一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

差配思案



 いいえいえ、私はそんな……。
 事情をご存じないお知合いが通りかかって、カッコイイじゃありませんかと冷かしてこられることがある。当方を年季の入ったシルバーライダーとでも、誤解くださったものだろうか。むろんお言葉の裏には、年寄りの冷水といった、揶揄または冷笑のお気持があるのは明瞭だ。当然である。

 お向うのマンションは、独居老人と外国人との寄合いといった集合住宅で、管理費の徴収・処理だの、共同スペースの利用法だの、ゴミの分別だの、日ごろなにかと話題に事欠かない。一階にお住いの粉川さんのお婆ちゃんは、とうの昔から匙を投げられて、割を喰って多少の損があってもなるべく関わらないようにしておられる。
 そんなマンションへ、フランス人女性が引越して来た。明るい髪色で小柄な、日本語に不自由のないアラサー女史だ。ベルギー国境に近い北フランスのご出身とのことだ。趣味にも、時には出勤にもバイクをお使いらしい。
 外国人さんの多い集合住宅といっても、これまではすべてアジア系外国人で、初めての西洋人ご入居である。しかも入口前のちょいとした空きスペースには、十台近くもの自転車が密集するように駐輪されていて、どうやら彼女が初めてのバイク所有者だ。

 一階の粉川さんの住まいはさらに二分されていて、奥がお婆ちゃんのお独り住いで、往来に面した半分はお嫁さん(他所にお住いのご子息夫人)が、犬専門の美容院を開業なさっている。とある日その美容師さんが、拙宅のインターホンを押された。お婆ちゃんはしょっちゅう押されるが、美容師さんは初めてだった。
 出てみると、背後では明るい髪色の西洋人女性が身を縮めるようにしていた。つまりお婆ちゃんと美容師さんとの二重仲介により、駐車願いを正式に打診され、申込まれ、快諾し、約束したのである。マンション前にひしめく自転車の所有者のなかには、なんであいつだけの思いを抱く住人もあったかもしれない。西洋人の女性だから許可しやがったな、あのエロジジイめと、思われたかもしれない。
 アジア各国にだって「しかるべき人を間に立てて正式に」という風習も心性もあるだろうに。それとも古臭い因習として廃れてしまい、今はないのだろうか。
 むろん駐車場代など頂戴してはいない。北フランスのワッフルですといってお土産をくだされば、日本の女性のお祝いの日ですと申し添えて、ひなあられに二人静を添えてお返ししたりの付合いである。


 その彼女から、最近嘆かわしいというより腹立たしい情報を耳にした。心ない悪戯についてだ。夜間なに者かに、バイクのオイルを抜かれたという。マンション前の自転車のうちの二台も、先の尖った道具かなにかでパンクさせられたという。あきらかに意図的犯罪だ。
 いずれも交番への通報はしていないとのことだ。理由は、被害が軽微だし面倒だからという。交番(警察全般)へ通報もしくは相談に赴こうものなら、パスポートだ在留許可証明だ就業証明だと、はなはだ大ごとになってしまうという。被害届ともなれば、なおさらだろう。一度で辟易し、二度目からは黙って我慢してしまう外国人さんが多いそうだ。云われてみれば、なるほど、いかにも想像容易な場面ではある。

 だからといって、手続きを簡略せよだの撤廃せよだのといった極論には、私は与さない。いかにも短絡というもんだろう。大袈裟に申せば、国を危うくするもとだ。
 で、私は迷う。私が交番に通報すべきだろうか。大家と店子、家主と間借人、差配と長屋住人の場合を考えれば、必然的にそうなる。それどころか、通報は国民としての義務でもあろうか。しかも私は日ごろから、交番とは関係良好だ。顔見知りの巡査と眼が合えば「敬礼!」の仕草くらいはして見せてきた。
 しかしである。事を荒立てぬよう気遣って、当人が我慢しているものを、なんら実害をこうむってもいない暇な年寄りが、出しゃばって交番へ駆込むなんぞは、余計なお世話ではないだろうか。それどころか、かえってご迷惑ではないのだろうか。
 To be or not to be, である。思案のしどころだ。