一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

早朝にちょいと視て

夜が明けてほどなく、家の周りを歩いてみた。 ついひと月前には、わが日記における中心話題の観すらあった彼岸花の、これが現在の姿である。第六球根群とその周辺だ。もっさりと密生した細葉の小山だ。リュウノヒゲ・ジャノヒゲの仲間かとも見えてしまう。 …

修繕

拙宅北側に隣接する児童公園にて、今朝九時半から木製ベンチを修繕なさるかたがある。資財を積んだトラックが、往来からの視線を遮るように横づけされたのは、おそらく九時前だったろう。 経年変化によってほど好く変色し摩耗し、表面に艶が出たベンチは、そ…

日暮里夜景

道端に秋の色を観ても、余命だの晩節だのということばかり連想する。行楽シーズンだの運動会だの菊花祭だのが思い浮ぶのは、その後だ。老人性の憂鬱症だろうか。自覚症状はないけれども。 久びさで日暮里駅に降りた。きれいな駅だ。巨きな駅だ。通学駅として…

ゴミ作り

一昨年の確定申告の下書き計算用紙が、底のほうから出てきた。 下駄箱の脇にちょいとしたデッドスペースがあって、以前は傘立てを置いてあったのだが、近年はコンテナ籠を嵌めこんで、ひと目で不要と判る広告チラシや DM などの放りこみ場所としてある。コン…

再読優先順位

かつて学恩を受けた本だ。その後、再読した憶えはないのだけれども。 片岡良一は、日本近代文学をアカデミズムの立場・態度・手法によって取扱った第一世代の研究者のひとりと、今日では位置づけられてあるようだ。無手勝流体当りで本に対していた学生には、…

秋の弘法さま

「いつまで続く残暑と思っておりましたのに、いきなり秋深し、みたいになりました。夜更けともなりますと、年寄りは寒くっていけません」 「いいえ、私も寒うございますよ」 金剛院さまの若きご住職との、ご挨拶である。 父の命日は十一月二十六日だが、来月…

黒い本、白い本

古書店さん関係者や愛書家のあいだで交される、いわば業界用語のひとつに「黒い本、白い本」という言葉がある。店内の色調や空気感に由来する言葉だそうだ。 日本文学を例にとると、井伏鱒二や川端康成の著書を棚にぎっしりと詰めてある書店があったとして、…

念願の植替え

見よう見まねと云うが、それどころじゃない。観たことも習ったこともない、当てずっぽうの我流だ。規矩を外れているに決ってる。根付くかどうかは覚束ない。『野ざらし紀行』ではないが、汝が性の拙きを泣け、である。とにもかくにも、第二球根群の傍に引越…

未パネル

被写体は斉藤慶子さんだ。写真集ではない。ウイスキー会社が発行した、一九八四年のカレンダーである。写真撮影は篠山紀信。 カレンダーといっても、製本されてない。大判写真の六枚組セットだ。各写真の下部に、写真を妨害せぬ色合いで、ふた月ぶんの日付数…

敬老会

「日本ばし 大増」の折詰弁当「吉野」である。 九月中旬には、町内回覧板が回ってくる。空欄の表組が印刷されてあって、七十歳以上の住民は、氏名と番地と生年月日とを記入せよとある。来る十月の日柄よろしき日に、満七十歳以上の老人を寿いでの、敬老会が…

インドネシア新幹線

交通系動画/マトリョーシカ さんの動画場面を、無断で切取らせていただいてます。 すったもんだの揚句にようやく開業となったインドネシア超高速鉄道の模様を、ニュース画像ではない具体的動画として、マトリョーシカさんのユーチューブチャンネルで初めて観…

花の塔

雑司ヶ谷は鬼子母神さまのお会式(おえしき)である。曜日にも空模様にも関係なく、十月十六日からの三日間と決っている。最終十八日の夜には最高潮の盛上りを見せる。 しかし疫病には妨げられた。心置きなく祭礼が催されるのは、四年ぶりだという。 昼間の…

秋たけなわ〈口上〉

東西とうざ~い! 猛暑日の多い夏でございましたが、過ぎてみればいきなりの秋たけなわ。時の移りゆきが改めて身に染む季節でございます。 皆みなさまにおかれましては、つつがなくご健勝の日々かと、心よりお慶び申しあげます。 あちらへ飛んではこちらへよ…

学力不足

大学卒業後、ついに再読もしくは通読の機会がおとづれなかった本も多い。 『ボードレール全集』全四巻(人文書院、1963 - 64)は、入学してほどなく、ということは一九六九年かそれとも七〇年か、貧しいポケットを叩いて、思い切って買った記憶がある。小林…

痕跡

はなはだお見苦しいものを、お眼にかけます。お食事中のおかたは、どうか他へお移りくださいますよう。 右上腕、ほとんど肩というあたりに、一円玉ほどのうっすらとしたケロイドがある。母から聴かされたところによれば、生後初の種痘を受けたさいに、痕をし…

