一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

知る道すじ



 原典の正確な意味は知らない。『礼記』に当ってみたが、前後を軽く眺めた程度では、歯が立たなかった。学識不足もさることながら、それ以上に、反復を重ねて理解に至ろうとする情熱が欠けていたのだろう。

 古典の文言を理解する第一の要諦は、反復である。頭脳の感性のと云ったところで、反復による体得には遠く及ばない。
 数えきれぬ「自説」「曲解」に見舞われながら、なおも生残った果てにわが眼前にある言葉だ。ただならぬ生命力をもっている。私もまた屋上屋を架するがごとくに、わが反復をとおして私感を形成しておけばよろしい。

 訓の正邪なんぞは学者による参考書にしたがっておけばよろしいが、含意については、だれしもに思い当ることのひとつやふたつはあるに違いない、おおいに援用の利く文言だ。
 半世紀も前、学友の郷里へ誘われて、笠間の土産物店で湯呑を買った。色も肌合いも気に入っていた。五年使ったころふいに、そういえば手触りが変ってきたかと気づいた。一人で笠間へ旅して、かなり探したあげくに同じ手の型違いをようやく視つけた。帰って手持ちの品と較べてみると、艶といい持った感触といい、新旧ずいぶん異なるものとなっていた。以後、双方を愛用した。

 二十年近く前だったろうか、両方とも使わなくなった。限界が見えてしまった気に陥ったのだ。
 土産物屋の片ぺんたる雑器に過ぎぬが、けな気に尽してくれて、精一杯佳くなってくれた。が、この雑器の可能性は気の毒だがここまでではないかと、思えてしまったのだ。いや違う。そんな不遜な、器に対して失敬な噺ではなくて、これで十分だ、私には過ぎた器だった。だが哀しいかな、厳粛にも、もはやここまでではないか。いや違う。今後は日常的に用いる機会がなくなるとも、私と二器との間柄には揺るぎもないと、お互い自信を持てたではないか。そんな気分だった。
 食器棚の奥に、今もふたつ並べて伏せてある。

 串田孫一モンテーニュやアランを中心とするフランス哲学の人。世間には、山と旅の随筆家として人気が高かった。慶應義塾の人で、堀田善衞、芥川比呂志戸板康二、池田彌三郎らを調べていると、交友圏の人としてその名を眼にする。
 舞台俳優にして演出家であり演劇運動指導者でもある串田和美さんのお父上である。

 『礼記』の言葉は串田孫一のお気に入りだったらしく、同じ文言を書いた別色紙を古書市で視かけたことがある。失敬ながら、書としての出来は、こちらが上と感じた。
 もう二十年以上も、わが部屋の壁にご逗留中。理解及ばぬままに、誤読を愉しんでいる。