一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧

回帰

気温が上ってこないうちに、ひと仕事済ませねばならない。 猶予時間を考えると、広域は無理だ。建屋間の通路部分の始末にかかる。春から三度目の草むしりとなる箇所だ。まず粗くむしると、ブロックと漬物石とによる重しが姿を現した。その先に残るネズミモチ…

継承するやせざるや

次世代の伸長には、眼を瞠るばかりだ。 玄関から門扉までのわずかな距離の左右で先祖還りしている君子蘭が、傷んだ葉ばかりを擁して、あまりに甲斐のない肉体維持に労力を費やしていた。気の毒に思えて、地上部を丸刈りにした。地中に身を没したバルブも、半…

夜更けの国際色

日曜二十二時のコインランドリー。なるほど、わが町の、これがひとつの横顔か。 設置三タイプのうちの中型洗濯機一台で済ませるか、小型機二台に分けるか、判断に迷う量だった。ものぐさインターバルがつねである私にしては、少量の洗濯物といえる。シーツだ…

一次資料

「今朝、私が収穫したものです」ウワツ。 将来文筆家を志望する若者たちに、文章の初歩あれこれをお喋り申しあげる会を了えた。息をして動くナマ多岐を観る最後の機会になるかもと、OBOG 連中からも駆けつけてくださるかたがあり、懐かしい顔合せのひと幕も…

涼を求めて

タカセサロンの置き飾りも、梅雨明けとなった。 涼を求めて、ほっつき歩く。エアコンのない拙宅から出て、涼みに出かけるわけだが、こんなことをしてでも、毎日いくらかづつでも歩かねばとの思いもある。 池袋北口へ出てみる。飲み仲間たちのアジトだったケ…

出逢いの記憶

出逢った、影響を受けた、記憶に残る劇団というものがある。 文学座、民藝、俳優座を観に出かけるときには、どういうわけかフルコース料理を注文する気分がした。しかし料理店を選ぶさいには、あそこは魚料理が自慢だからとか、酢の物や和え物が絶品だからと…

引く手

今日も「身に危険な暑さ」となることだろう。午前六時に行動開始。 拙宅玄関番たるネズミモチの根元から、東がわ塀までの、四畳半ひと間ほどの場所である。ガスメーター検針員さんらに建屋裏手へ廻っていただくさいの、通路入口にあたる。陽射し風通しともに…

浮世のならい

切株周辺の草むしりは、これで三度目だ。 お通りかかるかたから、時にお声を掛けていただいたりもしてきた老桜樹が、切株状態となった四月五日以降ということだ。例年より多い。敷地内の他の地点よりも多い。 塀が撤去されて、「只今工事中」を示すオレンジ…

劇団文学座

劇団文学座といえば……と連想ゲームのように反応が返る象徴的名舞台のほとんどを、私は観ていない。世代的には間に合っていた舞台もあったはずなのに。偏った興味で観ていたらしい。 矢代静一作品を舞台化してくれる劇団だった。『七本の色鉛筆』の主演松下砂…

週明け暑い

さぁて、夏本番。今日もとんでもなく暑い日になりそうだ。負けちゃあいられない。気を引締めて……というひとつの気分。 クッソ暑いのに、面倒くっせえなあ、もう……というもうひとつの気分。 同時存在する矛盾状態。 まず「負けちゃあいられない」のほうだが、…

まず米として

はい、米どころですけれど、なにか? 惜しくも早逝した従弟があったが、残された夫人と長男長女の三人家族とは、日ごろご無沙汰がちながら、途切れずにご縁が繋がっている。ひとえに「親戚一の変な小父さん」たる私に、偏見を持たれぬご一家だったおかげだ。…

路地に梅雨明け

知る人ぞ知る地元の町中華店が、何か月ぶりかで暖簾を出した。 開店して、さて何十年になるのだろうか。商店街から脇路地へ折れてわずか二十メートル。その先は個人宅とアパートと賃貸事務所があるばかりで、店舗はない。店はこぢんまりして地味だが、料理は…

〈自由研究〉メロンの種子

お若い友人のお心遣いで、本場夕張からメロンを頂戴した。大好物ながら、自分で買う気にはなかなかならない。私にとっては、年に一度のゼイタクをさせていただく。 糖度といい水気といい、残った皮や種子やワタはいかにも発酵力に富む気がして、そのまま捨て…

左岸右岸

驚くほどヒマな大問題。 玄関から門扉までの数メートル通路の左岸・右岸に、かつて園芸植物だった君子蘭が根分けされて先祖還りしている。草として逞しくはなったが、姿は粗野になったし、花を用意する気など、さらさら起さない。腕を絡ませて表参道を歩いた…

肉声への眼覚め

芝居との出逢いは、劇団「雲」公演、福田恆存脚色によるドストエフスキー『罪と罰』だった。それ以前に、親に連れられて水谷八重子(先代)と大矢市次郎の『婦系図』を観たというような体験は、別としてである。 丸の内ピカデリーで映画を観た帰りだった。国…

