一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

まことにどうも

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月刊文芸誌『南北』(1967年4月号)

 渋谷が芸術・文化の発信地ですってェ? では申しましょう。今は昔の物語。

 渋谷駅から神宮通りを北上して、右に大盛堂書店の看板を眼にしながら左折すると、公園通りに入る。渋谷公会堂へと続くなだらかな登り坂で、街灯すらなく、陽暮れれば薄暗くなる道だった。途中左手に一軒だけ、照明を点す店があった。喫茶店・渋谷ジローだ。
 そこで山崎正和潤色によるソフォクレスオイディプス王』が上演された。紅茶を喫みながら小劇場演劇を鑑賞する、という試みである。
 夜九時開演。催したのは劇団俳優小劇場(劇団俳小と略称されていた)による「シアター9」なる企画で、早野寿郎演出、主演は小山田宗徳小沢昭一さん、小林昭二さんと並んで俳小の三本柱と称された、声が魅力の役者さんで、朗読や吹替えなどにもご出演多く、高校生の私でも知っていた。

 喫茶店としての通常営業が終了した陽暮れ後、ホールは片づけられ中央が舞台に早変り。三方にテーブルが配される。着席した観客はウェイターに合図して、チケットを提示して飲物を注文する仕組みだった。
 とはいえ、なんといっても初めての試み。テーブルが混み過ぎてウェイターの動きも鈍くなりがちで、積極的に挙手してウェイターを呼ばなければ、紅茶にはありつけない。むろん、引っ込み思案の私は、紅茶を飲みそびれた。
 それはともかく、喫茶店で芝居を観るという、当時としては誰もが未体験だったろう催しに、観客のほとんどは、戸惑いながらも満足したのではなかったろうか。

 連日満員盛況につき、公演期間延長もしくは再演の企画が、当然出る。
 ところがこゝで、お上から「待った!」が掛った。消防法やら商業上のナントカ法やらで、この一帯は昼間だけの営業が許可されていて、夜間の興行はまかりならん地域となっている由。再演企画は実現しなかった。プログラムの表紙に「シアター9公演№1」とあるのが、今想えば皮肉である。

 お若いかたは耳を疑うことだろうが、渋谷という街はそれまで、文化果つる街とまで云われてきていた。駅周辺は百貨店での買物地域。東西の登り坂にそってビジネス地域。映画館は多かったが、芸術というよりは娯楽遊興。例外的に百軒店の奥に、モダンジャズやロックやクラシックを聴かせる喫茶店が集中して、頑張っていた。夜はサラリーマンたちの酒場地域。奥まればストリップ劇場とラブホテル街である。
 過去に挑戦した経営者や企画者もあったらしいが、成功せず、結果として「渋谷には芸術は根付かない」とまで云われてきたのであった。

 渋谷ジローでの催しは、ひとり演劇界のみならず、渋谷を文化的な街へと再開発しようと企てる人びとからも、注目された。酔っ払いオヤジの街から、若者や女性や家族連れの街へと変貌させる企画の、先兵としての期待を担っていたのである。
 それまで東横劇場という多目的大ホールはあったが、活力ある演劇運動とはなりうべくもなかった。ついに渋谷にも、演劇の灯が点った。しかし法律の壁はいかんともしがたい。この灯を消すな。なにか方策はないか?

 そんな時、意外な筋から手が挙った。山手教会である。地下室を貸してもよいと申し出てくれた。けっして使い勝手の好い空間ではなかったが、ないよりはマシ。狭い、変形空間であればこその、演しものの工夫も、かえって愉しいというものだ。
 こうしてオープンしたのが、「渋谷ジァンジァン」だった。今やそのジァンジァンまでもが役割を了え、伝説化している時代だという。

 南北社は文芸専門の、志高い小出版社だった。渋谷ジローの公演中だったか直後だったかの月刊『南北』に、山崎正和潤色版の『オイディプス王』が載った。当然ながら私は、これを丹念に読んだ。

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 まだ岩波書店版の『ギリシア悲劇全集』が出るより遥か昔だったから、我われ世代は人文書院版『ギリシア悲劇全集』『ギリシア喜劇全集』のお世話になったわけだが、もうひとつ解りにくい、もどかしい想いを拭えなかった。訳文のせいではなく、私の力量・読解力のせいと、今では判る。
 私は代々木小劇場で上演された秋浜悟史版『アンティゴネごっこ』と、渋谷ジローで上演された山崎正和版『オイディプス王』とによって、西洋古典劇への眼を開いていただいたのである。
 渋谷ジローがあったってえのは、今のパルコより手前か先かってぇ? さっぱり判らん。風景が違い過ぎる。

 山崎版オイディプスが載った一九六七年四月号の表紙三(裏表紙の内側)には自社広告が刷られている。南北社の新刊文芸評論書として、桶谷秀昭『土着と情況』と並んで、「異才の新人第一評論集」と銘打った、秋山駿『内部の人間』が広告されている。
 まことにどうも、昭和の噺である。