一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

気休め



 正午を回った。時分時に失礼かとは思ったが、散髪屋へと向う。

 中天は青空に白雲で、今日も猛暑だ。フラワー公園に人影がない。日曜である。夏休みに入った児童の相手を、お父さんが務める姿があってもおかしくはない。が、この暑さのなかで真昼に公園遊びなど健康被害のもとであると、子育て世帯には周知されてあるのだろう。
 中央に立って仰ぐと、北東から北方にかけて、不吉な色合いの雲が広がっている。後刻、稲妻をともなう短時間豪雨が通りかかっても不思議ではない。ビニール傘をとりにいったん帰宅しようか。よく観ると、低層の薄雲はかなりの速度で東から西へと移動している。高層の雲は、もくもくとその場で消長するのみで、急速な方向を示していない。きっと今日は私にとって、気がかりが的中せぬ幸運の日にちがいない。空模様もきっと味方してくれるにちがいない。気休めに過ぎぬと承知のうえで、自分を納得させた。
                      


 出がけに、カボチャの蔓がまた先端を伸ばして地表を這い、領地を拡げているのを確認した。植替えた君子蘭の根周りに埋めこんだ生ゴミに混じっていた種子が、当方の意表を衝いて芽吹いてきたものである。いつかは始末すべきものながら、当地に初お目見えでもあることだし、どうなることやら興味が湧いて、即刻引抜くことはせずに放置して様子を眺めていたものだ。
 ここのところ不思議に思っているのは、今春あい前後して草むしりした周辺地帯に較べて、この君子蘭+カボチャ周辺にはドクダミ、シダ類、ヤブガラシタンポポほかキク科類という雑草四天王の復活再生が少ないことだ。いかなる化学的因果が物理的因果かは、知るところではない。

 今日出がけにはまた、駐輪スペースのコンクリート敷きに、行倒れたミミズが四匹ほど、なかばひからびていた。今年もこの時期が巡ってきたなと感じた。が、思い出してみると、例年ほどの惨状規模でもない気がする。
 当ブログの機能を使わせてもらって、昨年・一昨年の今ごろの日記にざっと眼を通してみた。さっぱり記憶にないのだが、私のことだ、もしやミミズの臨終についてなにごとか書き留めてはおるまいか。あった、あった、案の定だ。しかも昨年も一昨年も、書いてある。よくもまあ変り映えもせずにと、呆れてしまった。

 記録によれば、気づいてみると、十数匹のミミズがいっぺんに行倒れていた朝などもあったようだ。やはりさようであったか。今年はまだしも、ましなほうかもしれない。
 だが例により化学的も物理的も、さらには生物学的因果も承知していない。まずミミズの個体数が減っていることも考えられる。これについては、私としては毒性のある薬剤等は使っていないし、枯葉枯枝生ゴミの埋め戻しなど、私にできる範囲のことはやっている。私の力ではこれ以上は無理だ。
 草むしりはもちろん、地中の小石・瓦片・割鉢・金属片・樹脂片の除去など、昨年末から今春にかけてだいぶ頑張った。くるぶしを隠すどころか膝丈ほどにまで達することもあった雑草類の繁茂を、そうとう制御した。一年前二年前よりも、土壌管理は進んだと自負している。
 つまりである。私としては、環境不適合によってミミズ個体数が減ったのではなくて、環境改善によって移住決行のあげくに行倒れなければならなかったミミズが減ったのだと、思いたいのである。むろん願望に過ぎない。自分一個の気休めである。

 散髪を了えてもマスターと世間噺。裏手マンションの外国人留学生とゴミについての感覚が相違する噺。ご母堂の主治医が処方箋を書き漏らしたのが原因で、追加の薬を引取りに行くのにたいそうご苦労なさった噺など。冷たい麦茶とお菓子をご馳走になる。今日は栗餡入りのチョコレート饅頭だった。散髪一時間、雑談三十分。
 戻り道に、ふたたびフラワー公園の中央に立って、北方を仰ぐ。空模様の不安など微塵もない。一時間半前と同じ日とは思えぬ空だ。ビニール傘をとりに帰ったりしないでよかった。やはり俺はツイてる男だ。気休めである。