一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

処分のまえに

吉田秀和

読解力があるうちに、この人のものをもっと読んでみたかった。基礎教養があまりに足りなくて、果せなかった。 とある吉田秀和評に、こんな一節があった。音楽の吉田秀和、美術の高田博厚、文学の小林秀雄。三人の文章を、たんに音楽論・美術論・文学論として…

ロートレック

好きな西洋近代画家はと問われれば、ロートレックだ。ゴッホでもルノワールでもない。 トゥールーズ一帯を領地とする領主の息子だった。貴族の家柄である。幼少期に落馬するなど二度の大怪我で脊椎損傷し、下半身の成長が止った。躰の三分の二が上半身という…

悪いはキレイ

山咲千里写真集『フェティッシュ』(撮/ピーター・アーネル、スコラ、1994)より 悪そうな女が好きだった。 たとえばヒューマン・ドキュメンタリーに、二トントラックを転がして二児を育てている陸送の女性ドライバーが出てきたりする。十代のヤンチャ盛りに…

長身美形

背の高い女が好きだった。 アカツキがパリ五輪行き切符を手にした。女子バスケットボールチームである。ハンガリーにまさかの苦杯を喫したときには肝を冷したが、第三戦ではランキング上位のカナダに競り勝って堂々の本大会出場を決めた。東京五輪では開催国…

正統性とは

今想うに、正統性とは? 江藤淳の熱心な読者だったことは、一度もなかった。にもかかわらず、宅内に散らばった雑本を掻き集めると、十冊以上が出てきてしまう。これでもまだ、夏目漱石関連は宅内行方不明のままだ。まとめてどこかに潜んでいるのだろう。 愛…

器の限界

車谷長吉『鹽壺の匙』には驚いた。じつは刊行時がこの作家の登場ではなく、いく年も前から、納得ゆくものだけをポツリポツリと雑誌発表してきた寡作作家で、ようやく一冊分が溜って刊行されたから、私のようなものの眼にも入ったのだった。内面の格闘を凝視…

大枠の見当

柄にもなく、分不相応に巨きなことを考えた時期があった。 『悲劇の死』が日本の文学や芸術に及ぼした影響は小さくなかったと思う。一九七〇年ころだったとの記憶なのだが、ジョージ・スタイナーというのが重要かつ面白いのだと、原文で読解できる気鋭の論客…

時代の痕跡

文学や芝居や映画にとって、新宿の街がとても重要だった時代の思い出噺だ。 映画界のツワモノがたから噺を伺うという、三夜連続の講演会があった。場所は紀伊國屋ホールだったと思う。 第一夜は吉田喜重。長身細身の美男紳士が登壇した。もし大学教授だった…

事の始まり

民主主義という語を、いつどこで覚えたのだったろうか。 小学五年六年時の担任教諭は、いかにも戦前の女子師範の節度謹厳を思わせる怖いオバチャン先生だった。私は自分の出来には余る教師運に恵まれた男と思っているが、まず最初がこの先生だ。あれこれの場…

気合ダァ!

年頭愕然。そして反省。そして決断。 拙宅内の片づけに重大な障害となっているもののひとつは、わが生涯にもはや再読の機会は訪れまいと思える書籍類だ。場所を塞ぎ、移動を妨げ、よろづ片づけの邪魔となってある。 中味を空にした箪笥だの、故障したままの…

険しい時代の人たち

若き日の一時期、なんとかして理解しようとムキになってはみたものの、容易には歯が立たなかった本というものがある。今想えば、肩の力を脱いて、平易に読めばさほどの本でもなかったものを、未熟ゆえにそうはできなかったという苦い思い出である。それもこ…

初荷

当ブログの「古書肆に出す」シリーズをお眼になさってくださったかたから、だいぶ片づいてきたでしょうと、お声掛けいただくことがある。おかげさまでと、いちおう応えてはいる。が、あくまでも挨拶であって、実情はどこが進展したのかという状況だ。 空間を…

路傍の紙

断捨離に先がけてまず、部屋内を歩き回れる状態にする第一歩。 わが家には開かずの扉がいくつかある。老朽化のせいでも鍵紛失のせいでもない。足元に本やガラクタが積上げられてあるからだ。たとえば階段上りはなの廊下から書庫へは、扉はあっても直接には入…

一歩あり

囲碁・将棋といった習い事は、だれから教わってもいい。どう教わってもいい。教わるからには、ただひたすら熱心でなければならない。熱心さが足りなければ、一生ヘボで了る。身に浸みて自覚している。 政財界人や富裕層や大新聞社がこぞって、日本棋院や日本…

先達批評家たち

影響? 受けたに決ってる。どんな影響? 憶えてなんぞいるもんか。 はっきりと記憶され、その後おりに触れて思い返される深刻な影響というものがある。「出逢い」なんぞと表現される場合も多い。 それとは異なる影響もある。そうだったのかなるほどね、とい…

