一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

まずその十倍


 昨夜、台所をしながら漫然とラジオを聴いていて、驚かされた。もうゴールデンウィークに入っていたんだってさ。

 かつては天皇誕生日と云っていたと思い出した。昭和天皇崩御されて、昭和の日と称ばれるようになってからは、なんとはなしに二軍の祝日といった感があって、念頭から去りがちだ。
 憲法記念日とこどもの日とが飛石で、職場によっては直前にメイデーの風習が残っているかどうか。それらに週末がいかに絡むか。それがゴールデンウィークというものだという固定観念がある。四月中のゴールデンウィークというのが、頭で理解してはいても、感覚的にしっくり来ないのだ。

 明けて今日、たしかにあたりが気味悪いほど閑だ。というより無音である。裏の児童公園にも人影がないし、表を車が通らない。救急車や消防車の出動も皆無だ。かすかな人声も届いてこないということは、往来を人があまり歩いてないのだろう。わが近所はこんなに閑な町だったんだ。
 調子づいて、つい池袋あたりまで外出したい気分になる。かねがねサカゼンジーパンを一本買いたいと思っていたし、古書往来座さんへもご無沙汰だし、イケバスに乗って池袋周遊コースを巡ってみたい気もあった。だが油断大敵。わが町がこれほどひっそりしているからには、繁華街はごった返しているに相違ない。年寄りは断じて、そんな池袋なんぞに出かけてはならない。

 空模様が怪しい。しかし寒くはない。草むしり作業に適さぬではない。だがもし降り出されて、作業を途中で切上げる破目となっては面白くない。今日の運動は、散歩や食糧買出しとする。易きに就いたわけだ。川口青果店は日曜につき休業だろうが、幸い補充品メモには、ビッグエーだけでも十分なほどの品じなが溜っている。
 目抜き通りづたいに駅前まで歩いてみたが、行き交う人が極端に少ない。知り人にも逢わない。神社の境内へと踏入る。お隣の金剛院さまと較べれば、参詣する回数ははるかに少ない。大鳥居と中鳥居で一礼する。境内に参詣者の人影はない。箒と熊手で落葉掃きする有徳の老婦人が、独り作業をするばかりだ。

 まずご本殿に。つづいて本殿の左右両翼には末社があって、向って左手はお稲荷さまだ。稲荷社の前には祈願絵馬を掛ける柵状の横木があって、風雨に晒された多くの絵馬が幾重にも盛上るように掛けられてある。ざっと眺めると、家族の健康平安を願うものと、学業成就つまり入試の好結果を祈願するものがほとんどだ。お稲荷さまは商売繁盛の神さまと聴くが、この町ではどうやら本職お暇のようだ。
 本殿に向って右手は招魂社である。かつてはこの町からも、多数の出征兵士があり、戦死者・負傷者も少なくなかったのだろう。大鳥居の内、中鳥居よりは外の、いわば外苑にあたる場所には、村内から日露戦争に出征した兵士を顕彰する、明治四十一年建立の大石碑も立っている。字は山縣有朋だ。

 本殿と両翼末社で、計三円の賽銭。通りすがったすべての神さまには、小銭入れの事情さえ許せば、かならず一円づつ献上することにしてきた。お詣りさせていただく衆生のうちでもっとも貧しき者でございますとの意だ。
 四キロコースだ六キロコースだと道筋を工夫しては、ウォーキングを日課としていたころに思いついた、手前勝手な習慣である。どのコースにも十か所以上三十か所未満ほどの社があった。
 取沙汰される機会はないようだが、江戸期または明治期からすでに人が棲んだ地域には、驚くほど多く神さまや野末の仏さまがいらっしゃる。構えの立派な神社ばかりではない。ご町内の当番制で管理されているような、ほんの二坪の社だとて、縁起を伺ってみればおごそかなもので、幕末あたりの古地図にはちゃんと記載されてある。
 人の好みはさまざまだろうが、かかるかそけき神さまや野末の無口な仏さまがいらっしゃらないようなニュータウンに住むのは、私はご免である。

 山手通り(以前は環状六号線と、もっと以前は改正道路と称ばれた)を南から、つまり新宿・東中野・落合方面から北上して来ると、まずこの大銀杏の梢が見えてきて、わが町が近づいたことを知ったものだ。あたりに遮蔽物はなかった。
 また方形の溝を作るかのように境内を掘って、中央に集めた土を突き固めて土俵と成して、相撲大会が催された。毎年数人の幕下クラスの力士がゲストに招かれ、模範稽古を見せてくれた。青年の部の優勝者は、対戦させてもらえた。少年の部では、生れて初めてひと前で裸になる児も多かった。学校対抗戦さながらで、他校の生徒に負けるのは嫌だった。
 それもこれも、今では記憶する者すら多くはあるまい。

 狛犬の「阿」と「吽」のごとく、参道を挟んで大銀杏の筋向うには樟の大樹がある。その根は地中を支配するのみに留まらず、奇怪な生命力を地表にまで露わにしている。
 わが家のネズミモチの根が、思いのほか頑強なのに閉口している件を思い出したのはつい昨日のことだったが、樹齢においてまずその十倍は下るまい豪傑たちが、この境内には顔を揃えている。