一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

入梅まえに

 

 眼醒めた時刻に空が晴れていたら、とにもかくにも草むしりである。放置したまま梅雨入りしてしまおうものなら、手が着けられぬことになる。ここでひと叩きしておくことで、盛夏作業が楽になる。経験だ。

 頑張りは禁物。ひと坪作業にして、三十分作業が原則だ。継続のみが力となる。これも経験だ。
 第一日目。玄関番のネズミモチの剪定。老桜樹が世を去った今、敷地内の樹木といえば、往来に面した花梨がひと株と、この玄関番しかない。目立たぬ存在だった低灌木マンリョウも、じつは桜騒ぎのなかで世を去った。ブロック塀をとり壊す作業に支障があるからと、引抜いたのだ。
 赤サビにまみれた古い剪定鋏一丁の出番だ。使用するたびに、剪定鋏が一丁欲しいもんだとの想いが頭をよぎる。が、生きてるあいだにあとなん回使用するものかと、おおまかに計算する。しょせん私には贅沢品だと、毎度思い直す。

 玄関番のくせに、当主の私より丈が高いのはいただけない。だいいちご来訪者を視おろすなど、もってのほかである。雷門の仁王様でもあるまいし。まず丈を詰める。刈込み鋏があれば、ジャキジャキとあっという間の作業だろうが、そんな専門家を物真似するような道具は持合せない。剪定鋏でひと枝づつ詰めてゆく。
 丈を詰めたら、脇へ伸び出した徒長枝を払う。細かい粒状の花(だろうか実だろうか)が盛んに着いている時期だ。やがて鳥たちの餌となって、子孫を他の地へと拡散してゆくつもりだろうが、当方にも事情があるから、同情してもいられない。
 縦横の膨張を抑えたら、樹形内の込み入った枝を透く。樹形内の風通しを好くしてやるのだ。虫は徒長枝の若葉に穴を空けるが、白黴状のうどん粉病は通気性の悪い樹形内の込み入った葉に発生する。

 根かた周辺には、伐り落した枝葉が散乱するが、大雑把に寄せ集めて枯枝山へと運ぶだけで、単体の葉にいたるまでを丹念に拾ったりはしない。周囲の草むしりの機会へと譲ってしまう。

 
 というわけで第二日目。ネズミモチ根かた周辺のひと坪。
 広域愚連隊たるドクダミやシダも多少はいるが、まめに手が入る場所なので、勢力はさほどでもない。一番の特色はムラサキゴテンである。ここが本籍地で、各方面へと拡散していった。今は上品な三角形の花を着けている。花も葉も茎も高貴な紫色だから、鉢上げして管理してやれば得がたい園芸植物なのだろうが、私にその気がない。
 あとは三つ葉類のか弱い草だから、むしるに雑作もない。あれほど生命力を謳歌した彼岸花もすっかり葉が枯れて地表に貼り着いたようになっているから、千切って取除いてやる。存外しぶといものとしては、咲き了えたタンポポ類の葉が地表にへばり着いたように残り、軍手の指先で探ってみると根も健在だ。時には鎌が必要になる。
 前日のネズミモチ剪定のくず枝葉をも拾って、ひと坪のみの作業とした。

 
 第三日目。建屋北側の残り。
 区立児童公園との境界をなす建屋北側通路を、およそ三区分して西からむしってきたのだった。西詰めすなわち敷地北西角は、西辺から領域を拡げてきたフキの新開地だった。中ほどは通常のドクダミ・シダ連合軍かと高を括っていたら、かつて撲滅したと思い上っていたオニアザミの小株がいくつもあって、やや血相を変えた。こいつに成長されたら一大事だ。まことに手間がかかる。
 さて今朝はそれより東のひと坪である。眼を凝らしてみても、オニアザミの侵出はないようで、ひとまず安堵する。そうなれば闘い慣れたるドクダミ・シダ軍である。
 ただしこの地域には、都市ガスの検針メーターだの、階上へ水を揚げる上水道モーターだのといった設備があって、周囲にガラクタもあり、複雑な物陰が生じている。腕を伸ばしても届かぬ場所があって、ドクダミ・シダの殲滅・掃討を期しがたい。果せるかな、お前それでもドクダミかと云いたくなるような、巨大お化けドクダミやシダの姿も混じる。例により粗雑目こぼし作業にて切上げるほかはない。

 梅雨到来後は、汗みずくのスタミナ消耗戦に突入する。その前の、のどかな作業である。