博多の料亭に女丈夫の仲居がいた。
「東光先生、なにか字を書いてくださいな」
「いいよ、紙に書いても面白くねえや、キミのパンティーになら、書いてやろう」
断ろうと思ってである。
「いいわよ、だれか硯箱をお願い」
仲居は着物の裾をからげて、下半身を露わにし始めた。
ふにゃふにゃして書けたもんじゃない。東光僧正、ウエストから左手を差入れ、それを下敷きにして肝心の処へ「関」と書いた。
玄関、関所。大切な場所へのおごそかな入口という意味である。
半世紀後の今も、博多のどこかでどなたかが、この女性下着を保管なさっていることだろうが、なろうことなら一見に及びたいものだ。
フジテレビが新番組「日曜対談」を企画した。僧正をホストに、毎週各界の著名人と豪放対談を繰広げて欲しいとの要望だった。
「第一回のゲストに岸信介を呼ぶなら、引受けてもいいぜ」
断ろうと思ってである。
テレビマンはしょげ返って引下がろうとした。気の毒に思った僧正は「当って砕けろさ、なんでもやってみるもんだぜ」と、ついつい云い添えてしまった。なにがどういう加減だったものか、岸信介を引張り出すことに成功してしまった。
「なんたる世相かっ。とくに自民党が情ない。一面焦土と化した日本をなんとかしなくてはと、アンタは自民党を作ったんでしょう。その精神を忘れた自民党なんぞ、ぶっつぶす以外に手はありますまい」
秘書官もディレクター連中も、カメラの背後で息を呑み、蒼ざめた顔で突ったっている。やおら岸信介は、腕まくりして身を乗出してきた。
「その通りなんだ、東光さん。今の自民党はご破算にして、やり直さにゃいかん!」
このスクープに言及した新聞は一紙もなかったという。
私の時代および世代にとって岸信介は、一種独特なカラー照明を当てずには観られない悪役スターではあるが、もしもこの場面のアーカイブ映像が残っているのであれば、一見に及びたいものだ。
いずれも『今東光和尚 極道辻説法』(集英社、1976)の幕間小咄として回想された逸話である。