一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

どんなもんだい


 ユ―チューブの収録をしてくださっているディレクター氏から、お土産にうなぎ串をいたゞいた。お住いご近所の商店街に、持帰りもできる美味いうなぎ屋があるので、ひと口いかがとおっしゃって。ありがたや、大好物だ。

 氏はおっしゃらなかったが、このお土産にはおそらく理由がある。先般富士山麓への一泊旅から戻った夕方、自分への「お疲れさん」のために、うなぎ屋へでも寄ろうかという気をふと起したものの、「ま、やめておくか」と思い直して、いつもの地元居酒屋へ直行した次第を、当ブログに書いた。
 そのさい、現役社会人として出張馴れしていた時分には、戻った晩は旅の垢を落すべく、判で捺したように独りでうなぎ屋へ立寄ったもんだった、などと書いた。今ではうなぎを口にする機会など、めったにないとも。それをお読みくださったディレクター氏が、そうか、それならばたまにはジジイにうなぎでも食わせてやるかと、親切なご配慮をくださったのだろう。

 大好物なのにしばらく口にしていなかったのは本当だ。とある大学が主催するカルチャースクールで、全六回だったかのお喋りをする機会があって、その最終回終了後に立寄ったのが、最後だ。かつて大学でわが学生の一人だった、若き女性小説書きがそのカルチャースクールにも見えてたので、彼女を誘って、講座の余韻に始まりあれこれの無駄噺をしながら、うなぎを食った。以来うなぎ屋へは足を踏み入れていない。丸二年ほども経つのじゃないだろうか。
 我慢しているのでも、物断ちしているのでもない。取柄もない代りに害も少なかろう老人食を自炊している暮しにあって、なんとしてもうなぎを食いたいと思う日がなかったまでのことだ。ところがお若いかたからご覧になると、大好物と公言しながらしばらく食わぬというのは、気の毒な年寄りと映るのだろう。とんだお気遣いをおかけすることとなってしまったわけだ。

 丸ごとひと串いたゞいたので、私の性分で、これだけあれば二度にわたって愉しめると、すぐに考えてしまう。
 チャント飯とテキトー飯の、日に二食生活。チャント飯といってもしょせんは、保存食やら出来合い商品やら即席商品やらの組合せに過ぎない。簡単副菜、常備惣菜、香の物ばかりで、通常わが食膳に主菜というものはない。とかく運動不足にして、かつ歯もない老人の胃腸には、これで十分と思って過している。
 が、どんなもんだい。今日はうなぎが半匹、付いている。