一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

落ちゆくさき

放置されてきた物置から。 父には蔵書を整える趣味がなかった。読み了えた本はおおむね処分された。ともすると再読または参照の機会が訪れるかもしれぬと判断したものだけが、かろうじて書架に置かれた。文字どおり「置かれた」のであって、並べられたという…

カボチャの挨拶

今日は玄関から門扉までのわずかな飛石道の東側、すなわちカボチャの蔓や葉との別れの日である。 毎朝ニ三輪づつながら、山吹色の花も姿を現しては萎んでいる。観よう観まねで摘花授粉させてみようかとの、酔狂心を起しかけもした。あまりの無鉄砲と、自重し…

歌のわかれ

『斎藤茂吉全集』全36巻(岩波書店、1973 - 76)。 宇野浩二の神経衰弱がひどくなって、だれの眼にも療養が必要と瞭かになったとき、夫人から相談された広津和郎はまずもって、青山脳病院の斎藤茂吉院長に往診を依頼した。他の往診先の帰途、こころよく立寄…

啼く蝉の

はたして間に合うのだろうか。 蝉の声は、幹や枝葉や周囲の建物などにどう反響するものだろうか、およそあのあたりで啼いていると見当はつくものの、ほれここにと姿を目視することがあんがいむずかしい。 神社の境内では、最盛期を過ぎた今もしきりと啼き交…

ソルジェニツィン

アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニツィン(1918 - 2008)。 高校高学年のころ、ソルジェニツィン作品が翻訳刊行され始めた。『イワン・デニソビッチの一日』が代表作とされた。大学に入学した年に最初の長篇翻訳『ガン病棟』が刊行された。「二十…

秋の陣

さて、秋の草むしり開始である。 まず玄関から門扉までの飛石伝いの右畔(西側)。毎日もっとも眼に着く箇所だ。対岸すなわち飛石の左畔(東側)は、君子蘭の植替え株が、思わざる伏兵カボチャの蔓と葉に埋没している。春の草むしりにさいして、地味の足しに…

文明の恩恵

筋向うの音澤さんのお宅では、ご門周辺のコンクリート造作の解体作業が始まった。往来に面した土地を東京都から早晩召上げられることになっているから、ご準備だろう。そちらへは四メートル、拙宅側へは八メートル下れと、東京都は云ってきている。 四五日前…

御大ontai

『丹羽文雄作品集』全九巻〈八巻+別巻〉(角川書店、1957) 文学史にも芸術論にも、時局にも世相にも関心が失せた晩年には、丹羽文雄作品を読んで過すのがよろしいのではないかと、思っていた時期があった。生立ちや家族の宿命も、男女関係の底なし沼も、超…

古学断念

『深田康算全集』全四巻(岩波書店、1930 - 31) 唐木順三だったか久野収だったか、記憶が判然としないが、ともかく京都学派の空気を浴びて育った論客による、肩の凝らぬ回想文だったか対談記録だったかで、読んだ記憶がある。 高名な京都帝国大学文学部哲学…

回帰への道筋

帰り道が遠く感じる展観と近く感じる展観とがある。 お若い友人にしてイラストレーターの武藤良子さんの作画展が、久びさに東京で催されるとのことで、出掛けてみた。恵比寿の小画廊での展観から一年ぶりだ。モチーフは椿の花に一貫しているから、催しも不動…

名残り猛暑

嫌な暑さだった。カボチャが花を着けた。二輪三輪。ツボミもいくつか見える。どうしたもんだろうか。どうしてみようもない。それでも、どうしたもんかと考えてしう。そういうもんだ。 山手通りを越えた東側へ、散歩の足を延してみた。住所で申せば、西池袋地…

次なる時代

お作を通して、ずいぶんいろいろ教えていただいた気がする。それでも私は、この作家にとって好ましい読者には、一度たりともなれなかった気がしている。 島田雅彦さんが『優しいサヨクのための嬉遊曲』で登場したとき、読みもせぬうちからその題名に圧倒され…

トーナメント

未来についての空想絵図を描けなくなった老人は、記憶をもてあそぶことに偏執的となる。それも探求だの細部の詰めだのではなく、かすかな想い出を繰返しなぞるだけの堂々巡りに終始することが多い。自慰的であり非生産的このうえもない。 書架整理なんぞとい…

教訓

このところ酒場へ足を向ける機会がなくなってしまったため、とんとご無沙汰してしまってるが、美学者の森田 暁さんとは古い友達だ。SNS に思わず吹出すような画像が挙った。彼一流の、眩しいようなくすぐったいようなジョークだ。 健康維持を重視しておられ…

送り火に添えて

送り火の焚きつけとして、燃やしてしまおうかとも思った旧蔵書がある。しかしただ今では、へたに煙なんぞ立てようものなら、どこからか通報されて、消防車が飛んで来ないとも限らない。 母が療養専一の暮しになって、植物採集のハイキングはおろか買物にさえ…