想い出深き

「雑誌『近代文学』派というのは、左翼白樺派だな」 先輩にして恩人でもある、小説家の夫馬基彦さんが、ある昼休みの講師室でお茶を飲みながら、ボソッとおっしゃった。むろん冗談半分にだが、言いえて妙でもあると、聴いていて思った。佐々木基一と本多秋五…

散髪への道

昨夜半から降り出した。ほんの小雨で、すぐにやみそうだった。払暁トイレに起きてみたら、本降りになっていた。午前九時に起床。小降りとなってはいたものの、まだ降っていた。視るからに寒そうだった。 バザーのポスターを貼らせてもらえませんかと、先日依…

手抜き

「あんたは二人の人を握って産れてきた。どっちつかずでいると、どっちの女も不幸せにするよ」 二十歳のころ、手相見のお婆ちゃんから、呪いのごとき忠告を受けた。 幸いにして人さまを不幸にできるほどの豪傑的性格ではなかったから、予言は当らなかった(…

手堅さとの別れ

ゆっくり通読する晩年は来ないもんだろうかと念じていた本がある。そんな時期がやって来ることはない。 若き日、北村透谷に眼をつけていた時期がある。読返せば、今でも懐かしいし感心する。教えられる。 諸家の透谷研究にも眼を通したいとの念願を立てた時…

静寂が来た

わが浴槽に空間が戻った。静寂も戻った。 工事二日目。昨日は配管の水路設計を検分したり、見当をつけて当りを付けたりいくつか穴を掘ってみたりで、半日作業が了った。資財を持込んでの実質工事は、今日からだ。元栓が止まる。家中の蛇口から水が出なくなる…

次世代へと

とんでもなく遅れて来る者と、まずもってたくましく立上る者とがある。 今年はもう彼岸花にレンズを向けてシャッターを切る機会はあるまいと思っていた。花はおおむね萎んで、醜くしおれたからだ。色も褪せ、雨に打たれて糸くずのようになった。あまりにみす…

潮目の気配

新左翼に疲れていた若者たちが、あったのかと思う。 一九七〇年の安保改定に向けて、六〇年代後半は若者たちの政治行動が盛んだった。六八年の春には東大入試が実施されなかった。前年の安田講堂立てこもり闘争の後片づけが済まず、いまだ荒廃治まらぬ情勢だ…

新体制

わが地区では十月一日から、ゴミの分別収集方法が一部変更された。 一言で申せば、樹脂ゴミとして分別する品目の範囲が広がった。処理および再生技術が進歩したのだろうか。それとも分類作業の工程がより精密に改良されたのだろうか。 拙宅町内では、月曜日…

先師がた

遡って水源を確かめたいと、しきりに思う齢ごろがあった。若き日の情熱というもんだろう。今の若者たちにも、さようであって欲しいと願うばかりだ。 こんなものまでとも思える書を、古書店で漁ったこともある。ご定年を迎えられてご蔵書整理に腐心される恩師…

冷ますあいだに

緊急な件で、職人さんにご来訪願うことになった。台所の時間がない。 次食以降のために、飲料水と玉子焼きだけでも済ませておこうか。 鍋に三カップ半の水を張り、紅茶ティーバックを放り込む。煮てしまう。沸騰しそうになったら、砂糖を差して、鍋ごと水桶…

手堅い仕事

いったい何に夢中だったんだろうか。 地味ながら丁寧な仕事に、妙に憧れた時期があった。四十代だったろうか。へそ曲りな逆張り精神とでも申すべきか。血まなこになって古書店を歩いた作家の一人が、柏原兵三だ。 とはいえ江戸期以前の古典籍を漁るわけでも…

暗かったころ

立松和平の本が手許にあんがい少ないのに驚いた。初出雑誌で眼を通してしまい、単行本刊行のさいには、ま、いいか、と思ってしまった場合があったと見える。 初めて会ったのは、『早稲田文学 学生編集号』が発行される数か月前のことだ。第七次『早稲田文学…

切株遊び

決着は、わが手でつけねばならない。 久かたぶりに開通させた、建屋西側通路である。コインパーキングとの境界塀ぎわだ。ネズミモチがひと株根を降して久しい。なん年も前に幹を伐り倒してからは、切株から発したヒコバエが繁茂すると剪定鋏で断ち、またしば…

半家出人

家に帰らぬ日はたびたびあった。が、家出したことはなかった。 一九六〇年代後半から七〇年代へかけて、演劇界に地殻変動が起った。(伝統芸能としての古典演劇の世界については、私は知らない。)小劇場運動である。 一方では既存の新劇劇団内部において路…

町の顔

一昨日、中秋の名月を観あげた空だ。 玄関先で伸びあがって、塀越しに東の空を眺めあげた。池袋の方角だ。今夜が中秋であれば、観月はできなかった。 ファインダーを通してみると、知らない町だ。あのお宅には、あのマンションのなん階にはどなたがお住いだ…