プログラム

ATG や芝居(新劇)と出逢う以前の痕跡が掘出されてきた。当時のロードショーのプログラムだ。わが無邪気なる映画少年時代である。 近所の邦画館で二本立てを観るのが普通だったが、親に連れられてジョン・ウェイン主演の西部劇『アラモ』を観たことがきっか…

掘出しもの

思春期のころ夢中になった女性歌手の一人が、中村晃子さんだ。もともとは映画女優としてデビューした人だが、歌手としてのヒット曲『虹色の湖』の衝撃は圧倒的だった。この一曲にシビれて、家出しよう、東京へ行かねばと覚悟を新たにしたもんだったとの回想…

好き便り

変り映えしないことが、それだけでめでたいという年齢はなん歳からだろうか。年齢には関係なく、暮しぶりにより心境により、ひとそれぞれなのだろうか。 いよいよ後期高齢者だが、日々の暮しに変り映えがないことを、情なく恥かしく思う気持が、いまだにある…

へび道

軽い夏風邪をひいた気味があって、どうも寝起きの気分がよろしくない。 寝つきも悪かった。昨日の日記について、あれこれ思い出しては、考え込んでしまったのだ。ATG 機関誌『アートシアター』の手持ちを古書肆に出すことにしたのだったが、あきらかに漏れが…

蛍の光ATG

ATG(アートシアターギルド)映画の影響をもろに受けた世代だ。想い出となれば、とうてい語り切れない。もっぱら「新宿文化」劇場で観た。姉妹館「日劇文化」へは、一度か二度しか入館していない。 あれこれの場面や台詞について、今もくっきり思い出せる作…

わずかづつ片づけ

巨大な夕張メロンが二個、クール宅配便で届いた。例年この時期に、お若い友人の元村君がお気遣いくださる。私にしてみれば、年に一度の贅沢週間を迎える。 札幌で地道な勤め人だった元村君は、かつて生涯最大の決断をして、藝術学部写真学科へ入学した。三十…

時宜時局

手付かず新券の、これもご利益だろうか。 わがメインバンクたる信用金庫から、日常使用の銀行へと、数十万円を移す。年金受給やめったに機会がなくなったギャラや稿料など、受取りは信金で、生活費の支払いやカード決済は銀行を利用している。銀行口座の残髙…

出勤前

朝の出勤前は忙しい。こんな気分は、さてなん十年ぶりだろうか。 この一週間ほどは、「ラジオ深夜便」のエンディングを聴いてない。「今日一日が、なにかひとつでも、好いことのある日でありますように」といった、パーソナリティーがたのお別れご挨拶を耳に…

名選手たち

母校前景。 外から眺めても、守衛所に挨拶して構内へ踏み入り、どこをどうキョロキョロ視回してみても、記憶に合致する箇所はない。卒業して数年後に、大規模な校舎建替え工事があり、その新校舎が老朽化したというので、全面的に建替えられたのが今から数年…

雷信

午前十時半と午後三時半の拙宅墓所。本日はわが菩提寺金剛院さまの施餓鬼会である。父母に通信を送る日と、教えられてきた。 ラジオからは、不要不急の外出を控えよと注意を受けている。ことに老人はうかうかと外出なんぞすべきではないと。エアコンの効いた…

木箱処分

木工、諦めました。 木箱に納まった進物というものに、めったに出逢わなくなった。たまに頂戴すると、身分不相応な高級品をいただいてしまった気持になる。すぐには箱を捨てられない。もったいないというだけでなく、素木の板片に接する機会などめったにない…

撤退勧告

またネズミが獲れた。今季四匹目だ。一昨年の実績に並んだ。 またも仔ネズミだ。これまでの三匹と同様、体長は一昨年の仔ネズミたちよりも小さい。今年のトラップ設置の判断が、一昨年よりも早かったことを示していよう。 親(たぶん母)ネズミはトラップに…

他力贅沢

^ ありがたい進物に与る季節となった。わが暮しにあっての、贅沢月間に入る。 文筆家にして編集デザイナーのながしろさんと、いちおうは称んでおくが、長いお付合いながらこの人の本業については、よく解らない。ウェブ関連のナントカというような、伺った…

正午散歩

ウバメガシ。幹線道路「要町通り」の街路樹でございます。 起床が遅れて、陽が高くなってしまいました。それでもかろうじて午前のうちと高を括って、運動靴を履いて拙宅を出ましたのが、十一時半でございました。 ところが、当然ながら陽は中天にあり、往来…

差配思案

いいえいえ、私はそんな……。 事情をご存じないお知合いが通りかかって、カッコイイじゃありませんかと冷かしてこられることがある。当方を年季の入ったシルバーライダーとでも、誤解くださったものだろうか。むろんお言葉の裏には、年寄りの冷水といった、揶…