言訳腰

言訳になりそうな事実があれば、なんでも活用する。モノグサ道の初級編である。 三日前のことだ。買物の途中で派手に尻もちをつき、あんがい痛い思いをした。経過を看るに、さいわい発熱したり腫れてきたり、皮膚が変色してきたりすることはなかった。どうや…

多様にひとつ

「アジアは一つ」という岡倉天心の言葉が切取られて誤解され、独り歩きしてしまった噺は有名だ。 東南アジア各国の小説に興味を抱いた時期があった。量においてはインドネシア作家の作品が圧倒的に多かったが、タイ・ミャンマー・ラオス・マレーシア・フィリ…

一難去って

三日間ほどタローの姿が見えなかった。当然ながら、たいへんに不便だ。早いとこ出てきてくれないことには……。 日々の暮しにあって身から離すのは、シャワーや入浴のとき、全裸で体重測定のときくらいなものだ。台所での水仕事や草むしりなど汗かき仕事の場合…

退出口

あくまでも当方事情と視定めねばならない。先方事情ではない。つまり評価だの想い出だのは、このさい度外視である。 文学史上の大家による過去の名作ならば、古書肆に出しやすい。同時代作家のお仕事として、刊行時に買って読んだ作品は、出すと残すの線引き…

猛暑盂蘭盆

大葉の陰で花準備。 金剛院さまの境内には蓮池がある。実際の池ではない。大人三人が両腕を伸ばして囲うほどの大岩に、ぽっかり穿たれた穴だ。巨大な蹲踞(つくばい)といってもいい。 十年ほど前までは、水草の棲息池だった。蛙の産卵池でもあったらしく、…

身のほど

同学年生三百五十余名。うち夭折者がいく名あって、現在いく名健在か、数えたことはない。卒業アルバム用写真の撮影とかで、とある昼休み、中庭へ全員集合させられたのだった。ふだんはテニスのクレーコートにも早変りする中庭で、テニス部の連中が始終、馬…

寒蘭

ふと話題が途切れたときの酒場カウンタートーク。いわゆる「アッ、今天使が通っていった」とき、お気に入りの花は? といった話題になることがある。いい齢して「野菊の墓」チック~ゥ、なんぞと自嘲しながらも、これがけっこう盛上ることもある。 面倒な説…

気の持ちよう

自分への慰労。「うなぎまぶし飯」サミットストア謹製 490円(税抜き)。 着物は整えて枕元に置いて寝るように、持物は点検して机に並べておくように、履物は出して玄関に揃えておくように。遠足の前日は、母から口うるさく念押しされたものだ。とりたてて反…

今朝の秋

きっと気のせいだ。違いない。けど、今日も蒸暑くなりそうな気配でありながら、どこか違う。2索(リャンソウ)をツモッて来た感じとでも申そうか。 起床後ただちに体重測定・検温・血圧測定し、記録する。日課だ。日に一度、不愉快な数値と直対する。自分へ…

世過ぎの文

吉川英治『私本太平記』全13巻(毎日新聞社、1959~62)定価各260円 吉川英治の時代というものが、たしかにあったようだ。徳川無声の語りによる『宮本武蔵』ラジオ朗読番組放送時間には、銭湯ががら空きになったという伝説は戦前の噺だ。戦後になっても、出…

気休め

正午を回った。時分時に失礼かとは思ったが、散髪屋へと向う。 中天は青空に白雲で、今日も猛暑だ。フラワー公園に人影がない。日曜である。夏休みに入った児童の相手を、お父さんが務める姿があってもおかしくはない。が、この暑さのなかで真昼に公園遊びな…

インドネシア

ふと思い出して、読み返したくなることがきっとあろう。が、読み通す体力はあるまい。古書肆のお手に委ねることになろう。 プラムディヤ・アナンタ・トゥールはインドネシア文学の第一世代を代表する作家た。年代的には、安部公房・吉行淳之介・三島由紀夫・…

日影伝い

セブンイレブンにて、煙草を買っている。 徒歩一分の距離にファミマがあった。なん十年も便利に買物させていただいた。閉店なさったところで代替は近所にいくらでもあるとはいえ、徒歩一分の煙草屋が消えたのは、私にとっては不便だ。 店員さんにいっさい代…

古戦場から

『佐野學著作集』〈全5巻揃〉佐野学著作集刊行会 編(1957.9 ~ 58.6)定価ナシ。奥付には「特に会員のみに配布」と明記。 もはや読返す体力も時間も、残されてはいまい。隣室へ移動するにさえ、手順足運びに気をつけねばならぬゴミ屋敷にあって、障壁や足…

明日の秋

物干しに揚って、西方を望む。肉眼では「夏の雲」、ファインダーを通すと「秋の空」である。感性というもんは、たしかに実在して機能してはいるが、信用のおけぬものだ。 昨日のごとき雷雨は論外としても、建材が陽に炙られて蒸風呂状態となった屋内から、暑…