一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

言訳腰



 言訳になりそうな事実があれば、なんでも活用する。モノグサ道の初級編である。

 三日前のことだ。買物の途中で派手に尻もちをつき、あんがい痛い思いをした。経過を看るに、さいわい発熱したり腫れてきたり、皮膚が変色してきたりすることはなかった。どうやら尾骨にヒビが入ったり、骨折したりではなさそうだ。たんなる打撲傷であれば、やがて時が解決するだろうと、まずは愁眉を開いた。
 翌るつまり一昨日、軽くはなったが痛みが残った。尾骨あたりではない。その上だ。歩くにも腰掛けるにも支障はない。軽い前傾姿勢をとったり猫背姿勢でいると、まったく忘れた気でいられる。が、椅子の背もたれに身を預けてふんぞり返ろうとしたとたんに、イテテテッとなる。仰向けに横たわって、腹筋運動のような動作をすると、やはりイテテテッとなった。腰か脊椎のどこかに負担がかかったのだろうか。

 その日は月一のユーチューブ収録日に当っていて、ディレクター氏がご来訪くださり、長時間にわたる愉しい作業となった。痛みによる支障は生じなかった。気のせいか例月にも増して背中と肩が凝った。心なしか頭も働かなかった。喋り損なったさいの機転が利かず、言訳めいた拙い云い繕いの部分が出てしまった。
 一回の収録で四本録りするから、間に休憩兼雑談タイムが入る。というよりも、次から次へと脱線錯綜する長いながい雑談の合間に、気を取直して次を収録するというのが、氏と私とのあいだにいつの間にか形成されてきた定常スタイルだ。その休憩時間に肩や首を回してみて気づいた。凝っているのは首である。真上を仰ぐことができない。真東・真西を望むべく捻ってみても、ハテナッというように傾げてみても、つねより固い気がする。
 やはり尻もちの衝撃は尾骨周辺にではなく、腰か脊椎のどこかに影響を及ぼし、ごくごく軽いムチウチ症状に陥っているのではあるまいか。道理で、喋っていてもどこかボンヤリして、機転が利かぬわけだ。と、勝手に納得して言訳を発明した。
 そういえば昨日今日、食欲が減退している。吐き気というほどではないが、胃に軽いムカムカ感すらある。と、たんに暑さ負けして食事が不規則になっているに過ぎぬ可能性が大なのだが、これもムチウチ症状かと、さらなる言訳を発明した。

 二十年ほども前、タクシー乗車中に追突事故に遭い、ムチウチ症を経験した。その時のことを思い出して、あァ症状は軽いなと、手前勝手に判断している。ただしムチウチ症というものはすべからく、当座は軽傷である。日を追って症状が顕著になってくる。油断は禁物だ。経過を看ることとする。

 空こそ晴れ渡ってはいるが、今朝は涼しい。微風も吹いてくる。かような日には、溜りに溜った作業をわずかでも進行させねばならない。が、私はムチウチ症患者である(もう決めてるじゃん)。屈んだり反り返ったりは控えよう。重いものを引上げたり肩に担いで運んだりも避けねばならない。
 玄関番のネズミモチを剪定することにした。言訳の発明だ。ひと夏たっぷり陽光を浴びて、存分に光合成したろうネズミモチの樹は、枝葉を外へも伸ばし、内へも繁らせている。秋ともなれば負担を軽くしてやり、冬への備えを楽にしてやらねばならない。本人から聴いたわけではない。勝手に想像している。

 目処は、樹高を私の背丈ていどに維持してやることと、樹形内部の風通しを好くしてやることだ。まず徒長枝の刈り詰めに入る。両手使い用の刈込み鋏があればジャジャッと簡単なのだが、さような高級用具は持合せないので、剪定鋏一丁で一枝ひとえだ伐ってゆく。バリカンで刈り上げてしまえば容易なところを、糸切狭で一本いっぽん切ってゆくようなものだ。
 樹形が見えてきたら、次は内部の風通しだ。全体のバランスを確かめながら、枝葉が混んで渋滞している部分を間引いてやる。小枝の先に一枚かせいぜい二枚の葉が残る場所に鋏を入れ、その先の枝を落す。身を引いて、樹形全体を眺める。木漏れ日を撮影するかのように、枝葉枝葉の交錯の隙間から向うがちらちら見えるまで間引くのが目安となる。

 さて、立ったままでの軽作業は了った。腰に負担もかからずに済んだ。尻もちで思い出したるネズミモチ
 念のため申し添えるが、アイキャッチの写真は私の腰ではない。馬鹿野郎! ですって? 失礼いたしました。