一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ドクダミ

 草むしりは、第一食前の五分間作業のひとつ。朝食前と云いたいところだが、起床後最初の食事が朝とは限らないので、第一食と称ぶ。一日二食主義者だ。
 視た眼以上に重労働なので、五分で切上げても差支えないことにしている。思わず気合いが入って、一時間作業してしまう日もあるけれども。今日はここからここまでと、ひと坪かせいぜいふた坪を、あらかじめ眼で区切っておいて、そこだけやる。
 装備はタオルを首に巻いて、軍手を嵌めるだけ。予定地にうるさい奴がいる日は、剪定鋏か鎌か小型ノコなど適宜。危ない奴がいる日には、地下足袋を履く。

 ただ今現在の主敵はドクダミだ。群生している。そろそろツボミが上ってきていて、姿愛らしいが、ここでついつい甘い顔をしてしまうと、月末には草丈もいっそう伸びて、いっせいに開花爛漫となってしまう。それはそれは見事なものだ。だが感動してはいられない。奴らは驚嘆すべき精力的な地下茎シンジケートをはびこらせていて、心ゆくまで咲かせてしまおうものなら、地中はびっしり地下茎だらけになってしまう。土はどこへ行ったのかというくらいだ。
 つまりは、ここで心を鬼にして、奴らの出鼻をくじいておかねばならない。

 地下茎が豊富だけに、ひと株抜くごとにお仲間がずるずるついてきて、まことにはかどる。が、地下茎すべてを根絶やしにすることなどは、とうてい無理。来年も出てくることになる。ドクダミからすれば、私は良心的なムシラーである。
 むしらずとも触れただけでしつこく手に残る強烈な匂いは、人間や地上動物たちから身を護るすべだろう。またセンブリ・ゲンノショウコと並んで三大民間薬とも称ばれる多彩な薬効成分は、地中動物たちから身を護るすべだろう。
 だが奴らの繁殖にとって最大の武器である豊富な地下茎群こそが、草むしりを容易にしてくれる。禍福あざなえる縄のひとつか。奴らにとっては想定外の災厄にちがいなく、さしづめ私はドクダミにとっての津波か火山噴火といったところか。

 いつ頃だったか、手作りのドクダミ茶をしばしば差入れしてくださるご婦人がおられた。文学部に社会人入学しておられた奥様グループのお一人で、お仲間ともども、幾度か喫茶店に集ったりもした。
 「拙宅のまわりにも、ドクダミがわんさか生えてきて、往生しております」
 「でしたら、お茶の作りかた、お教えいたしましょう。そうだ、お菓子持寄りで、先生のお宅で自主講座なんて、いかがかしらん」
 丁重にご辞退申しあげた。ドクダミ茶は来なくなった。