忘恩いくつか

佐古純一郎の文芸批評に注意深く耳を傾けていた時期がある。 早稲田だ三田だ赤門だといった文学青年街道を歩んだ人ではない。学生時代に亀井勝一郎の門を敲き師事した。海軍に応召し、対馬守備隊の通信兵として敗戦を迎える。戦後洗礼を受け、創元社や角川書…

西洋思想? もういいや

大きなことを考えたり、決断したりすると、たいてい間違えるようになった。 修身斉家治国平天下と『論語』は云う。まずは自分の身を修めることからという意味だが、乱暴に云い換えれば、テメエの頭の上の蠅も追えぬくせしてデカイ口を叩くんじゃねえ、という…

感覚のごちそう

矢代幸雄の著書を処分したいのだが、あまりに想い出が多く、処分しきれない。 手許にあったところで明らかに宝の持ち腐れの専門研究は、手放すに容易だ。『西洋美術史講話 古代編』『東洋美術論考』『受胎告知』などである。しかるべきかたのお手許にあれば…

把握しない

ケネス・クラーク(1903 - 83)の訳書がこれっぱかりしか手許になかったかと、不思議な気がする。書店の棚で視かけると、いつ読めるか判らないけれどもいちおう買っておこうと心がけた、短い時期があった。もっとも、さような心がけを放棄して以降に刊行され…

身のほど学

小田切進 編『現代日本文芸総覧』全四巻(明治文献、1968 - 73) たとえばプロレタリア文学史を読んでいると、『種まく人』『文芸戦線』ほかの雑誌名が頻繁に出てくる。どんな人たちが書いていたのだろうか。第一巻に目次がすべて出ている。たとえば新感覚派…

再読優先順位

かつて学恩を受けた本だ。その後、再読した憶えはないのだけれども。 片岡良一は、日本近代文学をアカデミズムの立場・態度・手法によって取扱った第一世代の研究者のひとりと、今日では位置づけられてあるようだ。無手勝流体当りで本に対していた学生には、…

黒い本、白い本

古書店さん関係者や愛書家のあいだで交される、いわば業界用語のひとつに「黒い本、白い本」という言葉がある。店内の色調や空気感に由来する言葉だそうだ。 日本文学を例にとると、井伏鱒二や川端康成の著書を棚にぎっしりと詰めてある書店があったとして、…

未パネル

被写体は斉藤慶子さんだ。写真集ではない。ウイスキー会社が発行した、一九八四年のカレンダーである。写真撮影は篠山紀信。 カレンダーといっても、製本されてない。大判写真の六枚組セットだ。各写真の下部に、写真を妨害せぬ色合いで、ふた月ぶんの日付数…

学力不足

大学卒業後、ついに再読もしくは通読の機会がおとづれなかった本も多い。 『ボードレール全集』全四巻(人文書院、1963 - 64)は、入学してほどなく、ということは一九六九年かそれとも七〇年か、貧しいポケットを叩いて、思い切って買った記憶がある。小林…

想い出深き

「雑誌『近代文学』派というのは、左翼白樺派だな」 先輩にして恩人でもある、小説家の夫馬基彦さんが、ある昼休みの講師室でお茶を飲みながら、ボソッとおっしゃった。むろん冗談半分にだが、言いえて妙でもあると、聴いていて思った。佐々木基一と本多秋五…

手堅さとの別れ

ゆっくり通読する晩年は来ないもんだろうかと念じていた本がある。そんな時期がやって来ることはない。 若き日、北村透谷に眼をつけていた時期がある。読返せば、今でも懐かしいし感心する。教えられる。 諸家の透谷研究にも眼を通したいとの念願を立てた時…

潮目の気配

新左翼に疲れていた若者たちが、あったのかと思う。 一九七〇年の安保改定に向けて、六〇年代後半は若者たちの政治行動が盛んだった。六八年の春には東大入試が実施されなかった。前年の安田講堂立てこもり闘争の後片づけが済まず、いまだ荒廃治まらぬ情勢だ…

先師がた

遡って水源を確かめたいと、しきりに思う齢ごろがあった。若き日の情熱というもんだろう。今の若者たちにも、さようであって欲しいと願うばかりだ。 こんなものまでとも思える書を、古書店で漁ったこともある。ご定年を迎えられてご蔵書整理に腐心される恩師…

手堅い仕事

いったい何に夢中だったんだろうか。 地味ながら丁寧な仕事に、妙に憧れた時期があった。四十代だったろうか。へそ曲りな逆張り精神とでも申すべきか。血まなこになって古書店を歩いた作家の一人が、柏原兵三だ。 とはいえ江戸期以前の古典籍を漁るわけでも…

暗かったころ

立松和平の本が手許にあんがい少ないのに驚いた。初出雑誌で眼を通してしまい、単行本刊行のさいには、ま、いいか、と思ってしまった場合があったと見える。 初めて会ったのは、『早稲田文学 学生編集号』が発行される数か月前のことだ。第七次『早稲田文学…