一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

打楽器

 わが家にあって現役で活躍している唯一の楽器。ウィンドチャイムという。れっきとした打楽器である。

 幼稚園児だった時分に、園で保有していた玩具としての楽器として、カスタネットやタンバリンと並んで、トライアングルがあった。一か所だけ隙間が空いた、三角形に折り曲げられた鉄の棒である。同じ材質の鉄のバーで打ち鳴らす。高く済みわたる打撃音が、たまらなく好きだった。
 シンバルや大太鼓もあったが、幼児には危険が伴うとのことで、勝手には触らせてもらえなかった。

 小学校では、音楽教材としてリコーダーとハーモニカと木琴を持たされた。学年が進むにしたがって持ち替ったのだろうが、どういう順番だったかは憶えてない。同級生より巧みに演奏できたのは、木琴だけだった。
 五年生のときには、卒業してゆく六年生を送る卒業式の楽隊の一員として、アコーディオンを担当した。夢中で練習した。ただし上背のある児童だったため、ひと回り巨きいバス・アコーディオンの担当で、主旋律を弾くことはなく、和音やハーモニー副旋律ばかりで、あまり面白くなかった。あのとき主旋律担当だったら、この楽器にハマっていたかもしれない。
 中学生時分は、ハーモニカとフルートまがいの横笛、そして人並にギターにも触れた。いずれも自己満足の域を出ず、ものにはならなかった。
 やがてビートルズベンチャーズの時代に遭遇したが、みずから楽器に手を伸ばそうという気は起さずに過ごした。

 五十歳台のいつだったか、仕事にうだつが揚らぬわ、在宅看病・介護にも疲労するわで鬱屈していたある日、ふいに南部鉄風鈴の涼やかな音色に、一瞬気が晴れることがあった。連想が働いて、幼稚園児時分の、トライアングルの音色を想い出した。
 そういえば、あんな楽器があったはずだと、思い浮べた。ウィンドチャイムという楽器名を知らなかった。街の楽器店でも百貨店でも、見つけることができなかった。ご恩を受けたかたへの進物を見つくろうべく、銀座の鳩居堂まで出向く用事があったので、その足で山野楽器を覗いてみたら、格好の品が眼に着いた。これぞ縁だと思って、即決で購入したのだった。衝動買いである。

 以来今日まで、デスクやパソコンのある居間から玄関へと出る間仕切りのところに、吊下げられてある。時おり思い出したように、手指で撫でるようにすると、トライアングルのごとき単音ではなく、連続の複合音となって、なんともこの世ならぬ音色を奏でてくれる。
 右から左へ、あるいは左から右へと、撫でかたによって「チロりろリ~ン」「ちろリロリ~ン」の、大まかに分ければふたとおりだ。舞台や映像作品の効果音において、チロりろリ~ンは「ふいに夢から醒めて」に、ちろリロリ~ンは「場面は過去へと戻って」に使われる。

 ウィンドチャイムという楽器名は、窓辺にあって外から吹き入る風を清め、屋内を清浄にするとの眼目らしい。まことにもって頷ける音色だ。そして南部鉄風鈴と同じ効果だ。東南アジア地域の竹材による風鈴も、おそらくは同様の眼目だろう。
 気づくのがあまりにも遅きに失したが、どうやら私は打楽器というものが好きらしい。子ども時分を想い起して、ギターが身に着かなかったことをさほど残念とは思わぬが、木琴についてはもう少し上級編まで経験してみたかったとの想いがある。かといって、今さら騒音を撒き散らすのもご近所迷惑だろうし、だいいち正気の沙汰とは思っていただけまい。