一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

2024-01-01から1年間の記事一覧

弘法の道

長年参詣してきながら、弘法さんの銅像を真正面から撮ったのは、初めてのような気がする。 母命日は六日、父命日は月違いの二十六日だ。強くこだわっているわけではないが、月詣りは六の日と習慣化してきた。だが昨日はことのほか寝起きが悪く、気分もよろし…

知る道すじ

原典の正確な意味は知らない。『礼記』に当ってみたが、前後を軽く眺めた程度では、歯が立たなかった。学識不足もさることながら、それ以上に、反復を重ねて理解に至ろうとする情熱が欠けていたのだろう。 古典の文言を理解する第一の要諦は、反復である。頭…

畏れながらお不動さま

神仏には贔屓を設けないことにしている。いかなる神さまにたいしても仏さまにたいしても、等分の敬意をはらい、同程度に無知無学だ。 神仏おしなべてに共通して、というより横並び一線の神仏がたを超えた向うに「天」という観念があって、そちらはかなり尊重…

晴れぬ日に

天丼って、どんなんだっけか……。 昨夜半からの雨がやまない。大降りの時間はなかったように思える。厚みのある湿り気が、のべつじんわりと圧迫してくる感じだ。 どことなく気が重い。元気が出ない。むろん日光浴どころか、草むしりもできやしない。こんなと…

大事な関門

今 東光(1898 - 1977) 博多の料亭に女丈夫の仲居がいた。 「東光先生、なにか字を書いてくださいな」 「いいよ、紙に書いても面白くねえや、キミのパンティーになら、書いてやろう」 断ろうと思ってである。 「いいわよ、だれか硯箱をお願い」 仲居は着物…

根っこ

江古田散策を了えた一行は昼食休憩。午前の部最後に駆けつけてくれた OB を含めて、年齢も江古田習熟度もまちまちの多人数が容易に席取りできる店などあるはずもない。少数もしくは単独に分散休憩してのち再集合の運びとなった。 珈琲館にて、珈琲とシナモン…

気を晴らす

古本屋研究会の若者たちが、日曜日を古書店散策に過すという。仲間に入れてもらった。 早めに家を出る。ビッグエーでおにぎりを二個買う。駅周辺を少し散歩する。長年当り前のように視慣れてきたアーケード商店街のアーチを、今さらのように視あげる。 線路…

舟を降りてから

泣こうが笑おうが、全身の力を振り絞って叫ぼうとも、町田瑠唯、君だけは今回なにをしたってかまわない。 十六年ぶりの優勝だという。そんなに経っていたんだ。最古参となった君でさえ、たしかチーム歴十三年。前回の優勝を味わった選手は、チーム内にはいな…

毒舌人生相談

1976 .10.および1977.7.初版刊行。 今東光『極道辻説法』と続篇との二巻が、手許にある。『週刊プレイボーイ』に長年連載された人生相談コーナーの集大成だ。投稿者も読者も、主として若者男子だろう。職場や人生設計から、宗教や文学から、恋愛や性まで、幅…

生きておれば

西、建屋がわ。 午前中から起きている。目覚し時計を六時間設定したものの、三時間睡眠だった。 睡眠中に二度ほど催して小用に立つのがつねだ。習慣化しているから、すぐに再就眠する。寝床が気持好い。ところが今朝にかぎって、再睡眠する気にならず、躰も…

暮しのビタミン

一日に必要なビタミン類一式を、総合的に摂取できる飲料だと謳ってある。体質によっても体格によっても、必須量など人それぞれだろうに。「平均すれば」「少なくとも」など、なんらかの根拠があっての広告コピーだろう。 雲形のような瓢箪のような、液体がこ…

ギリギリの抵抗

他人事ではない気がしている。 京都大学での滝川事件を境に、同大出身の俊英たちはファシズムの急速な膨張気配に対する危機感を深めた。昭和八年のことだ。東京では、日本共産党の理論的指導者の一部と目されていた佐野学・鍋山貞親の両名が、獄中にあって懺…

今晩のお奨めは

「ところで、今晩のお奨めはというと?」 「かき揚げ天で~す。タネは人参に、ブロッコリーの茎に、キャベツの葉脈」 芝居を観なくなってなん年にもなる。映画はもっと前から観なくなっている。寄席を覗いてみることも、長らくしていない。むろんテレビも、…

ただいま逃避中

あいも変らぬ保存惣菜を補充した。デスク周りには鬱陶しい案件が山積しているために、台所へ逃避した格好だ。 熱を通す惣菜の場合は、途中随所で「冷ます」だの「蒸らす」だのといった工程が欠かせぬから、二品三品同時に作るとなれば、どうしたって夜鍋作業…

トウが立つ

不可解な案件あり。腹立たしきことのふたつみつ。気晴らしには雑草を引っこ抜くにかぎる。 北は児童公園に、西はコインパーキングに接する、拙宅敷地の北西角にあたり、日ごろもっとも眼の届かぬ一画だ。建屋西側を繁殖地域とするフキの北限にして、建屋北側…

