一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

気を晴らす

 

 古本屋研究会の若者たちが、日曜日を古書店散策に過すという。仲間に入れてもらった。

 早めに家を出る。ビッグエーでおにぎりを二個買う。駅周辺を少し散歩する。長年当り前のように視慣れてきたアーケード商店街のアーチを、今さらのように視あげる。
 線路向うの公園まで歩き、二本のケヤキ巨木を眺めあげる。駅構内の跨線橋の窓から、ちょくちょく眺めてきた樹だ。近くから視あげると、やはり迫力が断然違う。
 プラットホームのベンチに腰掛けて、おにぎりを頬張った。出陣前の朝食のつもりだ。この二週間というもの、悔しく腹立たしい出来事が相次いだ。気を腐らせていた。それどころか落胆のあまり嫌気が差してすらいた。いっそ気分をガラリと変えるべく、なにもかも放りだして引越しでもしちまおうかとさえ考えた。が、気を取り直した。やはり、死ぬまでこの町に暮そうと、改めて思った。

 
 定刻に若者たちと落合った。初参加の下級生が二人、参加してくれた。あとは勝手知ったる定連の三年生だ。
 江古田の街を歩く。一軒目は、大学門前に古くからある老舗の古書店さんだ。店内の通路は危険なほど細く、床から天井まで本が積まれてある。いかにも芸術学部の門前書店さんらしく、意表を衝く掘出し物と出逢える店だ。ただし文字どおり堀出さねばならない。
 前まえからご店主に当方の自己紹介はしてあり、若者たちへも気軽にお声を掛けてくださってきた。
 私より齢上のご婦人が、可愛いデザインのピンバッジと掌サイズのミッキーマウス人形を買った。ご婦人から所望されて、ご店主はバッジを胸に着けてあげていた。
 「姐さん、またたいそう可愛いものを、手に入れたじゃありませんか」
 「そうよ、あたし可愛いものが大好き。家には一杯あるんだから」
 ふいに掛けた私の声にも驚くことなく、ご婦人は皺深い相好を崩した。

 次の店へと移動の道すがら、駅前を通過する。商店の陰に隠れた目立たぬ植込みでは、ツツジが満開だった。

 
 二件目は、有名古書店でみっちり修業なさった女性ご店主が、この地の住宅地域にひっそり開店した新興店だ。小体な店ながら品揃えの趣味は好く、芸術大学音楽大学とがあるこの街の若者のお洒落感覚に、ピタリと照準が合っている。商品管理も行届き、古書店に付きものの古めかしさ、煤けた埃っぽさなどは微塵もない。

 十字路を対角線に渡った角は、外壁が花で埋め尽されたお邸だ。建築物としてのデザインも瀟洒で、ガレージには黒塗りの高級車が格納されてある。三つの大学が近いというのに、富裕層の住宅街といった雰囲気が漂う界隈だ。

 
 三軒目は、間口よりも奥行きが遥かに深いお店の、道に面した半分が若者向けのお洒落小間物の店で、奥が書店になっている。古書店というよりは、古書も新刊書籍もとり混ぜて店の美意識に叶う商品を展示するといったセレクトショップだ。小柄な女性店長とは古い顔馴染みだ。たしか二〇〇〇年か二〇〇一年ころに一年生だった。つねになんらかの活動に忙しい学生で、早めに教室へ来ることはなく、いつも席争いに敗れて立見受講の定連だった。
 無類の本好きで、アルバイト先も卒業後の仕事も書店で、今日まで書店一筋に生きてきた。

 根元書房のご店主さま、スノードロップのご店主さま、百年の二度寝の店長さま、お邪魔いたしました。どうかどうか、若者たちを、本好きにしてやってくださいませ。お願いいたします。お頼みいたします。