一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

床屋同窓会



 明日、旧友と会うべく、じつに久しぶりに盛り場へ出る。わが宮本武蔵ヘアの始末が、いよいよ待ったなしである。

 駅までの道筋に、ちょいと想い浮べただけでも三軒の理髪店があるなんぞと考えたのは、とんだ迂闊だった。意識しつつ歩いてみたら、六軒も七軒もあった。
 池袋駅周辺の理髪店を検索してみたら、とんでもない数の店情報が挙ってきた。写真付きの、どれも明るく清潔そうな店ばかりだ。デザインから仕上げまでと謳う店もあれば、ヘアカット・オンリイ格安を謳う店もある。ファッションモデルさんの相談に乗れる店から、多忙なビジネスマンが得意先訪問直前にちょいと、という店までがあるということだろう。当方としては、伸び散らかった髪を丸刈りにするだけなのに、なんだかなあという気が湧いた。

 地元でもっとも古くから開業なさってきた一軒に飛込んだ。マスターと奥さんの二人のお店だ。街の景観にすっかり溶け込んで、そういえばあそこにも理髪店があったと、思い出さねばならぬほどの店である。
 希望を申し述べると、丸刈りだけなら千円でできる店が近所にありますが、とのお応えだった。正直なかただ。
 四十年来通ってきた理髪店が休業してしまってと、経緯と窮状を述べると、「そりゃあどちらです?」「隣町の庄司さん」「えっ、そうだったんですか、なにか貼紙が出てるなあとは思ってたんですが」となった。当店のマスターは庄司理髪店のご先代とは親しい間柄だったという。新潟長岡ご出身で、たいそう気さくで話し上手だった庄司先代についての、想い出噺をひとくさり。

 「昭和三十年にこの地へ来ましたが、お客さんもこのあたりに長くお住いですか?」
 「お近くの並木幼稚園の、第一回卒園生ですわ」
 「ええっ、じゃあ長小?」
 「それが線路向うの富士見台でして。こっち側では、カキツバタ化粧品店の島池が同学年です」
 「そういえばアイツは富士見台でした。塾が一緒でしたよ」
 「あと、居酒屋やってた朝倉が同級で、仲良しでした」
 「私は、中学で朝倉と一緒でした。店へも仲間たちと行きました」
 どうやらマスターと私とは、同齢同学年だったらしい。学校でもその他でも、一度とて同席同籍することなく過してきた関係らしい。
 「小学校は線路向うだし、中学は電車通学で他所へ行っちまったもんですから、地元商店街に友達が少なくて、大人になってから不便いたしましたわ」
 「なるほとねえ、しかし今じゃあ地元といったって、あんまり……」
 語尾は曖昧に溶けた。あれこれのことは、他所であるていど耳にしてはいる。これではならじと、二代目三代目の店主たちが気を揉んだり、知恵を絞ったりしていることも、聴いている。

 散髪は済んだ。「丸刈りだけですと、千円の店もあるんですのに」
 「いえ、ご専門職の腕前は、そういうもんではありませんから」
 「まったくです。当店では○○円いただいてます。庄司さんよりお高いですか?」
 「いえ、同じだったと思います。お世話になりました。明日、珍しく人に会う用事がありまして、困っておりましたところで、助かりました」

 最近めっきり狭くなった私の歩幅でも、わずか五百歩か六百歩の距離に、私と同じくなんとなく世の中の歩速と異なる爺さんが、もう一人いた。初めて口を利いた。