一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

よけいに

 今日六月六日は、ノルマンディー上陸作戦決行の日だそうだ。
 三十年近くも前になろうか。英国BBC制作のテレビ映画「ノルマンディーの黄昏」を記憶している。たしか、作戦から五十周年記念企画とか云った気がする。

 いかにも優秀そうな小男と、精神障害を抱えたような、言葉さえ不確かな大男の二人組が主人公。小男は中小企業の社長で、大男は社員。なんであんな男を雇っているのだと、端からは云われるが、社長はこの大男を生涯面倒看ると譲らない。
 じつは二人はノルマンディー戦の戦友で、部隊全滅の危機を、大男が身を挺して救った。その時の大怪我がもとで、大男は障碍者になったのだった。

 前半は、当時世話になった娼婦の現在を訪ね、見舞うというような、通俗的な噺で、ジャンヌ・モローの汚れ役が凄まじくはあるが、ま、どうってことないテレビ映画だ。
 後半、ノルマンディーの共同墓地に眠る戦友たちの墓参りにゆくことになる。途中で知合ったアメリカからの旅行者だという、魅力的な中年婦人も一緒だ。
 なんとローレン・バコールですぜ。ついでながら障碍者の大男はアレック・ギネス

 二時間ミステリーの末尾で、自殺しようとする真犯人を主人公が説得するような、海に面した高い崖の上に、共同墓地が広がっている。
 墓参りを済ませたところで、婦人は、それでは私はここで、と切出す。ここまでご一緒したのですから、あなたのお参りに我われも…。えゝ、でも…。ご遠慮なさらず、どうかご一緒させてください。
 一同歩き出したが、しばらくして気づく。この方角は、もしや…。
 「私の、兄ですの」
 行くて一帯は、ドイツ軍兵士たちの墓所だ。戦後アメリカに帰化した婦人は、ドイツ人だったのだ。
 社長は急に心配になる。大男は炸裂弾の音や爆風や、死の恐怖が、今も悪夢として蘇り、暴力的な発作を起すことがある。老いたりとはいえかつては無類の勇者。精神の平衡を失ったときの彼の暴れようを止めるのは、理解者の社長をもってしても、むずかしい。旧ドイツ兵の墓になど…。もし発作でも起したら…。
 どうしたものかと内心逡巡するうち、婦人の兄の墓前に着いてしまう。大男の表情・物腰を注意深く窺う。と、大男が、ぼそりとつぶやく。
 「ドイツ軍は強かった。陣地を抜くのに、ほんとうに骨を折った。彼らは、よく戦った…」
 社長は、胸を撫でおろす。我に返り、一同整列して、墓地に敬礼する。
 カメラがパンすると、沈もうとする夕陽に、ノルマンディーの海がぎらぎら輝いている。

 そんなエンディングだった。DVDもないみたいで、その後、観ていない。
 そのころは、日本の戦後文学に関する論争や検証が一段落したような風向きで、同年代の批評家たちも、要領よくさっさと次へ行ってしまう形勢を見せていた。お前ら、違うだろう。まだ片づいちゃいねえだろうと、ひとり力み返っていた時分だったので、よけいに記憶に残ったのかもしれない。