一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

根っこ



 江古田散策を了えた一行は昼食休憩。午前の部最後に駆けつけてくれた OB を含めて、年齢も江古田習熟度もまちまちの多人数が容易に席取りできる店などあるはずもない。少数もしくは単独に分散休憩してのち再集合の運びとなった。
 珈琲館にて、珈琲とシナモントースト。私の行動パターンには変り映えがしない。たとえ十五分でも三十分でも、ゆったり無為時間があれば読み継ぎたい一書を鞄に入れてある。今日は阿川弘之論語知らずの論語読み』だった。

 午後は池袋から雑司ヶ谷へと歩く。鬼子母神の表参道に「みちくさ市」が立っている。ひと箱古本市だ。用済み本を持寄る有志もあれば、心ある小書店・小出版社もある。プロアマ連合軍だ。倉庫の隅には、今さら新刊市場へは出せぬまでも、このまま埋れさせるにはあまりにもったいない、傷み在庫を抱える社もあることだろう。
 若者諸君にとっては、けっして書店にて眼にすることができない、本の世界だ。草の根の、いわば文化の根っこと称べる世界を眼にし、手に取って観られる貴重な機会である。


 新緑お見事としか申しようのないケヤキ並木をくぐって、鬼子母神さまの境内へと移動する。「手づくり市」が催されている。
 本とは関係ないが、分野を問わぬ手づくり小物の持寄り市である。食器があり道具類がありアクセサリーがある。木工があり金工があり布製品や紙製品がある。世の中にはこんなものまであるのか。若者たちの口から「カワイー!」が連発される。
 惜しむらくは天候が下り坂で、冷たいものがかすかに落ちてき始めた。あとなん分後には降り始めると、スマホで調べられるらしい。若者たちも、当然ながら出展者がたもご存じだ。早めに撤収作業に移られる出展者が多く、全展示を観て歩くには時間不足だったのが心残りだった。
 それでも鬼子母神名物である名代の団子屋と駄菓子屋は繁盛しているから、若者たちは買い食いのひと時を愉しんだ。

 さて本日の採集訪問地は古書往来座さんだ。文学・芸術分野を得意とされる有力書店さんで、いわばバリッとした古書店である。映画マニアのあいだで名高い『名画座手帳』の発行元でもある。そしてわが古本屋研究会にとっては、学外コーチとも裏顧問とも称べる存在だ。いわば我らのホームグラウンドである。
 若者諸君の現在の眼からは、やや年寄り臭い印象を受けるかもしれぬ古書の世界だ。やがて勉強が深まり、古書に習熟するにしたがって、かような古書店のありがた味が解るようになってゆく。

 午前中に江古田で若者たちは、研ぎ澄まされた美意識をもって現代の若者ニーズを探り当てようとなさる小書店を観た。
 午後に雑司ヶ谷で若者たちは、本というものの普遍価値は那辺にありやと問いかける専門書店を観た。その前に、文化の草の根は、無数の人びとによるいかなる志によって根柢を支えられてあるかを観た。
 時局感覚も大切で、普遍本質感覚も大切だ。いずれをも無視することはできない。その落差を躰で味わうために、足を棒にするのだ。今それを自覚できる若者は一人もあるまい。当然だ。しかしいつの日か、思い当る。きっとその日が来る。