一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

次世代へと



 とんでもなく遅れて来る者と、まずもってたくましく立上る者とがある。

 今年はもう彼岸花にレンズを向けてシャッターを切る機会はあるまいと思っていた。花はおおむね萎んで、醜くしおれたからだ。色も褪せ、雨に打たれて糸くずのようになった。あまりにみすぼらしい姿を晒すのはかえって可哀相に思えて、すべての茎をバルブのすぐ上から剪定鋏で切払った。長い茎を老残のままに維持させるよりは、エネルギー消費の面からも各球根群にとって幸いだろうと、勝手に判断したわけだ。
 突拍子もなく遅れて来る奴は、いずこの世界にもある。いかにも栄養不足といった丈の低い小輪の花が、一輪咲いた。周囲に助け合う仲間の姿はすでにない。
 丈低く目立たず、群て目立つ仲間もない単花は、早晩踏みにじられて無残に摺りつぶされることだろう。

 一両日中にはこの通路を、水道工事の職人さんがたが頻繁に往き来する。あちこち老朽化が著しい拙宅にあって、傷んだ水道管とはなん年にもわたって騙しだまし折合いをつけてきた。錆びついて水が出ぬ蛇口があっても、他の蛇口はまだ出るわいと、遣り繰りしてきた。それがついに限度を超えた。
 浴室の蛇口が水漏れを始めたのだ。ポタリポタリのうちは、我慢していた。チョロリチョロリにまで悪化したのは、暑い盛りの時期だった。日になん度も水浴びする私にとっては、浴槽につねに水が張られてあることは、好都合でないこともなかったから、大目に視ていた。ところがここへ来て症状はさらに悪化し、ジュルンジュルンとばかりに、健全な蛇口で「細めの水」と云うていどに漏れ出すまでになってしまった。この陽気となっては私も、日に五度も六度も水浴びするわけにはゆかない。
 診断を依頼したら案の定、たんなるパッキン交換や蛇口部品の交換では済みそうもない症状だった。屋外部分の鉄管にも三か所ほど、腐蝕による水漏れが発見された。屋内外を問わず、あるていどの規模の工事が必要との診断結果が出た。是非もない仕儀にとあいなった次第だ。


 玄関番のネズミモチについては、猛暑期を迎える前に、きつめに剪定した。樹形内の風通しを好くしてやろうと、徒長枝の剪定のみならず、内部に混みあった枝葉を思い切り払い除いたのだ。
 早くも一週間後には、枝の先端に黄緑色の若芽を吹き始めた。順調に伸長して、今では一丁前の若葉となって、枝ぶりの混雑に立派にひと役買っている。まだ色はいかにも明るく、古葉との境目は歴然としている。ひと冬越すころには、見分けがつかぬほどに親葉となるのだから、なんともたくましいものだ。
 しかし年内にもう一度剪定することとなろう。冬の眠りに就く前に、維持負担を軽くしてやるのがよかろうとの、これも私の勝手な思い込みに過ぎない。

 夜更けてからのコオロギについては、ほんの数匹が淋しく啼いているに過ぎない。かなり大量の草むしりを続けたせいもあろうが、それ以上に個体数が格段に減ったのだろう。彼らの繁殖期もおおむね済んだのだろう。
 動植物はそれぞれに、次世代や次の時代への継承作業を完了させつつある。偉いもんだ。