一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

息切れの言訳

 

 先延ばしできぬ作業だ。

 昨夜半、小雨が降った。土も草の葉も、しっとり濡れている。こんな日に草むしりすれば、軍手は湿り気を帯びた泥まみれになる。汚れは手指にも通るし、作業後の軍手洗いにも往生する。しかし空模様は曇り気味で、暑気当りの懸念はなさそうだ。いちおう草むしり日和ではある。

 建屋東側の塀ぎわ通路。めったに来訪者などない家ではあるが、門扉から入られたご来訪者がひょいと身を傾ければ、奥まで視とおせてしまう通路である。
 裏手にはガスメーターが設置されてあるから、検針員さんが定期的に通過なさる。歩きにくいほどの雑草繁茂では申しわけない。外聞をいっこうに気にしない質ではあるが、きまり悪いだの面目ないだのをあえて云うとすれば、この通路ということになる。

 地回り三人ヤクザのごとき、例のドクダミ・シダ・ヤブガラシの草藪だった時代もあった。目こぼしだらけの粗雑草むしりながら、節季節季ごとにこの三年。ようやく可愛らしい新芽だけが生えてくる状態となった。
 そうなれば、目ざとく隙をついた連中が、どこかから飛んでくる。今年は膝丈から腰丈にまで及ぼうかという長身の連中がやって来て、頭頂に小さな黄色い花を着けたりしている。そろそろよろしかろう。消えていただく。


 この一帯の公認植物は、彼岸花のみである。古手のクマザサなども大きな顔をしてはいるが、公認していない。退治するのに手間がかかるので、先延ばししてあるだけだ。
 他にこの一帯には、ユキノシタがもうなん年も棲息している。他に比べようもない、独特な形の可憐な花を咲かせる。まだ花芽を挙げてきてはいないけれども。
 葉は天ぷらに揚げて食べられる。昨年は食べ過ぎて腹具合を悪くした。おそらくはユキノシタのせいではなく、油に当ったのだったろう。だいたい野生植物の天ぷらを興に乗って食い過ぎた私が悪い。

 そんなこんなで、いわばユキノシタは、この一帯の準公認植物の地位を確立しつつあるといえる。かといって人間の通行に邪魔になる株は、引抜かねばならない。ドクダミやシダとともに、容赦なく引抜いてゆく。
 様子の好さそうな株が集中した、畳半畳敷き程度の場所を残した。ここをユキノシタの本籍地とした。

 左隣に五十センチ平方の空地ができた。かつてネズミモチの出先分家株があった場所で、根ごと掘起して処分した。その後はドクダミとシダしか芽吹いてこなかった箇所だ。
 そこにスコップで穴を掘った。前夜の雨のおかげで、穴掘り作業は楽だ。冷蔵庫から古いほうの生ゴミ袋を出してきて、中身を放りこむ。じゃが芋や人参の剥き皮、茄子と胡瓜のヘタ、カボチャの種とワタ、キャベツの外側などだ。キャベツは袋詰めするさいに細かく刻んである。途中で少量の土をかけて、スコップの先で突いて馴染ませる。地中微生物の活動開始を少しでも容易にしたい。

 掘って埋めると、どうしても土嵩が減り、窪地となりやすい。なにか補っておかねばならない。今回は枯枝を使うことにした。ネズミモチの切株から生え出たヒコバエを剪定鋏で詰んで、枯枝山としておいた。今はヒコバエを出さなくなった切株がまだ元気だった時分だから、一年半は経っていよう。枯葉はとうに離れて、枝のみになってある。その山から視つくろってきて、剪定鋏でおおよそ十センチていどに断ってゆき、生ゴミの上に敷詰め、土をかけた。
 土に湿り気はあるが、これはまた別問題だ。如雨露でたっぷり水をかける。乾燥調節を期待して、枯草山からひと抱えを持ってきて、絡まりをほぐしながら、埋め戻し箇所を覆った。
 こうしておけば、なにか生えてきても地表が柔らかいから容易に引っこ抜ける。地中深くには障らない。最低一年間は、この場所を掘返さぬようにしたい。

 本日の作業時間は、軍手洗いも含めて五十分。一年前よりも、息切れ度合が増している気がする。起抜けで朝飯前の作業だからと、自分に言訳した。