一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

秋の陣


 さて、秋の草むしり開始である。

 まず玄関から門扉までの飛石伝いの右畔(西側)。毎日もっとも眼に着く箇所だ。対岸すなわち飛石の左畔(東側)は、君子蘭の植替え株が、思わざる伏兵カボチャの蔓と葉に埋没している。春の草むしりにさいして、地味の足しになればと埋め戻したつもりの生ゴミから、カボチャが芽を吹いてきてしまった。放置したまま、それ以来の草むしりだ。もっともカボチャ問題は次回で、今日は右畔だけで力尽きることだろう。
 春はドクダミタンポポヤブガラシなどが主敵だが、この時期それらは復活しつつあるものの、まだ幼く他愛ない。むしろネコジャラシや野生化したムラサキゴテンが主敵と申してもよい。
 ムラサキゴテン(紫御殿)は葉色があまりに特徴的だから、支援してやりたい気も起きるが、場所によりけりで、あっちにもこっちにも支店を開業するから、要所を残して消えてもらわねばならない。とはいえ茎はポキポキと折れやすく、地上部分を折り取るには造作なくとも、地下茎部分まで退治するには骨が折れる。いきおい意外な場所に支店を開業することとなる。

 昔の鉢棚の残骸である朽ち板とブロックとを退ける。朽ち板に覆われたブロックの穴は、クモのコロニーとなっていたらしく、成虫も子どもも含めて二十匹以上がパニック状態に陥ったかのように這い出し、四方に散った。クモの子を散らすがごとしとはこれか。こんなところで繁殖していたのか。室内の壁やパソコンデスク上にしばしば姿を現すアダンソンハエトリだ。クモの巣を張る習性をもたず、移動しながらダニや蚊や羽虫類を狩猟する益虫で、日ごろ私のほうから共存共栄を申し出ている連中である。
 粗っぽく草をむしる。穴を掘る。深さと奥行は各二十センチながら、長さは建屋にそって二メートル以上だ。ドクダミムラサキゴテンほかの根や地下茎を選り分けて、刈草の山に放る。いく度も掘った箇所だから、さすがに割鉢片や瓦片やブロック片は眼に着かぬようになったが、小石はまだ出てくる。分類して、塀ぎわの瓦礫山に放る。
 猛暑期を過ぎたといっても、躰を動かしてみれば、じっとり汗ばむ。息切れがする。急速な老化を痛感する。三十分以上の作業は無理と思い知らされる。
 小休止だ。隣接するコインパーキング前に設置された自販機へと赴き、ドクターペッパーを買う。百四十円。穴の容積を目算しながら、一服する。

 いったん家へ入り、冷凍庫からビニールネット袋を引っぱり出す。おりおりの生ゴミで素性のしっかりしたものは、その都度ビニール小袋に入れるかラップに包むかして、冷凍ストックしてあった。大きさまちまちながら、十個ほど溜っている。今日の穴にすべて投じられそうだ。

 煮物の下拵えで剥いた人参とじゃが芋の皮が投じられた。ユーチューブのディレクター氏と雑談ばかりが弾んで収録がなかなか進まず、小腹が空いて二人して頬張ったバナナの皮が投じられた。もとがなんだったか判然とせぬほど黒ぐろと変色していた。写真家にして医療従事者でもある若い友人の元村君から、お心遣いいただいたメロンの皮や種も、すべて投じられた。
 差支えあるまいとは思ったが、念のため如雨露で水をたっぷり差し、時間を措くためにまた一服。筋向うの音澤さんのご門周辺で進行中の、コンクリート解体工事の進捗状況を見学する。
 スコップの先で突いてみると、生ゴミ類はなかば解凍していて、程よい加減にばらけた。土で覆って、もう一度如雨露で水をかけた。一両日、様子を看るつもりだ。ここには他所で剰余のブロックを集め積むつもりなので、その前から地面が凹んでいるのは望ましくない。むしろ盛上っていてほしいくらいだ。凹んでくるようであれば、枯草・枯枝・朽ち板類を補充しなければならない。

 動作はのろく、作業の進行は鈍く、一時間が経過してしまった。ともあれ北関東の野菜類と、フィリピンのバナナと、北海道夕張のメロンとは、余すことなく遠いこの地で土に還る手はずが着いた。