめし街を闊歩したことだろう。私は一人もお視かけしなかった。鉄道に乗ってみれば…

玉ねぎ天

ここ四日間ほど、玉ねぎ天を揚げている。 冬から初春にかけて、常用テキトー飯としておおいに愛食した、玉ねぎだけを具とする力うどん・力そばにも、少々飽きてきた。うんざりとはしていないけれども、親の仇のように餅ばかり食ってもなあ、という気分だ。 …

意外性

一見した印象とはかけ離れた意外性が、人間像の奥行きを増すということは、たしかにある。ギャップ萌え、というんだそうだ。 野村真美さんを、日本一不機嫌が似合う女優だと思っている。現代では、である。遡れば、杉村春子、北林谷栄、岸輝子など、大女優た…

文字という世界

文字らしい文字、立派な文字というものが、あるのだろうか。あるような気がしている。ただし巧い拙いとは少し違うような気がする。美しい醜いとも違う気がする。丁寧な文字か粗雑な文字かなんぞは、初めから論外だけれども。 明治の元勲と称ばれる政治家・政…

溯る

『溯行』第138号 長野市を本拠地とする長寿同人雑誌である。今も刊行されている。私も若き日には、勉強させていただいた、 創刊者は立岡章平さんで、長野ペンクラブに所属する信州文界の雄のお一人だった。より自由に書きたいと袂を分つように『溯行』を創刊…

宣言用意

つぼみが膨らんできたことは瞭かだが、開花の兆しはない。低気圧が期待どおりの速さでは、東の海上へと抜けてくれない。大陸側の高気圧が弱いのだろうか。今年は発達が遅いのだろうか。 風が異様に冷たい。しかも時おり突風のごとく押寄せる風は、とんでもな…

玉ねぎ占い

一喜一憂の規模が小さくなってきた。 玉ねぎの皮が、薄くしかもひと玉丸ごとクルンッと剥けたときは、かなり嬉しい。今日は好いことがある日だとまで思う。 成熟度によるものか乾燥具合によるものか、薄皮が実からはがれづらくて、妙に苦心することがある。…

感謝・反省・その他

取柄は持続、にはちがいない。けれども内実は……。 知友への無沙汰陳謝、独居老人を気遣ってくださるかたへの生存報告、そしてごく稀なご縁を多としてくださる少数の読者さまに向けての発信。当日記の眼目と申せば、そのていどしかない。ごくごく限られた範囲…

彼岸入り

弘法のゆく手はわかりやすき春 ばち当りなことに、彼岸詣りはえてして遅れがちになる。中日を過ぎてしまった年もある。心あるご子孫を擁するお家の墓所はどちらも掃除が済み、花が供えられてある。墓守が存命の檀家うちでは、私が最後ではないかと思わせられ…

また逢う日まで

陽射しの好い日には、陽だまりを選っては三十分ほど、煙草を吸ったり缶珈琲を飲んだりして過すことがある。肌脱ぎになるわけではないから、日光浴とまでは称べないけれども、顔や首筋手足だけでも、ビタミンD の生成に役立たぬもんだろうか。 陽射しが好くて…

妄想の湧出口

私的な書き癖に過ぎないけれども、「凝視する・視詰める」という語を、「視る・観る・看る」とはかなり異なる行為と捉え、用いている。ましてや「見える」とはかなり異なっている。 わが町のサミットストアの壁面の高い処に掲げられたロゴ看板だ。あちこちか…

一次資料

『批評』(復刻版)合本にて全6巻。原本は昭和14年8月創刊、山坂あって最終号は昭和20年2月発行。文芸批評の同人雑誌だ。復刻版刊行にさいして、総索引や解説を付して、歴史研究の一次資料たるの便宜が整えられた。 「山坂あって」というのは、同人雑誌維持…

平常に復する

ひじきカレー 古優名優そろひ踏み 定連納豆出る幕ぞなき 日限を切られた仕事が済んで、さて外出か散歩かという日があいにくの空模様で、しかも風が冷たい。草むしりもならず屋内にて過すとなれば、いたしかたもない。台所である。 保存限界に近いじゃが芋を…