日本にいくつの家紋があるものか、数えた人はないそうだ。というか、数えきれないのだろう。同じ系統でもバリエーション豊富だし、同一紋に見えてわずかに異なるという場合もある。
我が家の紋は蔦の葉をモチーフにした植物紋である。蔦紋族は、相撲部屋になぞらえれば、最大級の大部屋ではないが、存在も知られぬ小部屋というのでもない。そこそこ有名な、伝統ある中部屋といったところか。
蔦紋がデザインの先祖に当ることは間違いなかろう。葉の縁のギザを強調したものを鬼蔦という。こちらもその後、おゝいに発展・展開してゆくことになる。陰陽逆転させたものを、家紋世界では陰(かげ)と称ぶが、一例を掲げれば陰鬼蔦のように。
こゝで卓抜なデザイナーによる、発想の革命的転換。図像に陰陽あるなら、いっそのこと具象性をひと思いに捨てて、葉脈描写を一気に陰にしてしまっては。
思いきった抽象化だ。しかしマーク(目印)としての鮮明さは、飛躍的に増した。こゝにも「鬼」は健在。さらに抽象の度合を進めて、原モチーフの細部をいっそう無視して、大和絵ふうの優雅さを強調した光琳蔦まで現れた。いずれも兄弟デザインだ。
ところで家紋は用途(表示する場面)の多様化とともに発展する。衣服・書類・暖簾や幕、提灯、乗物や道具工具類での所有者印その他、用途における据わりよさ、つまりは見栄えの好さが大切と考えられたろうから、より円満なデザインをと志向され、多くの家紋が丸印の内に収められた。
太線の丸に収められた紋を「丸に○○」、細線の丸に収められた紋を「糸輪に○○」と称ぶ。「丸に中陰蔦」「糸輪に鬼蔦」といった具合である。
たんなる丸では趣向がなさすぎらぁ、と工夫を凝らすデザイナーが、当然出てくる。丸以外の囲みを二三掲げれば、
八角形などという数理的図形表示を寺子屋では教えなかった時代、人びとは「隅を切った角」と表した。優雅さにおいても、ユーモアにおいても、八角形よりはるかに上かと感じられる。「松葉丸」ともなると、これを考案したデザイナーに一度お会いしてみたいものと、切に願わずにはいられない。
丸以外に、デザイン・バランスとして据わりがよろしく、見映えも縁起も好い図形として、日本人は菱形を思い浮べた。
図像そのものを菱形にデフォルメする着想もあれば、菱形枠に図像を収める着想もある。
丸の場合はどうしたって、図像を天地左右中央に収める着想が主とならざるをえない。だが菱形となれば、むろん中央に収めた紋が圧倒的に多いのだけれども、いずれか片側へ寄せるというデザインの「遊び」も可能となる。
「覗き」という着想を得たユーモア精神の凄まじさには、舌を巻かずにいられない。
日本人は古くから、三という数字の神秘性には気づいていた。一、ニとは断然異なり、多数世界への入口であり、まっぷたつに割れることのない最初の複数である。三本足の椅子はガタつかない。三点は一平面を決定するなどという幾何学なんぞなくとも、庶民には自明のことだったろう。
「三」を着想の要とした、もっとも有名なデザインと云えば、三菱だろうが、家紋の世界でも、「三」は数限りない。三つに分ける、三つを寄集める、三つを組合わせる。中陰蔦にもすべて揃っている。
異端と云おうか、ぶっ飛んでると云おうか、これはもはや家紋というよりイラストだろうと、感じさせられるものまである。
素晴らしいデザイン性ではあるが、私がもし侍か富裕商人だったとしたら、裃か紋付羽織で正装する場面で、この紋所は少々照れる。
巡りめぐって我が家の中陰蔦。具象的図像から、マーク(目印)として飛翔しえたデザイン性。それでいて、さらにいじくり回す二次創作的な企てはいっさい拒否して、シンプル・イズ・ベスト。
自分でかく申しては、鼻白まれる向きも多かろうが、気に入っている。