一瞬の細部

『夢声戦争日記』の昭和二十年八月十四日のの末尾は、こうなっている。 「この放送は翌日の三時迄続いた。放送員は最後にしみじみとした調子で、 ~~さて皆さん、長い間大変御苦労様でありました。 とつけ加えた。私もしみじみした気もちでスイッチを切つた…

気分直し

私にとって目白駅、目白警察署、目白消防署はいずれも、徒歩圏内だった。 時間と労力とを考えれば、まず池袋へ出て、山手線に乗換えてひと駅。目白駅へと赴くのが普通かもしれない。それでは三角形の二辺の和を移動することとなり、気乗りがしない。不愉快で…

無防備となる

一時的に無防備中。ただし住人は危険人物につき注意! 先方、つまり事故引起し会社および代理保険会社の立入りで進行すればよろしいのだろうが、当方としては目白警察署および東京電力から、一刻も早く危険状態を解消するようにと釘を刺されている身だ。悠長…

音で消す

Viet Tran と Seth Robertson ちょうど九年前の今日、あなたはこんな投稿をしました。だって。 フェイスブックには頼みもしないのにいろいろなサービス機能が備わっていて、なん年前の今月今夜の、あなた自身の投稿を思い出してみましょうと、ご親切に知らせ…

キリスト

横尾忠則「キリスト」(版画) 四月八日は花祭だ。お釈迦さまの誕生日である。華やかに祝う地方も場所も、今だってあることだろう。 わが幼き日には、母からガラスの三合瓶だか五合瓶だかを持たされて、使いに出された。金剛院さまのご門前では、甘茶が振舞…

供養

かつてここには、ひと株の老いた桜の樹が立っていた。とある男と女にとっての、想い出の樹だった。 男は百姓家の三男坊だった。東京の大学へ行かせてもよいが、医学部以外はまかりならんと、親から申し渡された。父親にとって息子が東京で一人前になるとは、…

突然の別れ

いく種類かの別れの場面をかねがね想像してみたりもしていたが、事実はいずれとも違っていた。 古本屋研究会の学生諸君が、新入生の歓迎・勧誘を兼ねて古書店散策に歩くという。誘ってもらえたので、唯一のジジイ会員も歓んで参加させていただくつもりだった…

斬られるまでは

徳川夢声(1894 - 1971) 昭和二十年(1945)三月上旬の徳川夢声は、銀座金春と新宿松竹に出演していた。 江戸能楽宗家の金春屋敷が幕末に麹町へ引越していった跡地は、明治以降も芸者衆が住んだりする粋な金春通り界隈として、名残を留めた。銀座通り七・八…

疫病禍明け

拙者としたことが、とんだご無礼を。ひらにひらに、サクラウジ。つい一昨日のこと、まだ一分咲きなどと申しましたが、わずか二夜明ければ三分咲きをも超える勢い。そこもとの俊足ぶりには、ほとほと感じ入ってござる。 季節のせいだろうか。時局のせいだろう…

開戦の日

昭和16年(1941)12月8日、神戸のホテルのルームで朝寝を決込んでいた徳川夢声のもとへ、岸井明が駆込んできた。慌てた様子で、扉も開けっ放しのままだった。東條英機首相のラジオ放送が始まるという。 夢声は月初めから湊川新開地の花月劇場で芝居の興行中…

なるべく俯いて

どっちがいいんだろう、上を仰ぐのと、下へ俯くのとでは? 坂本九が唄った「上を向いて歩こう」が国民的歌謡というほどの大ヒット曲だった時代から、六十年以上が経つ。懐メロ曲としても数限りなく唄われただろうし、他の歌手によるカバー版もあることだろう…

反省なんぞ

小林秀雄(1902 - 1983) 戦時下にあっての、大半の日本人の生活感情を回顧した小林秀雄に、「庶民は黙って時局に身を処した」という意味の言葉があった。含意は軽くないと観ていた私は、とある席で若者たちにこの言葉をお伝えした。ところが、である。 「そ…

みんなどこから

みんな、どこからやって来たのだろう。次の宛てはあるのかしらん。 耄碌してみて、自分がこれほど寒がりだったと、初めて知った。ラジオでは陽射しの好い日ですなどと云ってても、風が冷たいと草むしりする気が失せてしまう。わずかでも雨が降っていようもの…

漂泊ふたたび

今さらこの足に、草鞋が履けるとも思わぬけれども。 テレビ時代劇『鬼平犯科帳』のどの回だったかに、兇賊の手にかかった被害者の墓前に参る場面があった。事件はつい先だってのことで、墓はまだ真新しい素木の一本柱だった。墓柱背面の墨書に、たしか「寛政…

初めから

初めからそうすりゃあいいものを。マイナスからのスタートということか。 いつの日か再挑戦を、なんぞと考えていると、すぐやってみたくなる。一昨日の野菜揚げの件だ。 キャベツを千切りにして掻揚げふうにするのは無謀だ。少なくとも私の腕では無理である…