一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

東部戦線

 

 それぞれなにがしかの理由があってむしり残された、飛び地のごとき箇所がある。それらを潰してゆく。東側隣家との境界ブロック塀に沿って、南から北への三日間だ。

 第一日目。門扉すぐ内側。見てくれだけ両開きの門扉だが、じつは外から視た右側は今風カンヌキで固定してあって、左半分で出入りしている。日ごろ閉じられたままの右内側は、眼には丸見えでも、足にはほぼ進入禁止箇所となっている。
 昔そのあたりに置かれてあった階段状の植木鉢飾り棚の、小ぶり樹脂製一基と大型鉄製一基とが、横倒しに置かれてある。粗大ごみ回収に高額を支払うのも腹立たしいし、解体するのも面倒臭いと、先延ばしにしてきた。不用意に踏み込もうとすると、鉄製の横木で頭に怪我をしかねない。で、奥まで容易には手が届かない。

 加えて、隅の三角地帯には、他所で地中から出てきた瓦礫をそのつど放り集めてある。石も瓦片もブロック片も一緒くたに、今や小山をなしている。
 いわば草むしりの無法地帯で、かような場所では古年次兵よろしく、ドクダミとシダとが大型化している。ついにその一画に手を着ける日が来たというわけだ。
 窮屈にしゃがみ込んでの作業だが、面積は狭いので、三十分作業の方針にてどうやら収まった。瓦礫山の隙間から伸び出していたドクダミの奴、ここなら安全と高を括っていたかもしれぬが、人間が本気を出せば、ざっとこんなもんだ。

 
 第二日目。前日より北へ五メートル、東君子蘭の北側、彼岸花第二地帯あたり。
 かつて君子蘭を旧鉢から出して株分け地植えしたさいにも、彼岸花を株分け移封させたさいにも、枯葉枯枝および半腐蝕させた生ゴミをいく度にもわたってたっぷり埋めたあたりだ。ただし昨年は、成仏したと思い込んでいたカボチャの種が芽を吹いて、予想外の景観を創り出してしまったあたりでもある。
 土は柔らかく、草むしりしやすい。地中から瓦礫類もほとんど出てこない。彼岸花の葉はすっかり枯れ切って、地面に貼りついてある。草をむしる手のついでに引きちぎってしまう。バルブ群(球根の集合体?)が、いっせいに地表から頭を覗かせている姿が明瞭になる。花は可憐でも、地中にあってはじつにむくつけき連中である。

 
 第三日目。塀に沿って北詰へ。敷地の北東角で、彼岸花の第五・第六地帯にあたる。ここもドクダミとシダが中心で、彼岸花の枯葉を引きちぎることも昨日と同様だ。あとはか弱い三つ葉類だから、雑作もない。

 さように高を括って作業開始したのだったが、草叢のなかにとんだ伏兵をひと株発見した。オニアザミである。過日むしった西接するひと坪では、姿を視なかったから、油断していた。新領土開拓のために先頭を切ってやって来た、いわば斥候兵だろう。『ローハイド』ではピートの役どころだ。
 たいていの植物とは妥協し、粗雑な草むしりをもって目こぼししてきたが、コイツだけはいけない。はびこられては、あとがたいへん面倒になり、泣かされる破目となる。ひと株たりとも視逃すことはできない。スコップを用いて、根からそっくり掘り上げた。

 径二センチほどの正体不明の根が、地中から現れた。引っぱり上げながら元と末とを確かめようとしたら、どうやらフェンスの土台下をくぐって北接する区立児童公園からやって来て、拙宅建屋下へと伸びているようだ。全長を露わにすることなど、できようはずもない。とりあえず眼の前に現れた一メートル半ほどを、ノコで伐り離した。
 もしやと思い立って、少し掘ってみると案の定、径一センチにも満たない第二の根が這っていた。バイパスである。多くの樹木においては、重要な補給路には第二の根を這わせて来る。危険分散というか、樹木の安全保障だろう。こちらは第一の根より格段に柔らかいので、力任せに引っぱって、やはり一メートル半ほどを掘り上げた。


 期せずして北東角に横長の穴が空いたので、スコップで穴を拡大させた。
 このあたりは土が痩せたか風雨に削られたか、日ごろから地盤沈下がきわだち、水道タンクを据え付けるためのコンクリート敷きの土台までが見えてしまっていた。
 枯枝山から乾燥しきった枝を抱えてきて、剪定鋏で短く断ちながら、穴の底に敷詰めた。冷蔵庫から野菜の剥き皮や切りくずなどの生ゴミの密閉袋を取出してきて、枯枝の上へぶちまけた。数か月かけて溜ったふた袋を、ここで一気に使ってしまう。土を掛ける。丈十センチ近くもありそうな大ミミズが二匹いた。せいぜい活躍してもらおう。
 平らになった地表を、今度は枯草山から草の残骸を大量に運んで、埋め穴の上をこんもりと盛上るほどに覆った。全体重で踏み固めて、また盛った。大ぶりな如雨露に二杯、かなりの量の水をかけて、また踏み固めた。