一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

戦雲

森 鷗外(1862 - 1922)

 森鷗外の戯曲『日蓮聖人辻説法』を読んでみた。困ったことになった。

 読売新聞記者として劇評の筆を執っていた正宗白鳥は、おゝかたの芝居を酷評したのだったが、口を極めて褒めちぎった舞台がたったひとつだけあった。鷗外作の『日蓮聖人辻説法』だ。それまでは音曲や舞踊の型を重視した、情緒的かつ耽美的な舞台が主流だった歌舞伎を、主題・台詞を重視したドラマに改良しようと図った鷗外が、力を尽して書きおろした台本だったという。
 初演は明治三十七年(1904)四月、劇場は歌舞伎座だった。配役は日蓮市川八百蔵日蓮に問い訊ね説法を受けて劇中で新たな帰依者となる進士善春を市村羽左衛門、以前から熱心な帰依者の比企能本を片岡市蔵、その娘にして劇中紅一点の妙を尾上梅幸。と、記録を引写してみたところで、当時の歌舞伎界にあっていかなる役者だったものか、私はまったく知らない。
 それより注目すべきは、初演の時期である。日露開戦は同年二月。そのわずか二か月後の初演だった。数年以前から両国間のあいだに、押し問答やら警告合戦やらがあって、ついに日本の海軍が動いたのが、初演のわずかふた月前のこと。

 鷗外に『日蓮聖人辻説法』あることを承知してはいた。読んだことはなかった。日蓮にたいして、なんとはなしの苦手感があったからだ。と申しても、法然親鸞道元ほか、宗祖の文跡はどれも難解で、日蓮の文言がそれらに較べて、特別にむずかしいということではない。理解できるできぬは措くとして、学者が訓じてくれたものを読むだけなら読めぬではない。読みくだすことの難解さにではなく、あまりの舌鋒鋭さと行動性とにたいして、「かなわんなぁ」との先入観を抱いていたのだ。
 そのくせ今回、日蓮を主人公とする鷗外作の戯曲を読んでみた。悪口酷評が通常だった白鳥劇評にあって、唯一絶賛された作品とのことだからだ。

 困ったことになった。面白かっただけでなく、すこぶる興味深かったのだ。興味深いほうは、今はまだ手短かには書けない。困ったほうはというと。
 残りの人生、愉しんで読めるものだけ読んでいたいと思っている。スラスラ読めるものがよろしいと考えている。骨を折って読むのには飽きたし、くたびれた。
 個々の内容についての読解力が衰えたとは、あまり感じない。ただ読む速度が怖ろしく低下した。そして記憶力が滑稽なほどに腐蝕した。ついさっき読んだことを、アレッなんだったけか、とページを戻って読み返したりする。結果として一日の読書量としては、半減どころの騒ぎではない。五分の一、うっかりすると十分の一にまで減退しているのでなないかと、われながら呆れる。残ったのは反応の瞬発力のみ。集中力も持続力も構築力も、からっきし駄目である。

 ましてや辞書を引きひきしたあげくに、関連書を取りに書庫へと急ぎ、あれこれ乱雑に引っぱり出した本が行方不明にならぬよう、一日の終りにはいちいち元へと戻し、などという労苦はもう願いさげにしたい。
 あれもこれも、いつの日にかじっくり取組んでみたいと、一度は念じた本たちが、いつまでも俺の出番が回って来ないがどうなっているのかと、書庫でぶつくさ不平を鳴らしている。一冊々々はかそけき呟きでも、寄り集るとたいそうな音量である。
 冷酷非情に断念しようかという気に、最近なっている。つまり、気の毒だがついに君の出番は訪れぬことになったと引導を渡して、多くの本たちを忘却リストへ移行しようと、昨今考えるようになった。そうでもしなければ、当方の心持ちの平安が保てない。
 さような心境が固まってきたところへ、日蓮とはまた、いかにも具合が悪い。まったく鷗外先生も白鳥さんも、ありがた迷惑なことをなさってくれたもんだ。

 地元神社の境内には、丈三メートル以上はあろうかという扁平形の石碑が立っていて、表の碑文字の脇には「元帥公爵山縣有朋書」とある。裏面には、この村(当時)から日露戦争に出征して帰村するを得なかった、七十名ほどの姓名が彫り刻まれてある。
 この石碑建立に尽力した世話人二十数名の姓名も刻まれてある。事情調査・人脈造り・金集めなどなど、さぞや苦労したのだろう。想像するに、もっとも骨を折った仕事は、山縣有朋から書をもらい受けることだったのではないだろうか。さような手蔓や力が、この村の名主や自作農にあったとは思えない。当時の宮司さんが、よほどの知恵を発揮したもんだろうか。目白台の南斜面一等地、今の椿山荘が山縣の別荘だったわけだから、よっぽどかよい詰めたもんだろうか。

 鷗外が『日蓮聖人辻説法』の構想を練っていたのは、まだ開戦前だったろう。が、遠からず開戦は避けられまいとの予感はあったにちがいない。我われは日本海海戦の帰趨を知っているが、当時は深刻な空気だったろう。後進日本が大国ロシア相手に開戦となれば、容易ならざる情勢である。英国も米国も、日本が勝つとは思っていなかった。せいぜい時間稼ぎをと期待されていたらしい。

 元の軍勢は赤子の手を捻るように高麗を支配下に置き、わが国にも攻め寄せてくる気配だ。そんなとき日本が、まことの仏教を奉じないでなんとするか。念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊。他宗派に対する日蓮の批判は烈火のごとくだ。釈尊より何代目か後の聖人を宗祖とする宗派がある。釈尊いまだ正覚を取らぬ(完全な悟りを啓かぬ)いわば思索途上の段階的文言を記した経典を支柱とする宗派がある。中国を経て渡来する過程で変質した経典を支柱とする宗派がある。なんたることか。釈尊が正覚を取って信念に自信を深めた時期を記した妙法蓮華経法華経)以外に、支柱とすべき経典などありえぬはずではないか。とまあ、日蓮は強調するわけだ。

 戦雲空を覆う空気のなかにあって、鷗外は目前のロシアによる危険な状況を、かつて日蓮が元および高麗を危険視していた状況になぞらえた。遺憾なことにその作品は、今読んでも古くなっていない。妙に生なましくすら読めてしまう。