一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

視てる人

 お政「あんたには、いろんなこと、教わったねえ」
 長窪の佐助「あのころは、楽しかったなあ」
 偶然の再会から、生き死にをかけた事件に巻込まれてゆく。鬼平犯科帳のとある回。
 定番の台詞だが、廃れないのは、茶の間のだれもに、同感する想いがあるからだろう。しかしほんとうに、昔は楽しかったのだろうか。これにはふたつの側面がある気がする。自分も元気だった、無茶しても平気だったと、わが活力を懐かしむ面。もうひとつは、人間の脳に、苦労の記憶は薄れて佳き思い出だけが残るという、自己防衛機能が備わっているという面。が、その噺は今日は措いといて。

 佐助役は本田博太郎さん。大好きな役者さんだ。あまり取換えの利かぬ役者だ。
 鬼平もこう長くなると、役者に不足が生じる。善玉は生き続けられるからよろしいが、悪役・脇役はその都度死ぬから、骨のある悪役はどうしても底をつく。
 本田さんも、鬼平犯科帳のなかで、いったい何回死んだんだろうか。

 二十年も前だったか、「仁義なき戦い」全篇とおして、誰が何回死ぬかカウントしながら観返したことがあった。数値の記憶が残っていないところをみると、あまりの数に呆れたか、あるいは馬鹿々々しくなって、途中でやめたのだったろう。川谷拓三や室田日出男ら死ぬ専門家だけでなく、梅宮辰夫でさえ、けっこうな数だった。
 それに較べれば、菅原文太と金子信夫の生命力は凄いと、感じ入った記憶がある。
 シリーズ最終。長年にわたって血で血を洗う抗争を繰広げてきた小林旭菅原文太が、超高層ホテルの一室で会談し、双方同時に引退することで抗争に終止符を打とうと計る場面がある。
 小林「のぅ広能よ、引退したら一度、サシで飲もうやないか」
 菅原「そっちとは飲まん。死んでったもんに済まんけえのお」
 この場面のふたり、どちらも途方もなく好い顔だった。

 川端康成の葬儀会場で、小林秀雄が通路の左がわの席に腰掛けていた。葬儀が終って順次退席となり立ちあがったとき、通路右側の同列に腰掛けていた中野重治が、やはり立ってきた。眼が合った。言葉も会釈もなかったが、小林は微笑みかけようとするかのように、一瞬頬を緩ませた。中野は口をかたく結んだまま、きびしい表情をいささかも崩さなかった。
 血で血を洗ったこともある昭和文学史の、残照のひと齣だ。
 三列くらいうしろに腰掛けていて、その一瞬をしかと見逃さず、書き留めたのは、山本健吉である。