一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

アジアと私…?

 

 公園の入口では、満開のバラが出迎えてくれる。花壇へと歩を進めれば、赤・白・黄色と春の草花が、行儀よく整列している。ふだんであれば、気持の好い散歩コースのはずなのだが。

 庄司理髪店が、かれこれひと月以上も店を休んでいる。「お客さまへ 体調不良につき しばらく休業いたします」と、簡にして明の貼紙が出ている。ご先代マスターの時代から、四十年も通ってきた理髪店だ。
 ご先代ご他界後は、息子である現マスターとご母堂との、お二人の店だ。散髪が済んだところで、もし他にお客さまがおられなければ、茶菓を出してくださり、三人でしばらく暢気な世間噺に耽る。お返しというわけでもないが、半年に一度は、手土産の菓子折を持参してきた。

 ご母堂は私より十歳も姉さんだから、日ごろから齢相応の課題を抱えている。膝が痛い腰が痛い、血圧が高い息切れがする眼が回ると、毎回通院か薬の話題が絶えない。それでもいつも明るくにこやかなかたで、杖代りのカートに掴まりながらビッグエーで買物されるお姿を、時どきお視かけしてきた。
 マスターは還暦前後だろうが、日ごろは病気知らずのお元気なかただ。簡単な家普請も道具や機械の修理も、なんでも自分でやってしまう器用な人である。
 体調不良って、どなたがどうされたのだろうか。ご母堂がご入院でもなさったのならば、当座のなん日かは多用だろうが、すぐに療養ペースが形成されるだろう。ひと月以上も休業なさることもあるまい。ということは、病院知らずのマスターご自身が、お加減を悪くされたろうか。事が重大でなければよいが……。

 私にしてみれば、月一ペースの丸刈りを怠けて間が空いちまった、と思っていた矢先の「貼紙」だった。それからさらにひと月。ハゲチョロ頭の残髪が伸び放題となって、文化財宮本武蔵肖像画みたいになっちまった。
 丸刈りなんぞ、どの理髪店でもよかろう。たしかにさようではあるが、ここは考え処である。拙宅から駅までに、道筋を換えれば少なくとも三軒の理髪店が眼に着く。
 「初めて伺うんですが、よろしいですかな」「どうぞどうぞ」となって、少し打ち解けたところで事情を訊かれる。「行きつけが休業中で」「ああ、庄司さんですね」となる。訊かれたところで困りはしないが、問題はひと月後だ。
 庄司理髪店が再開されたら、そちらへ戻るだろう。駅への道筋に当るこちらの店のご主人とも眼が合う。顔も合せる。「あれっきりか…」と思われているようで、なんだか気まずかろう。

 いっそのこと池袋へ出て、文字どおり通りすがりの店に飛込んだほうが、あと腐れがない。気が楽だ。だがその前に、確かめねばならぬことがある。今日現在もまだ休業中だろうか。理髪店への道筋の途中には、公園がある。花壇は見事に咲き揃っている。だが気持が弾んでいないと、とりどりの色がもうひとつ、眼に飛込んでこない。

 

 せっかくの外出だから細かな用事をひとつ片づける。ペットボトルのキャップだけを回収するボックスが、サミットストアの入口近くに備えられてある。自販機のような大型機械がペットボトル回収機。隣の傘立てか吸い殻回収ボックスのような小さいのが、ボトルキャップ専用回収ボックスだ。
 わが居間の入口にさがる暖簾を通した竹棒の先端には、年中レジ袋が吊下げられてある。ペットボトルを始末するたびに、キャップをこのレジ袋に落してきた。飲料だけではない。醤油・料理酒・蜂蜜・サラダ油・ケチャップ・チューブの生姜やワサビから台所用洗剤まで、サイズ様ざまにして、材質的にわずかに異なるものでも、まあ親戚かと勝手に判断して、同じ袋に投じてきた。地道に溜めておよそ一年間、レジ袋が満杯ではち切れそうだ。今日こそサミットストアへとお預けする。
 回収ボックスの天に開いた穴なんぞでは間に合わない。天蓋を外して、ボックスに大口を開けさせてから、レジ袋を逆さに突っこんで、ジャラジャラと中味を空ける。その一瞬の小気味好さ! 約一年間の成果を約一秒間で味わう、豪快な満足感である。

 ボトルキャップの分別回収活動が始まったのは、さていつ頃だったろうか。当初は、これらのキャップが金属製よりも遥かに軽い樹脂製の義足に加工されて、地雷で足を喪ったカンボジアの少年たちに届けられるとの触込みだった。素人考えでも、気が遠くなるほどのキャップを集めねばならぬ地道な活動だが、おおいに意義があると考えた。私個人の提供など微々たるもんだが、それでも協力すべき活動だと感じた。
 そのうちいつ頃だったか、活動を推進している団体による中抜きがあまりに阿漕だとのスッパ抜きが出て、興醒め・幻滅の機運が蔓延した。
 そうなっても、サミットストアの入口付近には、専用回収ボックスが設置され続けた。私は、いかに中抜きがひどかろうとも、正味が目減りしようとも、たとえなん分の一に過ぎぬとしても、軽い義足ができるのであれば協力すべきだと考えた。ジャラジャラの快感を求めづづけて、今日に至っている。

 帰途、数日前に〆鯖で一杯やったばかりの居酒屋の前を通る。まだ開店前で、業者から納品された仕入れ荷物が、入り口前に積まれてあった。ダンボールの印刷を眼にして、珍しい社名の業者さんもあるもんだと、咄嗟に感じた。が、よく視ると、違った。Made in Laos と印刷してある。
 ラオスの山の樹で焼いた炭らしい。ウバメガシに匹敵するような硬い樹が、南の山国にもあるのだろうか。日本の職人たちが、材質吟味や技術指導に多数赴いたのだろうか。いずれにもせよ、私はラオスの「備長炭」の火であぶった焼トリを食い、その火で熱した油で揚げた串カツを、食っているわけだ。
 公園を歩いていたときよりも、少し気が開けた。